
どのスポーツにおいても、世界ランキング1位の座に到達することは歴史的な偉業である。テニスにおいてはトップをめぐる競争の輪に入る前に、選手たちはジュニアレベルから徐々にポイントを積み上げ、一番上の階層に足を踏み入れなければならない。
世界1位にたどり着く道のりは険しい。しかし、その地位を維持して自身の支配を宣言するには、さらにその選手の能力が試される。テニスにおいてランキングの下降を避けるためには、前のシーズンに積み上げたポイント全てを防衛するか新たに獲得することが求められる。
ATP(男子プロテニス協会)初のコンピューターによるランキングが導入されたのは1973年。選手のランキングポイントは、4つのグランドスラムと9つのマスターズ1000大会、そして他の出場必須でない大会のうち最高の成績をおさめた7大会で獲得したポイントの合計によって計算される。シーズン最終戦への出場権を獲得した場合は、同大会でのポイントも加算される。これにより、選手は1シーズンのうちに最大で21,500ポイントを蓄えることができる。
1シーズンを通して世界ランキング1位の座を維持することに成功した選手は、これまでに6人しかいない。この6人をスポーツウェブメディアSportskeedaが紹介している。
1人目:ジミー・コナーズ(アメリカ) 1975年、1976年、1978年
コナーズは1974年から1978年の間に最盛期を迎えた。1974年シーズンは統計的に見て彼の選手生活で最高のシーズンであった。コナーズはこのシーズンに出場した3つのグランドスラムで優勝し、103試合中99勝を記録。翌1957年、コナーズは「全豪オープン」、「ウィンブルドン」、「全米オープン」で準優勝。9つのタイトルを獲得し、82勝8敗の記録を残したことで、コナーズは丸1シーズン、52週を通して世界ランキング1位の座を保持した。
続く1976年シーズンに、コナーズは再び「全米オープン」で優勝。12個のタイトルを獲得し、98試合のうち90試合で勝利した。このシーズンだけでビヨン・ボルグ(スウェーデン)に4勝0敗の成績を挙げたことは、またしてもコナーズが1シーズン全体を通して世界1位であったことを正当化するものであった。コナーズは1977年も52週全てで世界1位であるチャンスがあったが、「全米オープン」決勝でギジェルモ・ビラス(アルゼンチン)に敗れたことで、このシーズンのうち1週間だけボルグが1位となった。
1977年シーズンを世界1位で終えたコナーズは、翌1978年シーズンにまたも最高の状態を見せた。10のタイトルを獲得したが、それには自身3つ目の「全米オープン」タイトルも含まれていた。四大大会で8度の優勝を果たしたコナーズの1978年シーズンの勝率は91.8%であり、これによりコナーズは選手生活において3度目に、シーズン全体を通して世界1位の座を維持した。
2人目:イワン・レンドル(アメリカ) 1986年、1987年
レンドルは1985年の「全米オープン」から1988年の「全豪オープン」までの間に7回グランドスラムの決勝に進出。レンドルは男子テニス史上ただ一人、5つのシーズンで90%を超える勝率を記録した選手である(うち3年は連続)。彼の最盛期は1984年から1988年であった。
レンドルは世界1位で1985年シーズンを終了。1986年には「全仏オープン」と「全米オープン」、そしてシーズン末の最終戦を制した。「ウィンブルドン」でも準優勝し、合計9つのタイトルを獲得。最終的なシーズン成績は74勝6敗であった。レンドルはシーズンを通して世界1位の座を維持し、コナーズに次いでこれを達成した2人目の選手となった。
翌1987年シーズンに、レンドルは四大大会と最終戦で前年と同じ成績を残した。グランドスラムで8度の優勝を果たしたレンドルはこのシーズンの成績を74勝7敗とし、シーズンを通して世界1位の座を保った。レンドルが1985年9月から守り続けた1位の座を明け渡したのは、1988年9月のことであった。
3人目:ピート・サンプラス(アメリカ) 1994年、1997年
1993年4月に、サンプラスはATPによる世界ランキングで11人目に1位に到達。トップの座をめぐるジム・クーリエ(アメリカ)との激しい争いの末、サンプラスはこの年を頂点で終えた。翌1994年シーズンにサンプラスは18大会に出場し、10大会で優勝。「全豪オープン」と「ウィンブルドン」、そしてシーズン最終戦を制した。このシーズンの通算成績は77勝12敗であった。
サンプラスは1993年から1998年まで毎年、年末首位を達成。しかし1995年、1996年、1998年には、アンドレ・アガシ(アメリカ)とマルセロ・リオス(チリ)によってしばしば1位の座を追われた。1997年は、サンプラスが世界1位を守り続けた2度目のシーズンである。グランドスラムで14度の優勝を果たしたサンプラスはこの年、勝率82%を記録し、「全豪オープン」と「ウィンブルドン」、シーズン最終戦を含む8つのタイトルを獲得した。
4人目:レイトン・ヒューイット(オーストラリア) 2002年
ヒューイットは通算80週にわたって世界1位の座にあった。2001年から2002年シーズンに最盛期を迎え、この期間に出場した41大会で11回優勝。自身2つ目かつ最後のグランドスラムシングルスのタイトルを2002年の「ウィンブルドン」で獲得し、シーズン最終戦のタイトル防衛に成功。2002年シーズンを通して世界1位の座を維持し、勝率は80%を記録した。
5人目:ロジャー・フェデラー(スイス) 2005年、2006年、2007年
2004年2月に初めて世界1位に到達した時から、フェデラーはオープン化以降の最長記録となる237週連続でその座を保持した。2004年から2007年に行われた16度の四大大会のうち、11大会でシングルスのタイトルを獲得。グランドスラムで20度の優勝を果たしたフェデラーは、2005年、2006年、2007年にそれぞれ95%、95%、88%の勝率を記録。2006年と2007年には全ての四大大会で決勝に進出し、3度ずつ優勝した。
2003年から2007年の間で、フェデラーが最終戦の決勝で敗れたのは2005年だけであった。2005年から2007年までの間に10のマスターズ1000大会のタイトルを獲得。1シーズン全体、52週を通して世界1位の座にあった3度のシーズンの間に、フェデラーは48大会に出場し、31大会を制している。
6人目:ノバク・ジョコビッチ(セルビア) 2015年、2021年
ジョコビッチの2015年シーズンは、テニス史上最も圧倒的なシーズンの一つとして広く称えられている。グランドスラムで22度の優勝を果たしているジョコビッチは、2011年に初めて世界1位に到達。このシーズンに、フェデラーとラファエル・ナダル(スペイン)に対して10勝1敗の成績を残した。2011年から2021年までの間に7度、年末1位を達成している。
2015年にはグランドスラムで4度決勝に進出して3度優勝、マスターズ1000大会で6つのタイトルを獲得し、最終戦も制してそれまでで最高のシーズンを締めくくった。ジョコビッチはこの年に88試合に出場して82勝を挙げ、出場した16大会のうち11大会で優勝した。
2度のキャリアグランドスラムを達成しているジョコビッチは、2021年には年間グランドスラムの達成にあと一歩まで近づいていた。シーズン初めからの3つの四大大会を制したが、「全米オープン」決勝でダニール・メドベージェフ(ロシア)に敗れた。9大会あるマスターズ1000大会全てを制する「ゴールデン・マスターズ」を2度達成しているが、この年はマスターズ大会のタイトルを1つしか獲得せず、シーズン通算成績は55勝7敗。ジョコビッチがシーズンを通して世界1位の座を維持したのは、これが2度目だった。
(WOWOWテニスワールド編集部)
※写真は2019年「ウィンブルドン」決勝でのフェデラー(左)とジョコビッチ
(Photo by Clive Brunskill/Getty Images)
WOWOWテニスワールド編集部