
海外セレブの子育て名言から、ユニークなステップファミリーの形まで。セレブウォッチャー・さかいもゆるさんが、セレブたちの気になるファミリー事情をお届けします。 現地時間3月12日に開催されたアカデミー賞授賞式で、映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』で助演男優賞を獲得したキー・ホイ・クァン。受賞スピーチでは涙ながらに『私の母は84歳で自宅でこれを観ています。ママ、僕はオスカーを獲ったよ!』と真っ先に母へのメッセージを伝えていました。

提供:ED/JL/A.M.P.A.S/Camera Press/アフロ
しかし、実はこれがベトナム系アメリカ人のキーにとって、人生で初めて公の場で家族への愛を表現した場面だと、受賞直後の米ヴァニティ・フェア誌のインタビューで明かしました。70年代にベトナム戦争後のベトナムから逃れるため、ボートで香港に脱出し、その後難民キャンプで過ごしたキー。兄弟が受けに行った映画『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』のオーディションでスタッフに才能を見出され、80年代に子役としてブレイク。しかしその後、成人になるにつれ、アジア人俳優のための大きな役がないハリウッドでは仕事がみつからず、一時は裏方に周り、今回30年ぶりの映画出演でのアカデミー賞受賞は、まさにアメリカン・ドリームを体現したような出来事。スピーチでも、「人はこんなことは映画でしか起こらないと言います。私もこんなことが自分に起きたことが信じられません。これこそがアメリカン・ドリームです!」と語っていました。インタビューでキーは、「私はお互いの感情をシェアしない家族で育ちました。しかし、昨晩、私はそれをみんなの前でしたいと思ったのです。私は世界中の人たちに、私にとって両親がどれだけ大きい存在なのかを知って欲しいと思いました。それを最大のステージでできたことは、素晴らしい気持ちです」1978年に突然両親がベトナムを脱出することを決め、何が起きているのかわからないまま父親と5人の兄弟とで、母親や弟、姉と妹を置いて難民ボートに乗り込んだというキー。その後難民キャンプで過ごしたあとは飛行機でL.A.に。その4年後に『インディ・ジョーンズ』に出演することになったことを、両親に感謝していると言います。「インディ・ジョーンズや『グーニーズ』に出演したとき、両親はとても喜んでいたし誇らしく思っていたようですが、その後私のキャリアは枯渇し、私に別のことをやって欲しがっているのを感じました。なぜなら私が幸せそうではなかったからです」。そんなとき、信仰深いキーの母親は、いつもキーにチャンスが来ることを神に祈っていたそう。それに対しキーは、アジア人のための役がないから、映画に出るためにはそんなことくらいしかできないハリウッドに対して怒りを感じていたと。キーの父親は2001年に亡くなったそうですが、天国で今のキーの姿を見ていたら、どんなにか喜んだことでしょうね。51歳にして、オスカーという晴れの舞台でようやく両親への愛と感謝を伝えることができたキー。そんな背景を知っているからこそ、観客席にいたハリウッドの仲間たちも皆涙と笑顔で、彼の受賞を讃えたのです。
文/さかいもゆる
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