水野彌一氏が京都両洋高ヘッドコーチで10年ぶり現場復帰「教えることはエンドレス。次から次へと増えていく」

水野彌一氏が京都両洋高ヘッドコーチで10年ぶり現場復帰「教えることはエンドレス。次から次へと増えていく」

  • スポーツ報知
  • 更新日:2021/11/25
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かつて京大アメリカンフットボール部を6度の甲子園ボウルVに導いた水野彌一元監督(81)が今春、不定期のアドバイザーとして10年ぶりに現場復帰した。京都両洋高でヘッドコーチを務める傍ら、京大では主にコーチ陣を指導。大学1年時に選手としてキャリアをスタートさせてから60年以上、競技に関わり続けている同氏。いかにして指導者を志し、同好会同然だったチームを全国屈指の強豪に鍛え上げたのか。名将が歩んできた人生をひもとく。(取材、構成・南 樹広)

今秋の関西学生アメフト1部リーグ。10年ぶりに現場復帰した水野氏がスタンドから目を光らせていた。1996年を最後に学生日本一から遠ざかる母校は同氏にとって「二度とやるか」とさえ思っていたアメフトの魅力を知り、指導者を志すきっかけとなった場所だ。

競技を始めたのは防衛大入学時。パイロットを夢見ていた水野氏は「アメリカ空軍のエースはアメフト出身者が多いと聞いてだまされた。猛練習を泣く泣くやっていた」。パイロットの適性検査に合格したものの腰にケガを負い、入学からちょうど1年で中退。浪人生活が始まった。

「かなり悩んだ。戦闘機の重力に腰が痛くては耐えられない。人生をやり直そうと考えた」と京大受験を決意。息抜きしている周りの受験生には目もくれず猛勉強し、1年で合格した。「防衛大のおかげ。常に5分前行動で、毎朝決まった時間に起きてランニング。秒針を見て行動する習慣がついた」。アメフト同様、限られた時間の中で集中することの大切さを学んだ。

晴れて入学した京大ではラグビー部に入るつもりだったが「メンバーが足りないから1試合だけ、とアメフト部に誘われて。それが運の尽きだった」。試合前日の練習に参加すると9歳上のOB「藤村先輩」に出会った。「話がとにかく面白い。暗闇の中でフォワードパスの練習をさせて『パスは心眼で取るんや』と。むちゃくちゃな練習だったけど楽しかった」。ユニークな“兄貴分”に心酔し、入部を決めた。

そして入部から3年目のこと。いつものように先輩の話を聞いていた。

「負け戦の中で孤軍奮闘、獅子奮迅の働きをするのが本当の男というものだ」

当時、兵庫・市西宮高のタッチフットボール部(アメフト部の前身)を指導し、関西学院高の連勝記録を「204」でストップさせた先輩の言葉にしびれた。「心の底から感動した。京大を日本一にしたるねん、と思った」。部員は十数人と同好会同然だった京大を日本一に導くための挑戦が始まった。

大学院に進み、コーチになった水野氏。初めての試合で関学大に0―114で大敗した。「藤村先輩に憧れて『打倒関学』ということでやりだした。3年目にはリーグ戦で24―42の試合もあったり、まともにやれるようになってきた」と徐々に力をつけた。「はっきり言ってバカコーチ。具体論も何もなく、あるのは情熱だけだった」。試合後に比叡山を走って登らせるなど過酷な練習を課していたという。

その後は就職、留学も経験。トヨタ自動車で3年、品質管理の仕事をした後に「もっとアメフトを知りたい。本場のアメリカに行かないと」とコロラド鉱山大に1年半留学。「ものすごく勉強になった。当時の指導者の役割は『すごい選手を育てること』で自分も同じようなことをしていた。ところがアメリカでの指導者の役割は『選手全員のレベルアップ』だった」とコーチングのイロハを学んだ。

そして母校に戻った74年が「京大フットボール元年」となった。関学大に0―17で敗れたが、着実にその差は縮まった。経験を基に指導哲学も固まっていった。国立大が強豪・関学大を倒すために…。こだわったのは練習での集中力、そして「気づき」を与えることだ。

「戦術の前にまずは個人を鍛えること。練習は極限の集中力で。良いプレーを褒めるのは大事だが、ダメなプレーはチーム全体で許さない。練習は厳しかったと思う」。教えることについては「伝えて、実行させる。それで終わってはダメ。気づかせることが大事」と選手が伸びるまでの課程をイメージしながら指導した。

そこから“黄金時代”が始まる。帰国後3年目の76年、関学大に初勝利。80年に監督に就任すると、82年に甲子園ボウル初出場、83年に悲願の初優勝を果たした。「うれしいというよりはやっとかという気持ちだった」。最終的に6度の甲子園ボウル制覇、4度のライスボウルVに導いた。

現在も変わらぬ情熱で選手と向き合う。京都両洋高の練習では「ええぞー! その調子やー」と大声で選手を鼓舞。タックル練習用に自作のマシンも提供している。「フットボールのおかげで面白い人生を歩ませてもらっている」と感謝の日々。「教えることはエンドレス。次から次へと増えていく」。81歳。指導者としての歩みは止まらない。

◆水野 彌一(みずの・やいち)1940年6月13日、京都市生まれ。81歳。西京高から防衛大に進み、アメフトを始める。中退後に京大進学。在学中にコーチ、80年から監督。学生日本一を決める甲子園ボウル優勝6回、社会人と戦って日本一を決めるライスボウル優勝4回。2011年勇退。14、15年は追手門学院大総監督。16~18年は立大シニアアドバイザー。19年から京都両洋高ヘッドコーチで、今春から京大の不定期アドバイザーを兼ねる。

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