「日本は負けたけど勝った」――現実を見ない「自称保守」の淵源

「日本は負けたけど勝った」――現実を見ない「自称保守」の淵源

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2017/10/13
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1990年代末の日本を席巻し、のちの「ネット右翼」の誕生を導くことになった小林よしのり氏の『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』。その思想的な拠り所が、保守の論客・渡部昇一氏の『かくて昭和史は甦る――人種差別の世界を叩き潰した日本』にあることが、前回の考察で明らかになった。その続きとなる今回は、いまなお決まり文句のように語られる「慰安婦問題免罪論」、そして「大東亜戦争肯定論」の淵源を両書から探る。

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「直接やってない」から免罪?

日本の朝鮮支配に関する渡部史観のトンデモは、1990年代後半に話題沸騰となっていた、前述のいわゆる河野談話、村山談話にも向けられることになる。

無辜の朝鮮人女性が、経済苦から慰安婦に転落していった事実を、渡部は同書の中で、

「慰安婦は日本軍が直接集めたものではない(中略)たしかにコリア人で『軍』慰安婦になった人はいたであろう。しかし、その人たちを集めたのは、日本軍ではない。それをやったのは、おそらくコリア人の売春斡旋業者なのである」(『かくて昭和史は甦る』P. 187、原文ママ)

として、つまり「慰安婦を直接集めたのは日本軍ではないのだから問題はない」という論法を提起しているのである。だがそもそも、渡部の言う「コリア人」というのがお門違いで、1910年の日韓併合より1945年の敗戦に至るまで、朝鮮半島の人々は大日本帝国の臣民である。

ちなみにこの本で渡部は、一貫して中国大陸の人々を「シナ人」と呼称し、冒頭の付記でも「中国という語は、東夷・西戎・北狄・南蛮といった蔑称に対する概念として用いられる美称であり、日本においては拒否されるべき」(P. 6)と記している。

「『中国』と呼称すると中華思想(中華=中国を頂点とした主従関係)を認めることになるから、中国ではなくシナ(支那)と呼称するほうが正しいのだ」というこの理屈は、現在のネット右翼の間でも「シナ人が~」の呼称が一般的なように、極めて普遍的にみられる倒錯した用法である。既にこの時点で、のちのネット右翼につながる無根拠なヘイト的世界観の片鱗が存分に伺えるのである。

18〜19世紀に西欧世界で行われた奴隷貿易も、アフリカ沿岸や内陸において奴隷狩りに直接手を下したのは、スペイン・ポルトガル、オランダやイギリス政府ではなく、そのような西欧列強に協調的な現地部族というケースが多かった。

「直接手を下さなかったのだから免罪」という上記のトンデモ論法を認めるならば、西欧列強の奴隷貿易も免罪となって然るべきであろう。もっとも仮にそうなれば、前回も触れた「有色人種たる日本人は正義、白色人種は不正義で悪辣」という渡部史観の主張そのものとも明らかに相矛盾する。

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渡部昇一史観の概要(筆者作成)

売春を管理する胴元が日本軍である限り、慰安婦の募集においては「日本軍における広義の強制」が成立する。確かに、「済州島で無辜の婦女子を日本軍のトラックに詰めて強制連行した」という、千葉県の吉田清治なる詭弁家の「証言」は、報じた朝日新聞もそれを嘘と認めて撤回するにいたった。しかし忘れてはならないのは、朝日新聞も「広義の強制性」までは撤回しなかったという事実である。

当たり前のことだが、慰安婦の「最終消費者」が日本兵である限り、朝鮮人慰安婦の問題は1965年の日韓基本条約で解決済みだとしても、日本は一端の道義的責任を負わないわけにはいかない。だからこそ、これまで安倍政権下でも各種様々な元慰安婦救済措置が講じられてきたのだ(朴槿恵政権との日韓合意など)。

一方の渡部史観では、「直接手引きをしたのが朝鮮の業者なのだから、慰安婦問題で日本は免罪」となる。後に勃興するネット右翼も、見事なまでにこの論法を用いる。が、直接・間接の強制は慰安婦問題の核心ではない。慰安婦の最終消費者が、管理された下での日本軍将兵だった(=管理売春)ことが問題なのである。

この事実関係は、実際に南方に従軍し、慰安所を「P(ピー)屋」と呼称してその実態を克明に漫画化している水木しげるの戦記物作品に詳述されているから、これに優る証言はない。戦時中、空襲の少ない山形で少年時代を過ごしていた渡部と、南方奥地、メラネシアのニューブリテン島で英軍の猛爆撃に遭い、左腕をもぎ取られた水木の言の、どちらを信用すべきかは言うまでもなかろう。

「大東亜の解放」は実現したのか

渡部史観と小林の『戦争論』がとりわけ明白な重複を見せるのは、日米戦争と日中戦争、南京事件に関する記述である。

まず渡部史観では、日本の真珠湾奇襲攻撃を「自存自衛のための戦争(ABCD包囲網の結果)」であるとして、日本の戦争大義を正当化している。小林の『戦争論』でも、この「自衛戦争論」が目立つ。

そしてこの「自衛戦争論」は、戦時中の日本の大義「大東亜共栄圏」「八紘一宇」を正当化し、「日本は人種平等の旗印のもと白人世界に挑戦を挑んだ」という渡部史観の(1)と、「日本は軍事的には敗北したが、先に挙げた日本の戦争大義――つまりアジアの解放が、アジア各国が戦後次々と独立することによって達成された」という渡部史観の(9)「負けたけど勝ったんだ論」に接続されていく。

この「負けたけど勝ったんだ論」をさらに詳述すると以下のようなものだ。

戦時中、「大東亜戦争」の大義の下、日本軍は東南アジアの資源地帯に進出した。日本が戦争に敗れた後も、東南アジア諸国では「宗主国である米英蘭仏が、日本軍によって一度は打倒された」という記憶があったため、独立戦争が促され、結果的に戦後の東南アジア独立を日本が助けることになった。

つまり、日本は戦争に負けたが、所期の戦争目的である大東亜の解放は、日本の敗戦によって達成された。だから、戦争目的の大義は正しいものであり、結果的に日本は戦争に勝ったも同然である――。

小林の『戦争論』も、この「大東亜の解放」という日本の戦争大義を正面から正当化している。

実際には、当時の日本は日米開戦と同時に東南アジアの資源地帯を電撃占領した(南方作戦)。その中でも、特段の資源産出が期待できないビルマは早期に独立させたが、対米長期戦に備えて石油、ボーキサイト、ゴムなどが産出される重要な資源地帯の蘭印(オランダ領インドネシア)は最後まで独立させず、日本軍の直接軍政下に置いた。

「アジア解放」というスローガンは美辞麗句に過ぎず、実際には南方資源地帯の占領による資源の収奪が当時の日本の目的であった。日本が「アジア解放」よりも軍事的実利を優先した証拠である。

あるいは1930年代の時点で、米議会において1946年の独立が確約されていたフィリピンには、日本軍が土足で入り込んで強引な軍政を敷いたために、地元経済がずたずたに破壊された。日本軍はフィリピン住民にコメの作付を強制したが、現地の風土に合わず餓死者が続出する始末であった。それゆえ、東南アジアの日本軍占領地域において、フィリピンでは最も熾烈な反日ゲリラが跋扈するようになり、戦後の日比賠償交渉に暗い影を落としたのである。

このように『戦争論』では、当時の政府・大本営の都合の悪い部分はすべて捨て置かれ、日本側にとって直視したくない「大東亜共栄圏の実相」には一言も言及されていない。そのうえで小林は、

「東アジアのすべての国が欧米の植民地と化していたあの時に… 日本だけが独立国だった 日本だけが欧米と戦えたのである 戦う責務があった そして日本がその戦いを終えた時、アジアからアフリカまで独立の機運は伝播していった 世界地図は一変したのだ 帝国主義の時代が終わりを告げた

大東亜戦争はそのあまりにも奥深く壮大なスケールのゆえに ついていけない頭脳の者たちに単純な自虐史観で割り切られやすい しかしいつの日かこの戦争こそが人類のなしえた最も美しく もっとも残酷な そして崇高な戦いだったと評価される日が来るだろう」(『戦争論』 P. 368-369)

などと、無根拠なまでに感動的な筆致で締めくくるのである。何のことはない。当時の日本帝国も、その帝国主義者の一員であったのに…。

沖縄のゲリラ戦はどう説明するのか

当時高校一年生の私は、これらの小林の主張が、独自の研究や調査のもとになされた画期的なものに違いないと感動したのだが、今からすれば単に渡部史観の漫画化に過ぎない。そして繰り返すように、この渡部史観は、当時の、そして現在の「保守界隈」に広く頒布され、使い古された保守のジャーゴン(組織内言語)的常識なのである。

さらに確信犯的な記述は、日中戦争における日本軍の正当性である。この部分において、渡部史観の要点は下記の二つだ。

(A)日中戦争は共産主義者の陰謀である=渡部史観(4)

(B)敵である蒋介石が、国際法を無視した便衣兵作戦という卑怯な戦術を採った=渡部史観(3)

(A)について、渡部は前掲の『かくて昭和史は蘇る』でこう述べている。

「盧溝橋事件については、戦後になって重大な事実が明らかになってきた。それは、この事件が中国共産党の仕組んだワナだったということである。つまり、日本軍と国民党政府軍の間に、中共軍のスパイが入り込んで、日本軍に向けて発砲したということ(中略)やはり、日本軍は盧溝橋事件に”巻き込まれた”のである」(P. 272)

さらに渡部は、(B)の蒋介石率いる国民党政府が駆使した便衣兵(一般人の服を着て偽装した国民党兵士)をハーグ陸戦協定に基づいて銃殺したのは至極妥当であり、むしろ便衣兵戦術を採った蒋介石が悪く、日本の殺戮は正当であると強弁する。

小林の『戦争論』にも、これと全く同じ話が出てくる。

「この戦い(日中戦争)は近代戦の歴史の中でも 日本が初めて経験した便衣兵との戦いであった。便衣兵――つまりゲリラである。軍服を着ていない民間人との区別がつかない兵である。国際法ではゲリラは殺してよい。ゲリラはおきて破りの卑怯な手段だからである」(『戦争論』P. 118)

「便衣兵についての事実を紹介しよう(中略)(中国国民党)兵が同胞の一般市民の服をはぎ取って化ける!何という卑劣さ!」(前掲書 P. 129、括弧内筆者)

これを論じるならば、質で日本軍に劣る中国国民党軍が、苦肉の策として国際法を無視したゲリラ戦を仕掛けたのは戦法の常道である。事実、沖縄戦の末期には、米軍に追い詰められた一部の日本兵も、沖縄県民の衣服を借りて偽装しゲリラ戦を展開したことが知られている。これは沖縄守備隊第三十二軍司令部唯一の生き残り、矢原弘道高級参謀が戦後、手記の中で明らかにしていることだ。

矢原参謀は軍服を脱ぎ捨て、民間人の姿に偽装し、米軍の監視を擦り抜けて沖縄本島北方の国頭地区まで逃げ、そこでゲリラ戦を展開しようと画策していた。追い詰められた弱者の戦法を採ったものは「殺されても仕方がない」と喝破するなら、沖縄戦での米軍による民間人虐殺、陵虐をも正当化する理屈になるのではないのだろうか。

痕跡は「田母神論文」にも

ついでに指摘しておけば、(A)の「日中戦争は中国共産党の仕組んだワナであり、日本はそれに巻き込まれたに過ぎない」という無根拠な二段論法は、2008年に大手ホテルチェーン・APAグループが主催する「真の近現代史懸賞論文」で大賞に選ばれた、元航空幕僚長・田母神俊雄によるいわゆる「田母神論文」にも、その少ない文字数の中にはっきりと痕跡をうかがうことができる。

「実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった(中略)我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである」(田母神論文より)

ちなみに「政府見解と異なる」として、空幕長を事実上更迭された田母神のこの懸賞論文の内容は、これ以外にも徹頭徹尾、前述渡部史観の踏襲のオンパレードであることを付け加えておく。

「第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである」(同論文、渡部史観(1)に同じ)

「戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。(中略)これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。(中略)人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである」(同論文、渡部史観の(1)(6)に同じ)

「日本が(中略)遂に日米戦争に突入し三百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた」(同論文、渡部史観の(2)(4)に同じ)

「大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、二百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ」(同論文、渡部史観の(9)に同じ)

細部を点検するときりがない(1990年代の言説には「コミンテルン」という言葉は出てこないが、21世紀には「中国共産党」が「コミンテルン」に言い換えられている点など)が、つまり1995年の時点で確立されていた渡部史観は、その後1998年の小林よしのり、2008年の田母神論文に至るまで、20年余りにわたって全く形を変えることなく温存されてきた「保守」界隈におけるトンデモ的世界観なのである。

こうして「培地」ができあがった

このように、1990年代終末期から世紀を跨ぐ時代に、閉ざされた言語空間=保守界隈で常識とされていたジャーゴンが、小林の『戦争論』を経て外部に漏出していった。このことが来るべきネット右翼誕生の年・西暦2002年(日韓W杯)までの間、まるで種苗がその殻から発芽するまでの培地のように、徐々にだがその養分を供給したのだった。

1990年代末、インターネットはまだ原始太陽系のごとく塵や小天体が交錯するばかりで、巨大で秩序だった惑星系が生まれるにはまだ機が熟していなかった。ネット右翼が本格的に爆発する「ビッグバン」までは、まだ数年の時間を待たなければならない。

なおこの間、「保守」の運動面では「新しい教科書をつくる会」(1996年)、「日本会議」(1997年)などの団体が創設され、保守運動の中にも新しい潮流の兆しが見え始めていた。しかしこれらはあくまで「保守運動」という狭いサロンの中の胎動であり、後年都合200万人を巻き込むネット右翼とは、まだ無縁の運動であった。

実際、小林よしのりは、前述「つくる会」の運動に自ら参画している。「自虐史観」に支配された既存の検定教科書の内容是正を目的に作られた「つくる会」の活動は、小林自身の内部レポートという形で毎週『ゴー宣』にて逐一報告される格好となったが、当時の読者にはあまり影響を与えているように思えない。

なぜなら、読者にとってみれば「自虐史観に支配された既存の検定教科書の内容是正」は、皮肉にも当の小林による『戦争論』によって達成されており、そこ(運動)に目新しい知見はなかったためである。その後、やがて「つくる会」は分裂する。しかし読者にとってこういった保守運動の内紛は、あまり興味の湧かない付録的出来事に過ぎなかった。

さて、最後に渡部史観の核心とも言える(8)「残虐なアングロサクソンと道徳的な世界に誇れる日本人」を検証しよう。何故この(8)が核心なのかと言えば、現在のネット右翼が共通して有する「日本人は紳士的で道徳的であり、対して朝鮮人やシナ人はうそつきで不道徳である」という多幸的な「日本アゲ」の空気感を、渡部が見事に言語化しているからである。特徴的なのは以下のくだり。

「1944年8月5日、オーストラリアのカウラ市内にあった捕虜収容所から日本兵が脱走を企てたとき、オーストラリア兵は無差別に砲火を浴びせ、実に234人を射殺し、108人に重軽傷を負わせたのである。これに対して、長崎市にも戦時中、捕虜収容所があり、オーストラリア兵が収容されていた。アメリカが投下した原爆で収容所が破壊されると、連合軍憎しの極限状態でさえ、日本人は何ら彼らに危害を加えなかったのである」(『かくて日本史は蘇る』P. 302)

つまり渡部は、アングロサクソンは血も涙もない鬼畜であるが、それに対して日本人は原爆を投下されてもなお、敵兵を撃つことも、打擲することすらない、温厚で平和な菩薩のごとき道徳的モラルを誇っていたのだ――と言うのである。

この話の真贋はともかく、捕虜収容所からの脱走兵を射殺するのは軍紀上当然のことであり、日本軍側も撃墜したB29の搭乗員を即時裁判で銃殺刑にしている事例が多々あるのだから、オーストラリア兵の銃撃を蛮行と決めつけることはできない。捕虜が脱走すれば射殺はやむを得ない。余りにも極論を針小棒大に喧伝している。

何より渡部は、広島に原爆が投下された折、西部軍管区司令部地下(畑俊六元帥隷下、広島城に置かれていた)に収容されていた連合軍兵士が、憎しみを抱いた被爆者に引き回され、集団リンチの末に陵虐死しているという、広島被爆者の何人もが見分し複数人が絵にまで残した厳然たる事実には一切触れていない。もっとも、これは渡部の単なる無知であろう。

むやみな「日本美化」の原型

それとも渡部は、敵兵への報復という、いわば当たり前の動物的本能に突き動かされる者は野蛮で、親や赤子を焼き殺した米兵をも面前で許すのが道徳者であるという、怒りの感情の「去勢」こそが、人のあるべき姿であるとでも言いたいのだろうか。

アングロサクソンは鬼の如く非道徳的で残虐極まりないが、日本人は核を落とされても怒りすら覚えず、そっと微笑んで敵を許す――。こんな嘘八百の「戦時美談」が、「戦前の日本人の道徳的精神の高潔さ」を称揚し、教育勅語復活の動きにも見られるような、日本人の精神性や風紀を根拠なく礼賛する、昨今のむやみな「日本美化」の風潮にも接続しているのではないか。

「怒り」の感情を去勢することが美徳という歪んだ日本人観が、ここにはある。そして片手ではアメリカ人の非道を言いながら、心底ではアメリカの戦時国際法違反(原爆、大空襲など)を許すことこそが日本人の美徳であると読者に刷り込むことにより、戦後における日米関係、つまり日米同盟を肯定し、親米保守の対米敵愾心を喪失させることに巧妙に誘導しているところが、この渡部史観(8)の核心である。

「一時のアメリカは不道徳だった。だが、それを許すのが美徳である」として、親米保守の世界観を逆説的に補強し、渡部曰く「より不道徳で罪深い」「コリア人」や「シナ人」への憎悪へ誘導しているところが興味深い。

ちなみに小林は『戦争論』の末尾に、次のごとく当時の日本を憂う一文を乗せている。

「倫理も道徳も エゴと消費者の前に崩壊していくしかない日本…」(前掲書 P. 376)

筆者がもう何遍も、何十遍も、いや何百遍も、全国津々浦々の「保守」集会の枕詞で聞いてきた、現代日本を嘆く彼らの定型句だ。

「倫理も道徳も崩壊していくしかない日本 その元凶は○○だ(GHQの洗脳、日本国憲法9条、中国・韓国の工作員、日教組、マスゴミetc)」。

現代日本では、戦前よりも、また戦後の一時期よりも明らかに殺人事件や強姦事件は減っている。これは統計的にもはっきりした事実だ。一体どこが、「倫理も道徳も崩壊していくしかない日本」なのだろうか。

自称「保守」の論客たちは、何かというとすぐに「倫理」とか「道徳」といった言葉を使い、その崩壊が進んでいる現下日本を憂えてみせる。しかしそういった御仁に限って、不倫、贈収賄、隠し子、恐喝、暴行、詐欺、なんでもござれの末法の体現者だったりすることを私は身をもってよく、よーく知っているのだ。

「倫理」や「道徳」を声高に謳い上げる人間に碌なやつは居ない。

(次回に続く)

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