<高校野球>今季限り引退ロッテ・井口が語る「甲子園と母との自宅トレ」

<高校野球>今季限り引退ロッテ・井口が語る「甲子園と母との自宅トレ」

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  • 更新日:2017/08/15
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今季限りで引退する井口を42歳までプレーさせた原点は、高校時代に学んだ自分で考える野球だった

今季限りで引退する千葉ロッテの井口資仁(42)は夏の甲子園の記憶が曖昧だという。

「甲子園に行った記憶が定かじゃないんです。あんま残っていないんです。ああ、ああ……という間に終わってしまった」

1991年.井口は国学院久我山2年のときに西東京代表で甲子園に出場した。都大会で3本塁打を放ち、当時、巨人に入団した新外国人のフィル・ブラッドリーなみのパワーから“国学院久我山のブラッドリー”との異名で呼ばれた。

この大会には、星稜の“ゴジラ”松井秀喜(巨人、ヤンキース)が2年生で出場。3回戦の竜ヶ崎一戦で特大の一発を放ち、注目を集めていた。他には松商学園の上田佳範(日ハム、中日)、延岡学園の黒木知宏(ロッテ)、桐蔭学園には高木大成(西武)と、当時1年生ながら高橋由伸(巨人)がいてクリーンナップを打っていた。決勝戦は、沖縄水産対大阪桐蔭。大阪桐蔭の4番は、大会3本塁打を放ち阪神にドラフト1位指名された萩原誠で、大阪桐蔭が13-8で勝ったが、沖縄水産のエース、大野倫が6試合で36失点し773球を投げて疲労骨折したことが社会的な波紋を呼んだ。

井口の国学院久我山の1回戦の相手は、名将、蔦監督が率いた強豪の池田高校。
6回まで0-4で負けていたが、コツコツと得点を返して、本塁打とスクイズで土壇場の9回裏についに同点に追いついた。試合は、延長戦に突入。流れは、国学院久我山だったが、井口の「ああ、ああ」という間のミスが甲子園でプレーする時間に終わりを告げることになる。

延長10回表に池田高校は一死一塁から盗塁を仕掛けてきた。

キャッチャーからの送球を処理するのはショートの井口だった。だが、そこで……。
「盗塁されて、ワンバウンドするか、しないかという送球を僕がとれないで、うしろにそらしたんです。走者はサードへ。カバーしたセンターがサードへ投げたら、そのボールがまたイレギュラーして、走者がホームインしてしまったんです」

その痛恨の1点が決勝点となり井口の最初で最後の甲子園は終わった。

甲子園で犯したミスが、その後の野球人生に大きな影響を与えたという話は枚挙にいとまがない。だが、井口は、「僕はミスをしても自分を責めないので(笑)、あのプレーをずっと引きずるということはありませんでした」という。むしろ井口は、国学院久我山高の野球部で過ごした3年間で得た経験こそが、今季、球界最年長となる42歳までプレーを続けることができた「野球人・井口資仁」の原点だという。

「内野ノックしか出来ないグラウンドで、練習は、18時30分に完全下校でした。もっと、ちゃんとしたグラウンドがあるチームが甲子園へいくべきで、僕らなんかが甲子園に出て申し訳ないと思っていました。でも、あれこれやらされる練習ではなく、自分で考えて練習するという習慣が身につきました。その主体性が非常に大事で、高校時代に自分で考えて練習することを学んだことで、ここまで来れたのだと思います」

国学院久我山は文武両道が校風で、特待生制度もなく、野球部の専用グラウンドも持たずにサッカー部との共有。しかも、下校時間が決まっていたため練習時間も2時間と少なかった。必然、帰宅後に各自で自主トレーニングをすることになった。自分で目標を定めて考える練習だ。

井口が取り入れたのは、自宅で母とマンツーマンで行ったティーバッティングだった。しかも硬式球ではなくバドミントンのシャトルを至近距離から母に投げてもらって打った。

「毎日1時間以上は、やったのではないでしょうか。シャトルを打つのはすごく難しいんです。羽の影響でボールが変化しますし、当てる面もすごく小さいので」

不規則に変化するシャトルをバットの芯で捉える作業が、選球眼を磨き、バットコントロール術を高めた。小さく軽いシャトルを振り切ることでスイングスピードもアップした。

ちなみに井口の父は学生時代は野球部で少年野球のコーチまでやったが、母は野球経験なし。それでも「ゴロを打たない」「引っ張らない」などと、アドバイスを受けた。母は、それから26年経過した今でも試合が終わるとLINEで「フライ上げすぎ」「サードゴロばっかり」と、辛口の助言を寄せてくるという。

「小中は、リトル、シニアで超スパルタだったんです。その練習が基礎を作ってくれましたが、本当の成長は、自分で考え、主体性を持って練習するときに生まれるんだと、今、思いますね。卒業後、進んだ青学も、あれこれ言われることなく自分で考える練習でした」

高校時代に育んだ「自分で考える野球」は、井口のプロ人生の根底を構築することになる。
ダイエー(現ソフトバンク)で満塁本塁打デビューを飾った井口は、その後、本塁打を狙いすぎてスランプに陥るが、盗塁王に照準を定めて選手としてV字回復し、二塁手に挑戦し、メジャーでは、ホワイトソックスでワールドチャンピオンとなり、凱旋帰国したロッテで、日米通算2000本安打を記録した。常に目標を立て、それを達成するために何が必要かを考え、努力を重ねた。ノートをつけ、カレンダーに目標達成の印をつけながら42歳までプレーした。自分で考える野球を実戦してきたからこそ、スタンプに陥っても、ケガに苦しんでも、そこから立ち上がる術を失うことはなかった。

井口は、6月20日に今季限りの引退を発表した。
母には、昨年夏に「来年限りで引退」を伝えた。母には「福岡からアメリカまで、いろんな場所に行かせてもらってありがとう。でも、あなた、それよりも来年契約してもらえるの?」と言われたという。

国学院久我山時代から、自ら考えて鍛えてきた「心技体」は、限界を感じるまでは衰えていない。だが、「衰えていく姿を見せたくはない」という井口の去り際の美学と、高校時代から培った「考える野球」を支える目標を持てなくなったことが、ユニホームを脱ぐ理由となった。その引退試合は、9月24日の日ハム戦。9月10日のTシャツデーから引退イベントも続く。

「感謝の気持ちを忘れずに打席に立ちたい」

記憶が定かでない、あの甲子園から、26年後のZOZOマリンスタジアムの打席まで、井口の野球人生は、ひとつの道でつながっている。

(文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)

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