トレイルランナー鏑木毅、50歳の挑戦に松田丈志はなぜ共鳴したのか

トレイルランナー鏑木毅、50歳の挑戦に松田丈志はなぜ共鳴したのか

  • Sportiva
  • 更新日:2018/01/12

トレイルランナー鏑木毅、50歳の挑戦 2

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あの高揚感をもう一度

UTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)が想像を絶する過酷なレースであること、鏑木毅(かぶらき・つよし)さんが挫折を繰り返しながらもトレイルランに出会い、成功体験を得たこと……それらを踏まえたうえで、改めて今回の『NEVERプロジェクト』 、2019年に50歳となる鏑木毅がUTMBに挑戦する意味を考えていきたい。

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2009年、UTMBで3位となった鏑木毅

まず、私は鏑木選手がこの挑戦に求めているものがあると感じた。

それは”高揚感”だ。鏑木さんは40歳で公務員を辞めて、プロのトレイルランナーになった。自ら安定した職業を捨て、退路を断ち、プロとして生きていく覚悟を決めて走り始めた年に、UTMBで日本人最高の3位になった。

鏑木選手はこの時に感じた、自分の全身の細胞がすべて反応しているような高揚感をもう一度味わいたいという。

この感覚は私にもわかる。私が五輪に4度出場したなかで、メダルを獲った3大会では、年が替わってオリンピックイヤーに突入したあたりから、自分の全身の細胞が燃え上がり、本番まで一心不乱に突き進んでいけるようなエネルギーを感じていた。全身がオリンピックイヤーを”待ってました”と言わんばかりにエネルギーに満ち溢れてくる。トレーニングに対するアイディアなど、閃(ひらめ)きも研ぎ澄まされる気がしていた。

その高揚感とも充実感ともとれる感覚は、引退した今、なかなか味わえるものではなかったんだなと思う。

では、その高揚感はどこからくるのか?

それは目標にかける「想い」の総量だろう。目標への想いや覚悟が強ければ強いほど、アスリートは考え、行動に移し、自分を追い込んでトレーニングしていく。そのひとつひとつの積み重ねが想いの総量となっていく。

鏑木選手が今回、挑戦を公言したのと同じような経験が私にもあった。

ロンドン五輪後、リオを目指すか迷っていた時期がある。32歳で迎えるリオ五輪で自分がまだ世界のトップで戦えるのか、考えに考えたが、いくら時間をかけて考えても答えは出なかった。詰まるところ、挑戦するかしないかの二択しかなく、私は「挑戦する自分でありたい」と思い、2014年3月にリオ五輪への挑戦を公言し、最後の五輪への挑戦がスタートした。

挑戦を公言することで自分の退路を断ち、時にブレそうになる気持ちを一直線に目標に向かわせていく。そうやって目標に懸ける想いの総量を増やせば、増やした分、身体も細胞も反応し、高揚感に繋がっていくと私は思う。

具体的な目標は秘めたまま

鏑木選手も50歳の自分の身体に魂を注入して、トレーニングしたらどこまでできるのか挑戦したいと語ってくれた。

実際、UTMBへの挑戦を発表した会見以降はここ数年できなかったレベルのところまで追い込んで、トレーニングできているという。もうきつくてやめたいと思う時、インターバルトレーニングで、この1本追い込むかどうか迷った時、自分をプッシュできるかどうかは、想いが強いかどうかで決まる。その想いが集まれば集まるほど、高揚感も高まってくることだろう。

さらに鏑木選手は今回のUTMB挑戦に際し、その目指し方にもこだわった。

それは順位などの明確な数字の目標は掲げなかったことだ。会見中、具体的な数字の目標を聞きたいという質問も出たが、一貫して鏑木さんはそれらの相対的な目標は語らなかった。

私はそこに鏑木選手の信念を感じた。相対的な目標を語るのはある意味、簡単だ。私もこれまで数々のインタビューを受けてきたし、今はアスリートをインタビューする機会もある。

そのなかで相対的な目標を語ることは、最も周囲にわかりやすく目標を伝える手段だ。しかし、相対的な目標を達成することと自分の充実感がイコールとは限らない。

鏑木さんは相対的な評価はすべて切り離したうえで、今回の挑戦を公言した。では、何を目指して走るのか。

私は「ゴール後どんな気持ちでいられたら納得できるんですか」と聞いた。

鏑木選手の答えは「自分の全てを出し切って、灰のようになれたら」。

鏑木選手のすべてのベクトルは、自分の方へ向いているんだと感じた。そこには鏑木選手が今回のチャレンジで一番伝えたいメッセージが込められている。

それは「挑戦はいつからでもスタートしていいんだよ」ということだ。

鏑木選手もランナーとしてのピークはとっくに過ぎていると自覚している。自分に伸びしろがたくさんあるなんて思ってない。でも、挑戦する。

50歳という年齢で、自分の老いも受け止め、それをわかった上で、社会に対してあえてUTMB挑戦を公言し、自分の退路を断った。自身の身体の老化に対して徹底的に抗(あらが)っていくつもりなのだ。

それは周りとも、過去の自分とも違う、年齢を重ね衰えていく自分の体との戦いだ。それは2年後の未来の自分との戦いともいえる。

そんな自身の挑戦を通して、「誰でも、いつからでも挑戦はスタートしていいんだよ」と伝えたいのだ。

「挑戦する」意味が欲しい

私もそんなことを思ったことがある。

私はオリンピックの金メダルをずっと追いかけてきた。最も近づいた瞬間はロンドンオリンピックの200mバタフライ決勝だ。金メダルまで0.25秒。銅メダルだった。

ロンドン五輪後も金メダルの夢を諦めきれず、現役を続けたが、五輪で2大会連続のメダルを獲得していた200mバタフライは、ロンドン五輪がパフォーマンスのピークで、リオ五輪では代表権すら取れなかった。ロンドン五輪以降、200mバタフライに関しては真剣にやればやるほど、以前の自分とは違い、衰えを感じるようになった。

それは、長年夢見たこの種目での金メダルへの挑戦が、事実上厳しいということだった。

200mバタフライでの金メダルへの挑戦は、2016年4月の代表選考会で落選した時点で終わった。今まで喉から手が出るほど欲しかった金メダルだけど、その可能性がなくなった瞬間に自分の価値がなくなるような考え方だけはしたくなかった。

そんな味気ない人生なんてないだろう、とも思っていた。幸運にも私は800mフリーリレーでオリンピックに行くチャンスはあった。

私はリオへの挑戦を公言し、競泳選手としてスポンサーもついて活動していた。リオまでの挑戦をやりきりたい。今の自分にできることを最大限やって、スポンサーには結果で恩返ししたい。

残された道は800mフリーリレーでメダルを獲ることだった。その時、この挑戦の意味を考えた。自分が挑戦する意味が欲しかった。

まず、日本の五輪代表競泳選手で史上最高齢、32歳で出場する私がメダルを獲ることで自分の周りにいる人や同世代の人、これから続いていく後輩たちに、競泳でも30代でオリンピックを戦えるとポジティブなメッセージを与えられるかもしれないと考えた。

さらに、共にレースする後輩たちにメダルを獲る喜びを味わってほしいと思った。

若い選手がメダルを獲るということは、その選手の貴重な経験になるのはもちろん、次の世代にも繋がっていくのではないかと考えたからだ。

さらには水泳をやっている子供たちに自由形でも世界で勝負できるんだよというところを見せたい。そんな想いも持っていた。そう考えることによって、全盛期を過ぎた自分の挑戦の意義を感じていた。

自分の挑戦を自分のものとだけ考えていても踏ん張りはきかない。そこに社会的な意義を感じられることで、その挑戦のやり甲斐に繋がっていく。鏑木さんは50歳の自分が、押し寄せる老化の波に徹底的に抗い、モンブランの山道を駆け抜けることによって、世の中に今回の挑戦の意義を発信していきたいという。

これまで鏑木さんのUTMB挑戦と私の経験を重ね合わせて考えてきたが、決定的に違うことがある。それは年齢だ。

私は32歳ですでに競泳選手としての衰えを感じ、引退を決意した。4年後、母国開催である東京五輪が控えていたが、迷いなく引退を決意した。

東京五輪までやれる可能性はゼロだとは思わなかったが、それをやるには、もう仙人にでもなって、徹底的に節制し、すべてを競泳に捧げて、やっと出られるか出られないかくらいだろうな、と感じた。

だからこそ、50歳を目前にしてなお、鏑木選手が自分自身を追い込み挑戦していく姿には感動する。

そこにはトレイルランニングと競泳の競技性の違いもあるだろう。鏑木選手も100マイル(160km)を超えるレースは、最後はメンタルだと言っていた。レース中あまりの苦しさに、鏑木選手より若い選手や、鏑木選手より前を走るトップ選手が、レース途中で走るのをやめてしまうこともよくあるという。100kmを超えるレースで、どこも痛みなくゴールできることなんてなく、死ぬほど苦しい時に”走り続けるかやめるか”の決断はメンタルでしかない。鏑木さんは、2019年UTMBで足が折れてでもゴールしたいと語っていた。

さらには、鏑木選手と私ではキャリアの違いからくる、年齢とモチベーションの高さの曲線も違うのだろうなと思った。私はどちらかといえば、若い時からアスリートとしてのキャリアを積んできた方だ。

一方、鏑木さんはトップアスリートとしてのキャリアを積み重ね始めたのが遅かった分、競技に対するモチベーションが高く保たれているところもあるのだろう。

これは競泳のトップコーチに、現役時代にトップ選手ではなかった方が多いのと似ているかもしれない。競泳の代表コーチになる方々には、現役時代にオリンピックに行ったことがある方よりも、当時は行きたくても行けず、オリンピックへの思いを強く持ち続けているコーチの方が多いと私は思っている。それは選手であれコーチであれ、「オリンピックに行ってみたい、行きたい」という想いが大事ということだ。

鏑木選手はまだまだモチベーションが燃え続けているのだろう。

このプロジェクトを応援し、見守っていく

しかしだ。50歳にして自分の肉体を限界まで追い込み、2年の歳月をかけて、20時間以上寝ずに170kmを走り続けるレースに挑戦する努力は、33歳の私には想像がつかないし、尊敬に値する。

これは50歳の自分の身体に魂を込めてレーニングしたらどこまでできるのか。鏑木毅さんの身体を使った、前例のない壮大な人体実験だ。

私はその挑戦を見守り、応援していきたいと思った。それは私もアスリートを引退したからといって終わりではなく。何度でも新たな挑戦のスタートを切っていきたいと思っているからだ。

これから鏑木さんの挑戦は「NEVERプロジェクト」と題して、SNSを通して写真や映像を中心に随時発信されていく。便利な時代になった。鏑木さんがモンブランの山奥にいてもその勇姿が見られ、こちらからもメッセージが送ることもできる。

そのメッセージは鏑木さんに届くだろう。皆さんの送るメッセージは、鏑木選手が走り続ける想いの「総量」の一端を担えるのではないか、と私は思っている。

(鏑木毅プロフィール)
かぶらき・つよし 1968年生まれ。群馬県出身。群馬県庁に勤めていた28歳の時にトレイルランの大会に初出場し、初優勝。41歳でプロのトレイルランナーに。国内外の競技大会を制覇し、2009年、世界最高峰のウルトラトレイルレース「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(現UTMB)では世界3位に。現在は競技者の傍ら、講演会、講習会、レースディレクターなどを精力的にこなし、国内でのトレイルランニングの普及にも力を注いでいる。

(松田丈志プロフィール)
まつだ・たけし 1984年生まれ。宮崎県出身。競泳選手として、アテネ、北京、ロンドン、リオと4度、五輪に出場。北京での200mバタフライほか、4つのメダルを獲得した。引退後はキャスターとして水泳にとどまらず、幅広くスポーツを取材。『スッキリ』(日本テレビ)、『S-1』(TBS)の番組出演やコラム執筆などで、その魅力を伝えている。

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