ロッテが起こした応援革命。王貞治が激怒した桜吹雪の演出秘話

ロッテが起こした応援革命。王貞治が激怒した桜吹雪の演出秘話

  • Sportiva
  • 更新日:2020/09/15

◆前編:球場で流しそうめん、金田正一伝説など逸話の裏話

元ロッテ応援団員が語る「あの頃のロッテ」 後編

今では当たり前となっているホームとビジターで区分けされた外野席。選手と同じユニフォームを着用しての応援。それらは、中学3年生でロッテオリオンズの内野応援団員になり、長くロッテ球団職員としても勤務した横山健一氏の発案だ。

【写真】前編:球場で流しそうめん、金田正一伝説。元ロッテ応援団員が明かすトンデモ話

新しい応援スタイルはプロ野球の盛り上げに大きく貢献したが、そういった演出が、あの「世界の王貞治」を大激怒させたことも? それら事件も含め、横山氏にロッテ球団職員時代のエピソードを聞いた。

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2004年、試合前に笑顔で握手するロッテのバレンタイン監督(左)とダイエーの王監督 Photo by Kyodo News

――横山さんがロッテの球団職員になられたのはいつ頃ですか?

「1993年から、2015年までです。営業部、スタジアム部、TEAM26(千葉ロッテマリーンズのファンクラブ名称)のスーパーバイザーなど、さまざまな肩書きで働いていました」

――元応援団員である横山さんだからこそ思いついた、球場の運営手法やファンサービスは多々あると思います。そのひとつが、座席を目的に応じて区分けされたこと。そういった区分けがない時代は、トラブルが多かったんですか?

「昔の野球場はトラブルの宝庫でした(笑)。極端な話、何をやってもいい状態で、スタッフはいつも対応に頭を悩ませていましたね。わざと敵チームのファンが集まっている場所に行く人がいて、口ゲンカが始まるわけです。そういうことが多く、意図的にやっているんじゃないかと思う人も来る場所でした」

――そういったトラブルを回避するために、座席をエリアで区分けするアイディアが生まれたのですね。

「エリアを分けなければいけなくなったのは、熱心なファンが増えてきたこともあります。攻撃中は立ち上がって飛び跳ね、でっかい声を出して、拍手してっていう応援スタイルになったので。ただ、外野席には立ち上がらない人もいるわけで、『ゆっくり観たいのに、どうしてくれるんだ?』と毎日のようにトラブルが起きます。それで『外野席はがっつり応援するための席にしよう!』と提言したんです。

やるからにはビジター応援席も作ろうと、外野席をホームとビジターで分け、それぞれの応援団が活動できる台を作ることも提案しました。立ち上がって大きな声を出し、トランペットを吹いたりドラムが鳴ったりするので、『それをよしとする人だけの席にさせてください』と言って、徐々に定着していきましたね。まさか、それが球界全体に広がるとは思いませんでした」

――選手と同じユニフォームを着る応援スタイルも横山さんの発案ですよね?

「それ以前に、サッカーのサポーターがやっていましたけどね。1995年に(ボビー・)バレンタインさんが1回目の監督に就任した時に、ユニフォームがカッコいい白地の縦縞に一新されたこともあって、ファンクラブの特典でレプリカのユニフォームを作ったんです。それまでのファンはバラバラの格好で応援していましたが、多くの人が同じユニフォームを着るようになりました」

――ユニフォームといえば、横山さんはロッテオリオンズ内野応援団時代に、選手と同じユニフォームを着ていましたよね?

「(当時着用していたユニフォームを手に取り)背中にタグがあるんですが、これは1981年に背番号89の選手が着ていたユニフォームという意味です。よく見ると、背番号や名前のワッペンを剥がした跡があります。つまり選手の"おさがり"で、わざわざ応援団にくれていたんです。最高にあり難いですし、応援にも力が入りますよね。だから、選手と同じユニフォームを(応援団だけでなく)みんなで着ればいいじゃん!となったんです」

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応援団員当時のユニフォームを着た横山氏。太鼓には選手のサインが

――当時はJリーグが発足(1993年)したばかりですが、そこから得るものも大きかったですか?

「僕や当時の外野応援団も、Jリーグだけでなく、とにかくカッコいいものを取り入れようとしました。外野応援団の若い子は世界中をまわって、アイスホッケー、ヨーロッパのサッカー、メジャーリーグなどの応援を見て、すべて吸収して帰ってきた。それが、新しい応援スタイルの確立や、ファンの方が増えていく要因になりましたね。2002年にはロッテの応援団(千葉ロッテマリーンズを応援する人々)が、毎日新聞社が主催している『毎日スポーツ人賞』の『文化賞』をいただきました」

――ロッテの応援は一体感があり、ファンの熱も高いですね。1998年に18連敗した時は、大勢のファンがマリンスタジアムを取り巻いて声を上げていました。

「ファンが『俺たちの誇り』という歌をずっと歌っていたんです。『選手が出てくるまでそれを歌い続けるんだ』と、1時間以上も。当時の近藤昭仁監督や選手たちは暴動が起きていると勘違いして、それに巻き込まれるんじゃないかと心配していたので、『応援しているんですよ』と諭しました。いざ監督たちが外に出て行くと、ファンは拍手を送った。選手たちは期するものがあったんじゃないでしょうか」

―― 一体感を示す応援歌のひとつとして知られる「歓喜のテーマ」は、歌いながら肩を組むパフォーマンスが印象的です。

「ジン(ジントシオ:元ロッテの応援団員。現在は楽天の応援プロデューサー)がその歌を作った時に、『なんかしようぜ』という話をして出たのが、『学生野球っぽくしない?』というアイディア。僕は『だったら肩を組ませたら?』と発案しました。ファンがひとつになって応援しているのを選手に伝えるためには、それがいいかなと」

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――横山さんは球場の演出にも関わられていましたが、印象的なエピソードはありますか?

「2005年4月1日の、マリンスタジアムでのソフトバンク戦で『お花見ナイター』という企画があって、5回終了時に桜吹雪を飛ばすことになったんです。桜と葉っぱの形をした舞台演出用の紙があるんですが、それを山ほど買ってきて、送風機を置いてスタンドからグラウンドに向かってブワーっとやったんですよ。

当初はグラウンドに紙が入るとは思っていなかったんですが、浅はかでしたね(笑)。風が強くて全部グラウンドに入ってしまい......。しかも拾いにくい小さな紙だったので収集がつかず、竜巻みたいになって試合が中断しました」

――ソフトバンク側も戸惑ったんじゃないですか?

「当時のソフトバンク監督の王(貞治)さんがすごく怒ってしまって......。普段の王さんは温厚な方なんですけど、あの時は本気で怒っていましたよ。試合中断中に、ベンチ裏で『バカにしてるのか!野球をなんだと思っているんだ』と、ロッテの演出担当に対して大激怒。僕もその場にいましたが、あんな王さんは見たことがありません。とにかく人海戦術で、全部は無理でしたけど紙を取り除いて再開にこぎつけました」

――その頃のロッテは、第二次バレンタイン政権。バレンタイン監督といえば、ファンサービスのイメージが強く残っています。

「そこは徹底していましたね。少しでも時間があればサインをしていましたから。メジャーでの実績がある監督で、いつもニコニコしていたバレンタインさんが完全にマリーンズのイメージを変えたと思います。

ファンからも愛されていました。みんな1995年(ロッテをリーグ2位に導くも1年で解任)のバレンタインさんが好きだったし、いつか戻ってきてくれると思っていた。(1996年からバレンタインが指揮を執った)ニューヨーク・メッツを現地まで応援に行くファンもいたぐらいでしたからね」

――横山さんにとって、応援やファンサービスとはどういうものですか?

「保育園や小学校の運動会にしろ、高校や大学の野球にしろ、応援はなくてはならないエンターテインメントであり文化です。今は新型コロナウイルスの影響もあって拍手での応援が見直され、プロ野球のスタンドも1970年前半の雰囲気に戻っていますね。コロナ収束後も『このままでいい』となるか、『元に戻そう』となるかはわかりませんが、一つの転換期が来た感じがします。

ファンサービスは、いつでもファン目線じゃないといけない。昔、ロッテの名物ウグイス嬢になった谷保(恵美)さんと『どうしたらお客さんは楽しいのか。気持ちよく試合を見られるのか』と、アナウンスに関して語り合ったこともあります。独りよがりではダメ。球場がガラガラだったころを経験している僕らからすれば、お客さんがいることが当たり前ではないですから」

【プロフィール】
■横山健一(よこやま・けんいち)
1963年生まれ。東京都出身。ロッテオリオンズ内野応援団を経て、1986年にロッテ本社に入社。1993年~2015年は千葉ロッテマリーンズ球団職員(スタジアム部部長など歴任)。2018年~2019年は日本プロ野球OBクラブ事業部部長を務めた。

浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

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