『カリオストロの城』ルパンのジャケットが「緑色」のナゾ ヒントは“あのセリフ”にあった!

『カリオストロの城』ルパンのジャケットが「緑色」のナゾ ヒントは“あのセリフ”にあった!

  • 文春オンライン
  • 更新日:2020/11/20

もはや古典ともいえる1979年公開のアニメ映画『ルパン三世 カリオストロの城』。本作でルパン三世は、緑のジャケットを着ている。そこには本作ならではの明確な主張が込められている。

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『カリオストロの城』は、『ルパン三世』シリーズの映画第2作にあたる。前年の1978年にTVアニメ『未来少年コナン』で演出家として一本立ちした宮崎駿が初めて手掛けた映画作品だ。本作の監督を引き受けるため、宮崎はその時参加していた『赤毛のアン』を第15話で抜けており、これ以降、高畑勲監督の下でスタッフとして働くことはなかった。本作は宮崎が本格的に監督の道を歩み始める分岐点となった作品でもある。

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2019年には期間限定で4D版が全国の4Dアトラクションシアターで公開された不朽の名作『カリオストロの城』(公式HPより)

「緑」「赤」ルパン“ジャケットの色”のナゾ

『カリオストロの城』が制作されるに至るまでには様々な経緯があった。

まず1967年にモンキー・パンチが発表した原作漫画があり、それをもとに1971年に最初のTVアニメが制作された。当初は大隅正秋が監督し、アダルトなムードでスタートしたが、視聴率が上がらず方針転換が決まる。そこで中盤以降は宮崎駿と高畑勲が演出を担当(Aプロダクション演出グループ名義)することになり、2クールに3話足りない全23話で完結した。

この最初のアニメ作品が再放送で火が付き1977年に新たなTVアニメが始まる。後にさまざまなアニメが制作されることになる『ルパン三世』だが、1977年時点では新旧2つのTVシリーズしかなかったので、シンプルに1971年版は『旧ルパン』、1977年版は『新ルパン』と呼ばれ区別されていた。

『新ルパン』がスタートするにあたって新たに様々な要素が盛り込まれたが、やはり目を引く違いはジャケットの色が『旧ルパン』の緑から原作通りの赤に改められたことだろう。旧作の時、原作と異なる緑が選ばれたのは、当時のブラウン管TVでは赤の色が滲んで見づらかったからだという。

こうして始まった『新ルパン』は大ヒット作となり、3年も続く人気シリーズとなった。この人気を受けて1978年には劇場版第1作『ルパン三世』(吉川惣司監督。後に「ルパンVS複製人間」のサブタイトルがつけられる)が公開される。こちらは『旧ルパン』の序盤を彷彿とさせるハードな作品だが、ジャケットは『新ルパン』に準じて赤だった。

そして劇場版第1作の好評を得て第2作の準備が始まる。当初は「TVシリーズを何本か集めたような内容」(『カリオストロの城』作画監督の大塚康生の回想)だったというが、宮崎が監督を引き受けることになり、内容は全面的に改められた。おそらくその過程でジャケットの色も緑が選ばれたと考えられる。

『カリオストロの城』でルパンのジャケットが「緑」であるワケ

どうして『カリオストロの城』では緑ジャケットを選んだのか。それは本作が『旧ルパン』で描かれたルパン三世の“その後”を描いた作品であるからだ。これは単に「設定をそう定めた」ということではない。監督の宮崎が『カリオストロの城』のルパンを、『旧ルパン』で描かれた“青年時代”を振り返る年齢になった男として描き出そうとした、ということである。

ルパンというキャラクターはとても扱いが難しい存在だ。原作のモンキー・パンチがナンセンスやスラップスティックを好む作家のため、原作ではトリックのためのトリック(読者を驚かせるためだけに仕掛けられたトリック)がよく描かれる。そこでは、ルパンというキャラクターには盗みを行う動機などの内面は求められない。ただ、大胆な仕掛けの連続で読者を驚愕させていくための、粋な狂言回し。そのような徹底的な表層性こそが、原作のルパンの姿なのだ。

しかしそこまで表層的なキャラクターを映像作品の主人公にするのは難しい。映像作品のキャラクターには、もう少しドラマを内包した内面が必要だ。そこで『旧ルパン』の大隅監督は、原作から「アンニュイ」という要素を発見し、それをルパンというキャラクターの柱に据えた。人生に退屈した男が、倦怠を吹き飛ばして、生きている実感を味わうためにギリギリのスリルに身を投じる。それがルパンという男である、というわけだ。これは、死刑になるギリギリまであえて脱獄せず、そのスリルを味わおうとする『旧ルパン』第4話「脱獄のチャンスは一度」を見ればよくわかる。

一方で中盤以降を手掛けた高畑・宮崎コンビはそこに「アンニュイ」ではなく「ハングリー」を代入した。金はないけれど、おもしろそうなこと、刺激的なことに飢えていている青年。それは原作のルパンというより、高度成長の末期に漫画『ルパン』に熱狂した若者の姿に近い。それが『旧ルパン』の中盤以降のルパンのキャラクター像となった。

序盤のルパンがベンツSSKというクラシックなスポーツカーを乗り回していたのに対し、中盤以降はイタリアの大衆車フィアット500を愛用するという点にもキャラクターの解釈の違いが現れている(だからキャラクター性がまた異なるその後のシリーズでルパンの車がフィアット500で定番化していくのは、若干の違和感がないでもない)。

「10年以上昔だ。俺は一人で売り出そうと躍起になってた青二才だった」

では、『カリオストロの城』のルパンはどうか。

宮崎は、制作にあたって記した「ルパン三世・演出覚書」で「バカさわぎをやって笑わせてくれるルパンは彼の光の部分。だが、その側面しか見ないとしたら、ルパンは誇大妄想の精神病者にすぎない。光をささえている影ともいうべきルパンの真情が見えたとき、ルパンをはじめて魅力ある人物として理解できる」と書いている。かつて表層的な行動の裏側に「ハングリー」を代入したのと同じように、『カリオストロの城』のルパンにもそれにふさわしい内面を見つける必要がある。

『カリオストロの城』でそこに代入されたのは「中年」だった。宮崎は『カリオストロの城』制作のスタンスについて「はっきり中年の意識で作っているんですよね」(「アニメージュ」'81年1月号)と発言している。ハングリーな衝動に突き動かされた若き日は去り、金で買えるものには飽きてしまったルパン。ライターひとつとっても、使えるならば100円ライターで十分、食事もカップラーメンで構わないという実務的な男になっている。そんな中年になったルパンだから、国家ぐるみで製造される偽札・ゴート札の秘密よりも、囚われの少女クラリスを助けることのほうが大事になってしまう。

だから『カリオストロの城』のルパンは、敵役のカリオストロ伯爵に敗れ、大けがを負った時、「10年以上昔だ。俺は一人で売り出そうと躍起になってた青二才だった」という台詞とともに、ハングリーだった『旧ルパン』の時代を「若い頃」として回想するのである。もちろんそこでルパンが乗り回しているのはベンツSSKだ。また多くの人が知っている通り、回想の中でカリオストロ城に潜入しようとするルパンの姿は、『旧ルパン』のオープニングでサーチライトをかいくぐって走る姿そっくりに描かれている。

こうして緑のジャケットを選んだことによって、『旧ルパン』と『カリオストロの城』のルパンが、ひとりの人間の青年時代とその後という形で、ひとつながりのキャラクターとして観客の中に浮かび上がってくるのである。つまり、もう若くないルパンが、青年時代の落とし前をつけに再びカリオストロ城の「ゴート札」に挑もうとした姿を描いた作品が『カリオストロの城』ということになる。

そして青年時代の“借り”を返した男は、自分が中年になったことを受け入れていく。ルパンが中年になった瞬間。それは助け出した、少女クラリスを抱きしめようとして、それをこらえるあの瞬間だ。抱きしめたい気持ちをこらえながら、やせがまんをすることでルパンは中年になっていく。そこでは青年の本音を中年の自意識が押さえ込んでいる。あそこでルパンは名実共に自分が中年であることを受け入れ、そして映画は「完」のクレジットとともに、一抹の寂しさを残して締めくくられる。

ここにいるのはTVシリーズで“毎度おなじみ”となった、盗みをめぐるドタバタを演じてみせるルパンではない。ここには、ひとりの男が青年から中年へと変わる不可逆な瞬間が切り取られ描かれているのである。緑のジャケットはそんな彼の人生に寄り添うようにそこにある。普通シリーズものではそのようにキャラクターを変化させてしまうのは禁じ手である。だがその禁じ手を使ったからこそ、『カリオストロの城』は特別な作品として多くの人の記憶に刻まれたのである。

(藤津 亮太)

藤津 亮太

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