「名選手、名監督にあらず」の格言を実証したスーパースターたち

「名選手、名監督にあらず」の格言を実証したスーパースターたち

  • Sportiva
  • 更新日:2021/01/14

「名選手、名監督にあらず」。この格言がどのスポーツより当てはまるのが、サッカーだ――。

そう記したうえで、その例外となる存在、「名選手、名監督なり」と言いたくなるような面々を列記したコラム(※1月13日配信)に続いて、今回はまさに"格言どおり"という代表例に迫ってみたい。

◆日本サッカー界の「天才プレーヤー」と言えば?

格言になるくらいだから、絶対数ではこちらのほうが勝ることは間違いない。しかしながら、具体的な名前はそう簡単に出てこない。早い段階で、自らに監督としての適性がないと判断。監督の道を早々に断念するケースが多いからだ。

いくら元スター選手でも、監督として結果が出なければ「それとこれとは話が別だ」とばかりに、ファンやメディアは容赦ない批判を浴びせかける。現役時代、何かと持ち上げられることが多かった元スター選手にとって、これはつらい仕打ちになる。"俺様"的な振る舞いをしてきた、下手に出ることを知らない選手にとってはなおさらだ。

他の監督と同じように、結果が出なければ即刻クビ。精神的には、背負っている過去の栄光がむしろ災いとなる。

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サッカー界屈指の名選手、マラドーナ(写真左から2番目)。南アフリカW杯ではアルゼンチン代表監督を務めたが...

"名選手、名監督にあらず"を語ろうとしたとき、最もわかりやすい例は、ディエゴ・マラドーナ。現役選手としての実績は今さら説明するまでもないだろうが、W杯には1982年、1986年、1990年、1994年と4大会に出場。1986年メキシコ大会ではアルゼンチンを頂点に導いた。所属クラブではアルゼンチンのボカ・ジュニアーズ、スペインのバルセロナ、イタリアのナポリなどで活躍した世界的なスーパープレーヤーだ。

そんなマラドーナが、2010年南アフリカW杯にアルゼンチン代表監督として臨んだ。

就任したのは、2008年10月。アルフィオ・バシーレ監督の後任として、監督マラドーナはまずW杯南米予選に挑んだ。

監督経験は乏しい。薬物違反で出場停止中だった現役時代(1994年〜1995年)に、デポルティーボ・マンディージュとラシン・クラブの監督を務めたことはあったが、1997年に現役を退いてからは、一度もどこかのチームで采配を揮ったことはなかった。

その意味では、代表監督就任は無謀とも言える人事だった。

案の定、アルゼンチン代表は大苦戦。南米予選では南米枠(4.5枠)外の5番手に転落したこともあった。最終的にはなんとか4位で本大会出場を決めたが、そこで馬脚を現した。対戦相手に恵まれ、ベスト8に進出したものの、ケープタウンで行なわれた準々決勝で、ドイツに0-4という屈辱的スコアで大敗する。

2010年と言えば、リオネル・メッシの絶頂期だった。バルセロナでは2008-2009、2010-2011シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ(CL)を制していた。計6回受賞したバロンドールでも、2009年から2012年まで4年連続で受賞していた。

そのメッシを、マラドーナは中盤で起用。ポジションに制約のないフリーマン的な役を与えた。ローマのオリンピコで行なわれた2008-2009シーズンのCL決勝(対マンチェスター・ユナイテッド)で、時のバルサ監督グアルディオラがメッシをゼロトップで起用したのとは対照的だった。

守備力に問題のあるメッシをどこに配置したらリスクが少ないか。現場で見た者にとって、マラドーナのメッシ起用法は"ダメ監督のダメ采配"そのものに見えた。高い位置からプレスをかけてくるドイツの餌食になることは、戦う前からわかり切っていた。

戦前の予想がここまできれいに的中したケースも珍しい。マラドーナ監督が"名選手、名監督にあらず"であることを世に知らしめた一戦となった。

CL等の欧州サッカーを少し観察していれば、これは絶対に選択しない采配だ。アルゼンチンの監督は概して欧州的で、伝統的に優秀な監督を多く輩出している。アルゼンチン協会は、どうしてこの時、マラドーナを代表監督に据えたのか。アルゼンチンとライバル関係にある隣国、ブラジルを見ているようだった。

「ブラジルにいいサッカー監督は必要ない。その分、いい選手がいるから」。その昔、あるアルゼンチン人記者は、こちらにそうレクチャーしたが、2010年南アフリカW杯のアルゼンチンは、そうした意味でブラジル的だった。

欧州で活躍したブラジル人監督は数えるほどだ。最も有名なのはルイス・フェリペ・スコラーリ。2002年日韓共催W杯でブラジル代表を優勝に導いたあと、ポルトガル代表監督(2002年~2008年)に就任。その後、チェルシーの監督(2008-2009シーズン)も務めている。

もう1人は、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ。ブラジルの各クラブで数々のタイトルを獲得し、ブラジル代表監督でも手腕を発揮。その実績を買われて、2004-2005シーズンにレアル・マドリードの監督を務めた。

それぞれの評価は、ポルトガル代表を率いていた際、ユーロ2004で準優勝、2006年ドイツW杯で4位という成績を残している前者のほうが断然高かった。だが、ともに現役時代は名選手ではなかった。

有名選手では、1978年、1982年、1986年とW杯に3度出場しているブラジルの英雄、ジーコがいる。2006年ドイツW杯終了後、日本代表監督を退任したあと、フェネルバフチェ(2006年~2008年)、ブニョドコル(2008年)、CSKAモスクワ(2009年)、オリンピアコス(2009-2010シーズン)を率いた。また、イラク代表監督(2011年〜2012年)なども務めている。

現役時代はブラジルのサンパウロをはじめ、日本の鹿島アントラーズ、イタリアのミランなどで奮闘。1994年、1998年とW杯に2度出場するなどブラジル代表でも活躍したレオナルドも、ミランで1シーズン(2009-2010シーズン)、インテルで約半年(2010-2011シーズン)、監督を務めた。

2年程度で監督業からあっさり足を洗ったレオナルドとは対照的に、ジーコはトータル20年近く指揮官であり続けた。ただし、"名選手、名監督にあらず"――欧州の各クラブでは栄冠を手にしているが、少なくとも日本代表監督時代の4年間の采配を見る限り、そう言いたくなる。

日本にゆかりのある元名選手で、触れておきたい人物がもうひとりいる。ブラジル代表のキャプテンとして1994年のW杯で優勝し、その後、ジュビロ磐田でプレーしたドゥンガだ。

ブラジル代表監督として臨んだ2010年南アフリカW杯では、準々決勝でオランダに逆転負け。最大の敗因は、守備的MFフェリペ・メロがオランダの右ウイング、アリエン・ロッベンを踏みつけて一発退場に処されたことにあるが、それもこれも、構造的にブラジルがサイド攻撃で後手を踏んでいたことにある。

サイド攻撃重視型の4-3-3で臨んできたオランダに対し、クリスマスツリー型の4-3-2-1で応戦したドゥンガ率いるブラジル。ロッベンの活躍も試合の結果も、キックオフの瞬間から見えていた。

ドゥンガはここで"名選手、名監督にあらず"であることを露呈させたにもかかわらず、再登板を果たしている。100周年を記念して行なわれた2016年のコパ・アメリカだ。結果はグループリーグ敗退。大会後解任されたドゥンガは、以降、監督業から離れている。

"名選手、名監督にあらず"は、とりわけブラジルに当てはまる気がする。はたして、ブラジル人の名選手が監督として、欧州を舞台に鮮やかな采配を揮う日は訪れるだろうか。

杉山茂樹●文 text by Sugiyam Shigeki

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