“天皇の家”には宝物がないー「帝室博物館」の様式変遷と日本文化の真髄

“天皇の家”には宝物がないー「帝室博物館」の様式変遷と日本文化の真髄

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  • 更新日:2017/09/22
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妻側

東京上野公園にある東京国立博物館。日本最古の博物館と言われています。中でも屋根に特徴がある本館の独特のただずまいは、明治期から本館が建設された昭和初期まで、日本がたどってきた歴史の歩みを感じさせます。

建築家であり、多数の建築と文学に関する著書でも知られる名古屋工業大学名誉教授、若山滋さんが、かつて帝室博物館と呼ばれた東京国立博物館から、日本の文化を考えます。

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帝冠様式とは何か

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帝冠様式・全景

上野公園の中心は、日本の庭園には珍しく大きな広場で、中央に噴水をもつ池があり、その奥の正面に、東京国立博物館(旧帝室博物館)がゆったりと構えている。

壮大なシンメトリーは、何かしら奥深い威厳を感じさせないではいないが、そこに至るまで距離があるので、動物園や音楽会場や美術館周辺の人混みも、まばらになりがちだ。つまりこの博物館は、大勢の人が訪れるようにではなく、大勢の人が遠くから眺めるように立地設計されているものと思える。

現在の建物は、帝室博物館の時代、1931年に行われた設計競技によって選ばれた渡辺仁の設計になる。

水平に長い鉄骨鉄筋コンクリート二階建てに壮麗な傾斜瓦屋根が被せられ、これは建築界で「帝冠様式」と呼ばれる。軍国主義、国粋主義の機運が高まった1930年代には、このような近代的な技術による建築に、日本風の屋根を載せた様式が多く建てられた。

この設計競技の応募要項には「日本趣味を基調とした東洋式」とあり、前回取り上げた前川國男が、落選覚悟で陸屋根モダニズムの案を提出したのはこのコンペである。

設計者の渡辺は、建築関係者の座談会で「ジャワあたりの民族建築」から屋根のアイディアを得たと語っている。たしかに、両妻が反り上がり、大きい屋根の破風の下から小さい屋根が突き出るのは東南アジアの宗教建築によく見る手法だ。「アジアの盟主」たらんとするこの時代の日本には合っていたのだろう。正面入り口が唐破風ではなく千鳥破風となっているのは、日中戦争に突入した当時の日本趣味ということか。

ところが内部の、正面階段から両側に回り上がるエントランスホール、部屋の中央を突っ切って周遊するかたちの動線は、ベルサイユなどの宮殿の構成を踏襲している。つまりこれは「日本趣味、東洋式、ヨーロッパの宮殿様式」が折衷して建築化されたものと考えていい。

当然のことながら戦後、国粋主義的な匂いのする「帝冠様式」は批判の対象となった。

しかし、建築は時代の思潮を表現するものだ。筆者はあまり好きではないが(思想的なものというより設計者としての感覚)、西洋風からモダニズムへと転換した日本建築史において、この帝冠様式が独自の様式となって、現在の街並に異彩を放っているともいえる。

様式の変遷は思想の変遷

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東洋館

今は「トーハク」と略されるこの博物館の呼称は、明治以来「博物館」「帝国博物館」と変化し、長く「帝室博物館」と呼ばれ、戦後「東京国立博物館」に至っている。近代日本の国家思想の転変を感じさせるが、ここでは歴史的に呼び習わされた「帝室博物館」に固執したい。帝室とはつまり「天皇の家」である。

帝室博物館は、まず(博物館の時代)1881年、この欄でも取り上げた日本近代(洋風)建築の父ともいうべきイギリス人建築家ジョサイア・コンドル(日本人を妻として永住した)によって設計された。コンドルらしいインドイスラム風の要素をもつ赤煉瓦の建築である。日本人の目にはもちろん洋風建築であるが、ヨーロッパ人の目には東洋風の趣があり、英国世紀末のロマン主義につながる系譜にある。

やがて1908年、本館の横手に(大正天皇の成婚を記念し)宮内省の建築家片山東熊の設計による、まったくの洋風建築(現表慶館)が建てられる。片山は赤坂の迎賓館の設計者でもあり、ベルサイユやバッキンガムなど、西欧列強の宮殿風建築を設計した。明治政府の要人たちが望んだものは、コンドルの作風よりもむしろこちらであったろう。しかし当のヨーロッパでは、建築はすでにモダニズムの時代に突入していたのであり、その意味で、やや時代遅れの感は免れない。

そして1931年のコンペで選ばれた渡辺仁設計による現在の建築が1937年に竣工している。近代技術による、日本、東洋、西洋を折衷した帝冠様式である。

戦後、東京国立博物館と呼称が変わり、1968年、表慶館の反対側の横手に、谷口吉郎設計による寝殿造の趣をもつモダニズム建築の東洋館が建てられ、1999年、少し奥に吉郎の子息谷口吉生の設計による現代モダニズムというべき法隆寺宝物館が建てられた。

このように、博物館―帝国博物館―帝室博物館―東京国立博物館、という名称と建築の変遷は、まさに、明治から現代に至るまでの、わが国の思想と文化の変遷を物語っているのだ。

日本文化に博物館はふさわしくない

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エントランスホール

さて、博物館内部の展示を見てまわった印象はどうだろうか。

たしかに貴重なものが多く展示され、一周すれば日本文化の歴史的概要を理解することができる。しかしもうひとつ感動がない。外国人観光客の表情にも、大日本帝国の栄光が蘇ることへの期待が外れたことからくる疲労の色が読み取れる。

一方、ロンドンの大英博物館、パリのルーブル美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館などを訪れると、古代エジプト、メソポタミア、ギリシャ、ローマ、中世イスラム世界などから蒐集した膨大なコレクションに圧倒される思いがする。ロゼッタストーン、ハムラビ法典、エジプトのスフィンクスやミイラの棺、アッシリアのライオン狩りのレリーフ、ミロのヴィーナス、サモトラケのニケ、などなど。しかし考えてみれば、それらはすべて、帝国主義時代の植民地などから略奪するようにして集めてきたものだ。この三つを「三大泥棒博物館」と呼ぶ人もいる。

またかつては蹂躙された、古代中世文明の現地、カイロ、アテネ、イスタンブール、北京(故宮)、西安、上海、台北(故宮)などの博物館も、今では充実して相当の宝物を陳列している。またそういった歴史的帝国以外の地にある博物館も、それぞれの風土的民族的特徴をもつ美術品を展示して独自の興味をそそる。

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良寛の書・とてもいいものだが

こういった世界の博物館に比較して、帝室博物館=東京国立博物館の展示物には迫力がないのだ。ヨーロッパの宮殿が展示する、金銀の調度品や宝石の王冠も見られない。

他の王家を圧倒する長い歴史をもつ天皇家と、一時は大東亜の盟主として君臨した帝国であるにもかかわらず、その栄耀栄華を忍ばせる宝物はまったくといっていいほど存在しない。

見すぼらしいであろうか。
いや決して見すぼらしくはない。

そういった宝物の無さこそ、日本の誇るべき「帝室=天皇の家」の文化的特質である。

日本文化と天皇家の本質は、宝物にあるのでなく、むしろそれが無いことにある。宝物をもたない精神にある。日本史における天皇の立場は、他国の歴史における皇帝や王たちとは異なる性格のものであり、日本の帝国主義も、欧米列強のそれとは異なる性格のものであった。もし天皇の家が金銀財宝に満ちていたら、先の敗戦で途絶えていたのではなかろうか。

本当に「帝室の美」を発見しようとするなら、むしろ桂離宮や伊勢神宮に足を運ぶべきであり、日本人の心をとらえた「もの」を見ようとするなら、奈良や京都の仏閣に足を運ぶべきだ。離宮の庭に見られる「自然美の情緒」と、仏像に込めた「ものづくりの魂」こそ、日本文化の真髄である。

日本文化と天皇の家にとって、博物館はふさわしくない。ましてや帝国主義もふさわしくない。

軍国時代の政府の要人たちは、その本質を理解していなかったのかもしれない。

地図URL:http://map.yahoo.co.jp/maps?lat=35.7189116&lon=139.7764534&z=18

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