東京・芝浦にあった巨大な敷地「都電のクリニック」 修繕車両が並ぶ58年前路面電車の全盛期

東京・芝浦にあった巨大な敷地「都電のクリニック」 修繕車両が並ぶ58年前路面電車の全盛期

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  • 更新日:2022/05/14
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車両検査棟で整備を終えた車体が台車入れを待っていた。左の834は早稲田車庫の配置で15系統専用形式。右の3142は錦糸堀車庫の配置で、28・36系統などで稼働した。(撮影/諸河久:1964年1月15日)

1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は「都電のクリニック」ともいえる東京都交通局電車両工場を紹介しよう。

【58年前、芝浦工場内などの貴重な写真の続き(計7枚)】*  *  *

港区芝浦の旧海岸通り南端の埋め立て地に、東京都交通局電車両工場(正式名称が「でんしゃりょうこうじょう」/以下、芝浦工場)が所在した。四方を海と運河で囲まれた「長崎の出島」のような立地だ。中学生の頃、正門のあった船路橋を渡って工場の中を覗くと、入り口から数歩入ったところに解体寸前の乙100型が鎮座していた。強面の守衛のおじさんに撮影の許可を求めたが、見事に門前払いされた思い出がある。

交通局の資料によると、芝浦工場が設置されたのは1920年10月で、当初は浜松町本工場の支場として開設した。1923年9月の関東大震災では被災を免れ、震災後に焼失した本工場などの機能に自動車修繕業務を併設した本工場に昇格した。

第二次大戦中に海軍専管工場として施設を供用されるなどの混乱期を経て、1960年代には約1200両の都電の修繕を受け持つ全盛時代を迎えている。

■「都電のクリニック」を訪ねて

芝浦工場に初めて入場できたのは、高校に進学した1963年の初夏だった。旧在籍車両の図面を閲覧するのが訪問目的だった。学校帰りの土曜日の午後のこと、カメラを持たない「丸腰」で入場したのは迂闊だった。現場で多少ネゴれば、数枚のスナップは可能だったはずだ。

翌年1月、試作の弾性車輪を見学する名目で芝浦工場の撮影許可が下りた。冒頭の写真が、訪問時に撮影した車両検査棟で台車入れを待つ都電群だ。オーバーホールを受けて灰色に塗られたD10台車が画面右隅に写っている。

次のカットが見学目的の試作弾性車輪。都電は5500、6500型の8両と7020号1両に弾性車輪を使用していたが、撮影した車輪がどの形式に用いられるのかは未定だった。大阪市電や京都市電では、防振防音対策としてかなりの両数に弾性車輪が使用されていたが、都電では上記の9両の他には普及しなかった。

1960年代に入ると、1947・1948年度に製造された6000型の車体陳腐化がはなはだしくなり、大規模な更新修繕が実施されることになった。

次の写真は更新修繕中の6000型で、車体外板をすべて張り替えるリニューアル工事が進捗していた。そのため車体番号が不詳だったが、窓上帯の形状から日本建鉄が1948年に製造した6045号と推察される。ちなみに、同車は1950年から1971年まで南千住車庫に配置され、南千住~新橋などを結ぶ22系統で活躍した。晩年は荒川車庫に転属し、1972年11月に退役している。

■広大な規模の芝浦工場

掲載の図面は1961年当時の芝浦工場平面図で、敷地面積は60265平方メートル、建築総面積は20652平方メートルという広大な規模の修理工場だった。図面左端が正門に通じる船路橋で、その南詰め右側に守衛所があった。場内には車両移動用のトラバーサーが2基あり、1952年から営業を開始したトロリーバスの修繕も担当していた。

写真はトラバーサーで移動される入場中の都電で、この7032号は荒川車庫に配置され、1970年1月まで稼働した。廃車後は函館市電に譲渡され、同市電1000型として函館の街でも活躍した。画面左端には工場内入換牽引車の工(こう)1型が写っている。芝浦工場内でしか見られない希少な都電車両で、その詳細は次号で紹介しよう。

■都電の新造や改造にも携わった

芝浦工場は都電の検修や更新修繕ばかりではなく、新造や改造も手掛けている。大正期の400、4000型や戦前の1000型に始まり、戦後は6000型20両を筆頭に、7000型4両、2500型2両を製造している。

写真は芝浦工場最後の新造車となった2500型で、1958年に2501、2502の2両が竣工した。車体はモノコック構造により約3トンの軽量化が図られ、車体剛性も向上している。軌間1067mmで敷設された杉並線の木造車両置換え用に投入された。杉並線廃止後は改軌工事を経て、1964年4月から荒川車庫に再配置され、後年荒川線となる27・32系統で使用された。晩年は早稲田車庫に転属したが、1968年9月に退役している。

芝浦工場では車内混雑の緩和策として、小型ボギー車の車体を延伸する改造工事に着手している。

最後の写真が1500型の原形となった試作改造の1300型1301号で、1955年に出場している。1933年製の旧1016号の側窓2個分を延伸。車体長は10mから11.62mとなり、定員は64名(座席定員16名)が96名(座席定員24名)に増加した。翌年改造された旧1104号の1302号と共に錦糸堀車庫に配置され、1967年に退役するまで終始江東地区で稼働した。ちなみに、1200型を同仕様に改造した1500型は、6年後の1961年に登場している。(次回に続く)

■撮影:1964年1月15日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの軽便鉄道」(イカロス出版)など。2021年12月に「モノクロームの私鉄電気機関車(共著)」をイカロス出版から上梓した。

※AERAオンライン限定記事

諸河久

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