
1941.9.21 藤田嗣治が描いた「戰闘」と題された空戦画。藤田は第1次大戦の前からパリに住み、日本画の手法を取り入れた独特の色味の作品で評価を高めた。第2次大戦勃発後に帰国し、陸軍報道部からの要請で戦争画を描いた。41年の真珠湾攻撃以降、表紙には勇ましい絵が掲載されることが増えていった
週刊朝日が創刊されたのは、1922(大正11)年2月。翌年に関東大震災が起き、その3年後には大正天皇が逝去した。31年の満州事変以降、日本は戦争の時代を迎える。
本誌の表紙から、激動の近代史が浮かび上がってくる。
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■大正末期から昭和初期
皇族の登場頻度が高く、当時の国民の関心の高さがうかがえる。愛新覚羅溥儀、訪欧飛行を成し遂げたパイロットたち(訪欧四勇士)に交じり、慶応大学の投手も。
■満州事変勃発後
日の丸を掲げて走る装甲列車など、戦時色の強いものが登場するように。一方で、女性兵士や女性投手のイラスト、ミス・ニッポンの着物姿が彩るなど、まだのどかだ。
■真珠湾攻撃から敗戦まで
1940年代になると軍事色はいっそう強まり、一流画家による戦争画が増えた。中には藤田嗣治が描いた空戦画も。戦況が悪化すると、国民への檄が載るように。
次回、第2弾戦後編に続きます。
※週刊朝日 2021年2月26日号