東京の「大物ヤクザ」が死去...「六代目山口組若頭」はじめ全国の“重鎮”たちが弔問に集結

東京の「大物ヤクザ」が死去...「六代目山口組若頭」はじめ全国の“重鎮”たちが弔問に集結

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  • 更新日:2022/05/14
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2014年ごろ、会合に出席した松山元会長

東京・歌舞伎町に本部を置く指定暴力団、極東会。警察庁によると、勢力範囲は東京、埼玉、山形など1都12県に渡り、構成員は390人に及ぶ(2021年)。

その極東会を長年、治めてきた松山真一元会長が、5月7日に死去した。9日に一報が流れると、関係者の間で衝撃が走ったという。暴力団関係者が語る。

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「極東会は、的屋系としては全国で唯一の指定暴力団で、“名門”の組織。そこで長年、会長を務めた松山元会長は大物ヤクザでした。健康にも気をつけていたようで、94歳で死去したのは大往生と言っていいでしょう。

なにしろ、全国の組織のトップで松山元会長より古い人はいませんでしたからね。まさに、的屋系のヤクザでは最後の重鎮。2015年に会長職を退きましたが、それ以降も、極東会の実質的なトップは松山元会長のままでした。警視庁も事実上のトップは松山元会長だと見ていましたからね」

松山元会長は1990年に会長に就任し、数団体に別れていた組織をひとつにまとめた。その際、組織名を「極東関口会」から「極東会」に改めたのだ。以来、2015年に会長職を退くまで25年間、会長職を務めた。

「松山元会長は、若いころは喧嘩が強くて有名だったと聞いています。ですが、会長に就任する前から、抗争が続いた関東の他団体との関係を築き、争わない方針を打ち出していました。『堅気に迷惑をかけたくない』ともよく言っていたそうですよ」(暴力団に詳しいジャーナリスト)

松山元会長は最後まで、かつて極東会の本部があった池袋を愛したという。元会長を知る別の暴力団関係者はこう話す。

「松山元会長が安置されているのは足立区の自宅ですが、死去したのはそこではなく、豊島区内の家だったと言います。

松山元会長は、極東会の事務所が以前あった池袋をこよなく愛していました。自宅ではなく豊島区に住んでいたのは、池袋から離れたくなかったのかもしれないですね」

大物の死に際し、松山元会長の自宅には、全国から組織のトップクラスが続々と弔問に訪れた。

「関東の住吉会や稲川会、松葉会などの親戚団体は、亡くなった直後から祭壇に供花を出して幹部が弔問に訪れました。愛知や大阪、福岡、沖縄からもトップクラスが訪れています。これほど全国から組織の重鎮が集まることは、異例のことです。

その中でもひときわ注目されていたのが、六代目山口組のナンバー2である高山清司若頭の弔問です」(前出・暴力団関係者)

国内最大の暴力団「六代目山口組」が2015年に分裂し、「神戸山口組」を結成してから7年、抗争は現在も続いている。

「六代目山口組としては、ナンバー2である高山若頭が弔問することで、極東会との関係を、松山元会長の死後も一層、強固にしたいという意図があるのかもしれません」(同前)

それほどの影響力を持った松山元会長の死去。その余波は、東京に収まらず広がっていく可能性もあるという。

「戦後の歌舞伎町をまとめたのは極東会だといわれていますが、現在でも、極東会は新宿・歌舞伎町や池袋の繁華街に大きな勢力を持っています。松山元会長の死去で、極東会の結束力が弱まるのでは、と危惧する声もあります。そうなれば、他団体も巻き込んで新宿や池袋の勢力図が変わる可能性もあります。

また古い組員らは、元会長の死去をきっかけに堅気になる人も出てくるでしょう。古参の組員にとっては、今回の訃報は親がいなくなるのと同じ意味ですからね……」(同前)

松山元会長の死によって、ヤクザ界の「ひとつの時代」が終わったということかもしれない。

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