夏未登板もスカウトが熱視線。大型左腕・千葉葵(滋賀学園)が復活するまで【前編】

夏未登板もスカウトが熱視線。大型左腕・千葉葵(滋賀学園)が復活するまで【前編】

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  • 更新日:2020/09/17

8月に甲子園で行われたプロ志望高校生合同練習会に参加した最速142㎞/h左腕の千葉 葵。1年夏を最後に公式戦のマウンドから遠ざかっていたが、合同練習会では力強いストレートを披露した。

表舞台から姿を消していた2年の間に何があったのか、そしてプロを目指すきっかけについて語ってもらった。

県外で実力を試すべく滋賀学園へ

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インタビューに応じる千葉葵

「お前がマウンドに立つ姿を見てみたい」と祖父に言われたことがきっかけで、小学1年生から野球を始めた。全てにおいて左利きの千葉は5年生から祖父の願い通りに投手としてのキャリアをスタートさせた。

中学生になると、「強いところでやれば、自分も成長できると思った」と地元・神戸の強豪チームである神戸中央リトルシニアで野球を続けることに決めた。3年夏のリトルシニア選手権では4強入りを果たしたが、千葉の立ち位置は4、5番手投手。エースは神村学園で昨夏の甲子園に出場した田中 瞬太朗が務めていた。

当時から最速134㎞/hを投げていたが、「制球力がなかった」と振り返る。また、打撃重視のチームだったことも千葉にとっては出番を増やせない要因になっていた。

だが、決して実力がなかったわけではない。「県外の強いところに行って自分を試したい。親元にいると甘えが出ると思ったので、県外を選びました」と高校は地元を離れて滋賀学園に進むことを決めた。

「同じ左投げで凄い投手がいましたし、周りの野手も今まで以上にレベルが高くて、ついていけるか心配でした」と不安を抱えて高校野球生活をスタートさせたが、1年春からベンチ入り。2回戦の安曇川戦で公式戦デビューを飾った。

「緊張で頭が真っ白になって、あまり覚えきれていませんが、振り返ってみると、自分らしいピッチングができたかなと思います」

順調なスタートを切り、夏の大会でもベンチ入りを果たす。準々決勝までは出番がなかったが、準決勝の綾羽戦で同点の9回裏に登板。

9回、10回は走者を出しながらも無失点に抑えたが、味方が1点リードした直後の11回裏は先頭打者に四球を出した後、2ボールとなったところで降板。その直後にチームは逆転サヨナラ負けを喫してしまった。

「良い経験ができましたけど、当時の3年生をもう1勝させてあげることができなかったので、今でも悔いが残っています」

千葉葵の復活までの道のり

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ピッチングをする千葉葵

夏の悔しさをバネに今後の活躍を誓ったが、秋の大会を前に千葉の体に異変が起こる。腰に痛みを感じるようになり、かばいながら投げ続けたことで症状が悪化。病院で診断された結果、腰椎分離症になっていることが判明した。

腰の骨にヒビが入っており、満足に歩けない日々が続く。その間は当然、練習に参加することができず、打撃練習のマシン入れなど、雑用をこなすことしかできなかった。

2月には練習に復帰できるようになった。しかし、練習できなかった間に大幅に筋力が落ちており、2年生の間は「全然結果が出なかった」とBチームでしか試合に出ることができなかった。結局、故障前の投球を取り戻すのに丸1年かかったという。

千葉にとっては苦しい時期が続いたが、怪我をしたことで学んだこともある。まずは食事面を見直した。寮では他の選手と同じものを食べるが、練習の帰りにコンビニに寄って食品を購入。食べる品数を増やし、炭水化物やタンパク質を多く摂ることで、故障しにくい体作りを目指してきた。

こうした努力の甲斐もあり、今年の春には公式戦に復帰できる自信を持てるようになっていた。しかし、新型コロナウイルスの感染が広がり、春季大会は中止。「自分のやってきたことを見せる機会がなくなったので、悔しいという気持ちが一番に出てきました」と無念さを滲ませた。

今回はここまで。次回は夏の独自大会、そして合同練習会の話を中心に語っていただきました。次回もお楽しみに!

(取材=馬場 遼)

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