《控訴しない方針》池袋暴走「人をいっぱい轢いちゃった」飯塚幸三被告の履歴書

《控訴しない方針》池袋暴走「人をいっぱい轢いちゃった」飯塚幸三被告の履歴書

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/09/15

自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死傷)で禁錮5年の判決を言い渡された飯塚幸三被告(90)が、「判決を受け入れ、罪をつぐないたい」と話し、控訴しない意向であることが分かった。検察側も控訴しない見込みのため、16日の控訴期限を過ぎれば、実刑が確定する。

【写真】プリウスのフロントが大破した事故現場

旧通産省の工業技術院長だった飯塚氏は、2019年4月19日、東池袋の大通りを約150メートルにわたって暴走し、死亡した松永真菜さん(31)と長女・莉子ちゃん(3)など、8人の通行人を引き倒した。事故について取材した当時の記事を再公開する。(初出:週刊文春2019年5月2・7日号、年齢、肩書等は掲載時のまま)。

また、あわせて松永さんの夫・拓也さんの手記「慟哭手記『二人に会えて幸せだったよ』」を、「週刊文春 電子版」で無料公開する。

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「物凄い先生ですよ。計量学の権威なんです。何とも言えない毛並みの良さもあって。1カ月前に計量史学会の会議が神楽坂の日本計量会館でありました。その時も飯塚先生だけ車で来ていて、会館に横付けしていた。ただ、歩く時は杖をついていて、会議後、先生に『ちょっと肩押さえてくれ。押さえてくれないとまずいんだ』と言われ、肩を支えて車まで行ったんです。前に『先生、よくこんな細い路地のところを運転できますね』と聞いた時には、『段差のある所は転ぶから嫌で。車を運転した方が楽なんです』と言っていたんだけどね……」(日本計量史学会副会長の黒須茂氏)

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旧通産省の飯塚幸三元工業技術院長(87)が自家用車のプリウスで東池袋の大通りを約150メートルにわたって暴走したのは、4月19日正午過ぎ。8人の通行人を引き倒し、自転車で横断歩道を渡ろうとしていた松永真菜さん(31)と長女・莉子ちゃん(3)の死亡が確認された。

「警視庁が押収したドライブレコーダーに同乗していた妻から『危ないよ、どうしたの』と言われ、『あぁ、どうしたんだろう』と答えている飯塚氏の声が残っていました。事故直後、飯塚氏は息子に錯乱状態で電話し、『アクセルが戻らなくなり、人をいっぱい轢いちゃった』と話していたそうです」(社会部記者)

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飯塚元院長(ブログ「『計量計測データバンク』とその情報」より)

今回の事故を引き起こすまでの飯塚氏の経歴は、それは華麗なものだった。

旧制浦和高校、東京大学工学部を卒業後、1953年に通産省に入省。技術畑を歩み86年、傘下に13の研究所と約3000人の研究者を抱える工業技術院長に上り詰めた。

院長時代の年収は2000万円弱

通産省時代の同期で田中角栄元首相の秘書官でもあった、小長啓一元通産事務次官が振り返る。

「工業技術院長は技術職としては最高のポスト。飯塚さんは傑出した能力、調整力、リーダーシップを発揮していました。第一次石油危機の際には、再生エネルギーなどの議論を進める『サンシャイン計画』に関わっていたと思います」

院長時代の給与は、年収2000万円弱。当時の退職金は3000~4000万円程度だったという。元工業技術院総務部長、大野隆夫氏が証言する。

「飯塚氏は、工業技術院などのOB組織『産工会』の会長も務めていた。毎春、如水会館でパーティを開くのですが、その会を取り仕切っていたのが、博士号も持つドクター飯塚です」

いわば“通産省技系官僚のドン”だった飯塚氏。89年6月の退官後は一般社団法人機械振興協会副会長を経て、92年、農具最大手のクボタに専務として三顧の礼で迎え入れられた。

「00年、代表取締役副社長を最後に退任するまで研究開発を舵取りしていました」(クボタ関係者)

71歳になった飯塚氏は02年3月、板橋区の新築分譲マンションへと引っ越し。価格は約4500万円だったが、通産省やクボタ時代の退職金などを元にキャッシュで購入したと見られる。この地で飯塚氏は同い年で誕生日も9日違いの妻と2人、“セカンドライフ”をスタートさせた。

血のついたズボンをクリーニング店に

妻は音楽が趣味で地元の合唱サークルに入っていた。一方の飯塚氏も学生時代から合唱を続け、パートはテノール。工業技術院長時代には院長室に豪華なステレオセットを置くほどだった。

飯塚家と親交のあるクリーニング屋店主が明かす。

「最寄り駅から奥さんと相合傘で肩を抱いて歩いていたので、本当に愛妻家なんだと思いました。2~3年前、奥さんが夫婦お揃いの音符のマークの入ったユニフォームを持ってきて『これ、(年末の)第九のコーラスの時に着たのよ』と言っていましたね」

クボタ退社後も数々の名誉職を歴任した飯塚氏。15年11月には、長年の功績が認められ、瑞宝重光章を受章した。その叙勲祝賀会が催されたのは、同年12月11日のこと。84歳になっていたが、前出の黒須氏によれば「足もピンピンしていた」という。

学会関係者も、80代半ばを迎えているにもかかわらず、飯塚氏には“現役感”があったと語る。

「ゴルフ好きで、ラウンドを重ねていました。2年前、飯塚さんが85歳の時に回ったのが最後でしたが、その年齢でスコアは100ちょっと。若々しいものでした」

飯塚氏が免許を更新したのもちょうど2年前。75歳以上が義務付けられている認知機能検査で、記憶力や判断力に問題はないと判定されていたという。

ところが――。

「昨年10月頃に、奥さんが血のついたご主人のズボンを持ってきたんです。『どうしたんですか』と聞くと、『マンションの中で転んで膝を擦り剥いて』と言っていて。この頃からだいぶ弱ってきた感じでした」

前出のクリーニング屋店主はそう振り返る。

我がままで自分勝手だから

前後して、飯塚氏は「転倒して眼鏡が壊れちゃった」と周囲に語り、杖をつくようになっていたという。

「年が明けてからは、バックで車庫入れする際に何度もハンドルを切り直しては失敗し、そばにいる妻から細かな指示を受け、ようやく駐車をしていたといいます」(前出・社会部記者)

体力低下を痛感していたのか、今年3月に入り、複数の理事職を一斉に退きたい意向を漏らしていた飯塚氏。

「後任の提案も受けました。体力的にきつかったのではないか。周囲には『もう車の運転もやめようかな』と言っていたようです」(前出・学会関係者)

それでも、ハンドルを離すという踏ん切りはなかなかつかなかった。飯塚氏はかつて家族全員がB型であることを挙げながら、

〈B型家族ってね、皆我がままで自分勝手だから大変なんですよ。ぶつかり合うと喧嘩はするする、すごいですからねー〉(「時評」88年12月号)

ひざ掛けを車の中に入れておくからと…

と語っていた。運転は飯塚氏に残された数少ない“現役”の仕事、最後の“我がまま”だったのか——。

「18日の昼3時頃、奥さんが赤と緑のタータンチェックのひざ掛けを持ってきたのです。『洗って車の中に入れておくから』って。まだ運転するんだ……と意外に思いました」(前出・クリーニング屋店主)

その翌日、飯塚氏は事故を起こしたのだった。

胸部に怪我を負った飯塚氏は現在、新宿区内の医療センターに入院している。捜査を担当する警視庁交通部は飯塚氏の回復を待ち、現場への立ち会いを求める方針だという。

「証拠隠滅や逃亡の恐れがなく、高齢のため身柄事件(逮捕)にはしない。過失運転致死傷の疑いで書類送検し、在宅起訴する見通しです」(捜査関係者)

松永さんの夫はこうコメントを寄せた。

「当たり前のように一緒に生きていけると思っていた大切な2人を失い、失意の底にいます。家族で静かにお別れしたいと思います」

足が悪かったにもかかわらず、運転をやめられなかった飯塚氏。幼い子どもとその母親の命を奪った罪はあまりに重い。

「週刊文春 電子版」では、松永さんの夫の手記を掲載した記事『池袋暴走事故 夫・松永拓也さん「慟哭手記」「二人に会えて幸せだったよ」を、限定無料公開しています。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2019年5月2・9日号)

「週刊文春」編集部

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