コスモスポーツは世界に勝った! 「悪魔の爪痕」を乗越えた夢のロータリーエンジン

コスモスポーツは世界に勝った! 「悪魔の爪痕」を乗越えた夢のロータリーエンジン

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  • 更新日:2022/06/23
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わが国の歴史に残るスポーツカーといえば、いくつも名前が挙がってくるけれど、ひとつ、マツダ・コスモ・スポーツは他に類をみないロータリー・エンジンを搭載したモデルとして忘れられない。

マツダが社運を賭けて実用化した最初の完成品がコスモ・スポーツ。その実用性を実証してみせるために、まだプロトタイプ状態の1台がモーター・ショウの会場に姿を現わし、当時の社長が広島まで走ってみせた。

居合わせた人びとを驚かせただけでなく、当時不安視されていた耐久性を証明したという伝説の持ち主でもある。

文/いのうえ・こーいち、写真/いのうえ・こーいち、MAZDA

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■ヴァンケル・ユニットの実用化

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1967年に市販車として登場したマツダ コスモスポーツ。革新的なロータリーエンジンの採用と未来的なフォルムから現在もファンが多い

当時の西ドイツ、NSU社の持っていたエンジンに関わるライセンス提供を受け、技術提携に調印したのは1961年のこと、である。

当時はまだマツダではなく、東洋工業という社名であった。フェリクス・ヴァンケル博士(1902~1988)が発想し、NSU社と共同研究で実用化一歩手前、というところまで辿り着いたエンジン。

それをどこがいち早く実用化するかということは、当時の自動車会社のなかではちょっとした話題であった。従来のピストンの往復運動によるエンジンとはまったく異なり、ハウジンクのなかを「オムスビ形」のローターを回転させてパワーを得る。

理論的にはロスが少なく、部品点数も押えられて軽量コンパクト、それでけっこうな性能が期待できる、というのだから画期的であった。実用化競争は昨今の電気自動車競争のようなものだった。

一時は20社ほどが手を挙げて、日産はサニーに搭載したり、メルセデスは4ローターのエンジンを搭載したプロトタイプを発表したし、シトロエンもGSにロータリーを載せたプロトをつくったりした。近年は、NSU社を傘下に収めたアウディがEV用にロータリー・エンジンを持ち出して注目を浴びている。

そんななか実用化して、それを搭載したいくつものモデルを送り出し、世界一のロータリー・ブランドとして名を挙げたのは、ほかならぬマツダであり、そのはじまりを告げるモデルとしてのコスモ・スポーツは、やはり忘れられない、記憶にとどめておくモデルにちがいないのだ。

■2ローター、491cc×2

最初、1963年の第10回「全日本自動車ショウ」に飾られたのは、400ccの1ローターと2ローターの2種のエンジンの試作品であった。エンジンだけで、車輛はパネルだけの展示だった、という。そのショウに冒頭に紹介したプロトタイプで登場し、広島の工場まで自走してみせたというのだから、まあ、話題としてはこのうえないほどのものだったことが想像つくだろう。

「東京モーター・ショウ」と改称された翌1964年の第11回のショウでようやくプロトタイプが展示されたが、つづく第12回、第13回も飾られたのは市販車ではなくプロトタイプ。ようやく最後のプロトタイプ展示に「来春市販予定」の表示が出され、1967年5月にそれは実現したのだった。

それだけエンジン開発には手間がかかったということを物語っている。コスモ・スポーツ発売より前にNSUヴァンケル・スパイダーが市販されたが、それは1ローター・エンジンで耐久性を含め多くの問題を抱えていた。ロータリ・エンジンは理論だけで実用にならない、そんな定評さえつくりかねない状況だったのだ。

そうしたバックグラウンドもあったものだから、コスモ・スポーツの完成度の高さはそれこそ世界が注目、賞賛するものになった。世界初の「実用、量産ロータリー・エンジン」という形容がしっかり与えられた。

最終的に市販までの間にエンジンは491cc×2ローターになっており、当初はマツダ・コスモだった名前もコスモ・スポーツ(英語綴りはsport)に変化していた。

実用化されたエンジンは110PS/7000r.p.m.と発表された。先のヴァンケル・スパイダーは500ccで50PSとされていたから、そこそこのパワーではあったが、もっと性能アップの余地があると噂され、それは1年ののちに実現することになる。

■後期型コスモの進化

コンパクトで高性能なロータリー・エンジンのメリットを活かし、コスモ・スポーツは低いボンネットのスタイリングを実現、しかもフロント・ミドシップというようなレイアウトで登場していた。

初期型のエンジンは10A型と呼ばれ、前述のように110PS。それでも、低く軽量な2シーターのボディを最高速度185km/hまで運ぶ、と謳われた。

それが1年後、マイナーチェンジとともにひと回り進化してみせる。エンジンは128PSにまでパワーアップ。カタログデータの最高速度も200km/hにアップした。排気量その他に変更はなく、ポートタイミングの最適化などのチューニングアップで得られたという。

じつはエンジンよりも車体内外のチェンジの方が実質的であった。フロント周りのデザイン変更などがチェンジのポイントとして知られるが、ホイールベースが150mm延長されて2350mmに、トレッドも拡大され、タイヤなどもしっかりサイズアップされた。つまり、この時期の技術的進化を貪欲に盛り込んだ結果、と印象が強い。

考えてみれば、マツダは乗用車生産に乗り出したばかり。「軽」のマツダR360クーペの発売が1960年。それと同時にロータリー・エンジンの実用化に取り組み、ようやくにしてコスモ・スポーツで完成させてみせたところだった。

コスモ・スポーツ以後、ファミリア・ロータリー・クーペ、サバンナなどが送り出され、RX-7など世界で注目された人気車も送り出している。2012年6月、RX-8の生産終了とともに途絶えているロータリー・エンジン搭載車。だがマツダの名とともにロータリーは永遠に忘れることができない。

【著者について】
いのうえ・こーいち
岡山県生まれ、東京育ち。幼少の頃よりのりものに大きな興味を持ち、鉄道は趣味として楽しみつつ、クルマ雑誌、書籍の制作を中心に執筆活動、撮影活動をつづける。近年は鉄道関係の著作も多く、月刊「鉄道模型趣味」誌ほかに連載中。季刊「自動車趣味人」主宰。日本写真家協会会員(JPS)

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