
天皇誕生日の一般参賀に訪れた人たちに手を振る愛子さま
悠仁さまは、皇位継承順位2位にある。いまの皇室典範に則れば、若い世代で唯一の皇位継承者である。悠仁さまは、幼い時期からご両親と国内の土地を訪ね、そこに暮らす人たちと触れ合い文化を学んできた。天皇陛下が昔から、ご友人に「自分の足で現地に行き、自分の言葉でじかに、人びとと話をすることを大事にしたい」と語ってきたように、悠仁さまも自身の足で土地を歩き、学びを積んでいる。
※記事の前半<<16歳の悠仁さまを執拗に批判する社会は正しいのか? 幼い時期から各地に足を運び風土を学ぶ「帝王学」の芽>>から続く
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平成の天皇、皇后両陛下が行ってきた慰霊の旅が令和にも引き継がれたように、悠仁さまも戦争の歴史と犠牲について学んできた。
秋篠宮ご夫妻が心を寄せてきた学童疎開船「対馬丸」の犠牲者を慰霊する集いや、沖縄戦の犠牲者を追悼する集会などにも参加してきた。7歳のときにはご両親と一緒に、沖縄本島南部の糸満市摩文仁にある「平和の礎」を訪れた。ご両親は、24万人余りの名前が刻まれた石碑を前に、この土地で起きた凄惨な犠牲について説明をしている。
10歳の冬には、ご両親と長崎県の原爆の爆心地にある「原爆落下中心地碑」に供花をした。長崎原爆資料館で熱線や爆風の被害を学んでいる。
翌年の夏には、東京・小笠原諸島を訪れた悠仁さま。美しい自然とともに戦争の痕跡がいまだ残るこの地で塹壕や軍道、軍用トラックなどが残る戦争の痕跡もめぐった。
11歳の夏を迎えた2018年の8月10日。広島市の平和記念公園を初めて訪れ、原爆死没者慰霊碑に拝礼し、被爆者の体験を聞いている。
5日後の終戦記念日。秋篠宮ご夫妻は、昭和史研究者・半藤一利氏を宮邸に招いた。半藤氏は、悠仁さまに戦争について話している。
悠仁さまは、半藤氏にこう問いかけた。
「どうして日本に原爆が落ちたのか」
「なぜ戦争になったのか」
秋篠宮さまは「統帥権」について質問した。秋篠宮さまはこのとき、皇位継承順位2位。親子で学ぶ姿がそこにあった。
かつて皇室で皇太子や親王を導いた「傅育官(ふいくかん)」は、いまはいない。しかし、悠仁さまは幼いころから長い時間をかけて「帝王学」を身につけているのだろう。
前述のように、ご両親と公務の場に同行する経験も積んでいる。
一方で、皇室制度にも詳しい八幡和郎・徳島文理大学教授は、悠仁さまは「もっと公的な場に出る機会を積まれるべきだ」と話す。
「というのも、昭和天皇や上皇さまも御幼少の時期から、御学問所で天皇にふさわしい教養や知識を学んでいます。しかし、海外王室との親善や対応を行うという点では、宮内庁による教育は限界がありました。そこで宮内庁は、皇太子の時期に海外を訪問する機会を設けて実地で学びの場をつくったのです」
かつて、元老の山県有朋や原敬首相は、裕仁(ひろひと)皇太子(昭和天皇)も海外で学ぶべきであると勧めている。
「将来の君主として、皇太子が大戦後の欧洲各国を巡遊し、世界の大勢を審(つまび)らかにし、各国の君主・元首と交際して交誼(こうぎ)を厚くすべし」
裕仁皇太子は19歳だった1921(大正10)年3月から6カ月の間、英国やフランスをはじめとする欧州各国を訪れた。そこで目にしたのは、第1次世界大戦による犠牲の跡だ。
英国軍の多大な犠牲を出したベルギーの激戦地を目にした裕仁皇太子。深い衝撃を受け、英国王のジョージ5世にこう電報を送っている。
「『イープル戦場ノ流血凄惨』ノ語ヲ痛切ニ想起セシメ、予ヲシテ感激・敬虔ノ念、無量ナラシム」
フランスでも、破壊された街と荒廃した森を目にした。裕仁皇太子はその光景を嘆き、現地紙に、「戦争を讃美(さんび)し、暴力を謳歌(おうか)する者の眼には如何(いか)に映ず可(べ)きか」と、談話を寄せた。
戦後、昭和天皇としてこのときの欧州訪問を、こう振り返っている。
「英国国王ジョージ五世から立憲政治のあり方について聞いたことが終生の考えの根本にある」
上皇さまも父と同じ19歳の皇太子だった53年、エリザベス女王の戴冠式に昭和天皇の名代として参列するため、欧米を訪問している。上皇さまは、還暦を迎える93年の誕生日会見で、当時をこう振り返っている。
「英国の女王陛下の戴冠式への参列と欧米諸国への訪問は、私に世界の中における日本を考えさせる契機となりました」
53年という年は、第2次世界大戦に敗れた日本が国際社会に復帰した翌年で、日本や日本人を見る世界の目はまだまだ厳しかった。19歳の青年だった明仁親王にとっては、そのあと長い友情を育むことになる各国の王族との出会いの場であると同時に、英国民の冷たい視線にさらされた場でもあった。
前出の八幡教授は、こう話す。
「昭和天皇も上皇さまも皇族として海外王室との親善の旅に出たのは、ともに19歳でした。悠仁さまも、天皇家の長女として公務を担う愛子さまも早いタイミングで、どんどん海外で学び同世代の王室メンバーと人脈を築く経験が必要だと思います。さらには、おふたりとも国民に聞こえてくる動静が少なすぎる点は気になります。たとえば英エリザベス女王が王女時代、紛争で家を失った子どもたちに向けてラジオ放送で演説を行ったのは1940年、わずか14歳のときでした。悠仁さまは皇位継承者として、愛子さまは皇室を支える内親王というお立場です。学業優先とのご家庭の方針は、もっともです。しかし、ご両親とともに公務に同席し、ご経験をもっと重ねるべきではと感じます」
悠仁さまも来年の9月には、18歳の成年を迎える。在籍する筑波大学付属高校は超が付くほどの進学校だけに、旅となれば受験勉強との兼ね合いも難しいところだ。
ただ、若い世代の唯一の皇位継承者であることも現実である。悠仁さまの成長と教育に関心が集まっている。
(AERA dot.編集部・永井貴子)
永井貴子