「第二次世界大戦以来、最大の危機」 中欧の小国スロヴァキアを襲った「コロナ第二波」の衝撃

「第二次世界大戦以来、最大の危機」 中欧の小国スロヴァキアを襲った「コロナ第二波」の衝撃

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2020/11/22
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スロヴァキアは東北地方から福島県を除いたくらいの面積に、兵庫県の人口に近い550万人が暮らす中欧の小さな国である。日本での認知度は高いとは言えず、1989年に社会主義体制が崩壊してまもなくチェコと分離して30年が過ぎたいまなお、「チェコスロヴァキア」と言ってはじめてわかってもらえることがある。

国土の4割近くを農地が占める農業国だが、 人口1人あたりの生産量世界第1位に位置づけられるほど自動車産業が盛んで、フォルクスワーゲン、ポルシェ、アウディ、プジョー、シトロエン、ランドローバー、起亜の製造工場がある。当初は安価な労働力を求めての進出だったが、ていねいな仕事ぶりが認められ、意外な高級車の生産ラインを設けるメーカーもある。

2020年のパンデミックはこの小さな国をも容赦なく巻き込み、翻弄してきた。春の第一波はほとんど無傷で乗り越えたものの、夏休みに規制を緩めたのが一因し、9月にはじまる第二波では感染者が急増する。

経済損失の大きいロックダウンが迫られるなか、世界初となる国を挙げての一斉コロナ検査をおこない、収束をはかろうとしている。首都ブラチスラヴァに暮らす一市民の目線から、スロヴァキアのコロナ対策を2回に分けてルポする。

後編はこちら→世界初!360万人が受けたスロヴァキアの「全国一斉コロナ検査」、現地で味わった混乱と希望

非常事態宣言の発令

バスに乗るアニメのキャラクターの顔に、スロヴァキアの国旗をコラージュした一枚の戯画がSNSに出回ったのは3月6日のことだった。地図が組み合わされ、国境を接するチェコ、オーストリア、ハンガリー、ウクライナ、ポーランドに赤字で大きく「コロナ」と記され、「私の身が危ない」との台詞が添えられた。

事実、周辺国で感染が広がっても、スロヴァキアでは感染者が不思議と出なかった。理由をめぐり、プラハやウィーンとちがって見所がないから観光客があまり来ないとか、強いスピリッツを飲んでいるから消毒済みだなどと冗談を言い合った。

皮肉なことにその日のうちに、ブラチスラヴァの住人から一人目の感染者が出た。52歳の男性で、子どもがイタリアに行っていた。すぐさま市当局は市民の命と暮らしを守り、状況は正しく伝えるとの声明を発表する。以来、行政がSNSを通じて発信する情報は的確かつ簡潔で、外国人である私でも逐一状況を正確に把握できた。

それからの動きは迅速だった。3月いっぱい、街は事実上、封鎖され、学校が休みになった。公共交通機関は車両も停留所も防護服を着た人たちに消毒された。確定申告の時期に役所は電話のみの対応になるが、去年から申請が全面的に電子化されたのでとくに影響はなかった。

3月11日に世界保健機関(WHO)がパンデミックを宣言したのに合わせ、スロヴァキアは憲法にもとづく非常事態宣言を発令する。目的は公衆の健康を危険にさらす事態の防止および軽減のため、必要な措置を講じること。慌ただしく国境が封鎖され、越境する列車やバス、飛行機がすべて運行を取りやめた。

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緊急事態宣言下のブラチスラヴァ旧市街。

この国にはマスクの習慣がまったくといっていいほどない。それにもかかわらず、非常事態宣言が出た日、マスクをしている人をスーパーで見かけ、驚かされた。しかも工具店で粉塵防止用として売られる、フィルター付きのいかついマスクだ。

警察は「恥ずかしがらないで」とマスクの着用を呼びかけ、大統領のズザナ・チャプトヴァー(47歳)はマスクと服の色をコーディネイトするなど、お洒落に着こなす見本を示した。

当初はどこにも売っていなかったので、学生らがボランティアで布製のマスクをつくっては近隣に配った。私の住む地区では1万世帯に2枚のマスクが、毎月の区報とともになんの予告もなく配布された。ひとつは手づくりの布製、もうひとつはスロヴァキアの会社が開発したというフィルターを使ったサージカルマスクだった。地区の予算で用意され、1セット4.84ユーロ(1ユーロ=124円、2020年11月11日現在)との会計報告が区報に載っていた。

医療崩壊を防ぐために

3月16日、今度は緊急事態が宣言される。「非常」と「緊急」という言葉のちがいだけなので混合してしまったが別のもので、戦時の徴兵に通じる強い法律だと説明された。このため必要とされる範囲で必要な期間に設定される。

ここでは病院に限られ、医療関係者は出勤を拒否することも、ストライキを行うこともできないように規制され、病院の機能が麻痺するのを防いだ。医学生や定年した医師を動員することも可能になる。食料品店や銀行など生活に欠かせない店舗を除いてすべて閉鎖され、タクシーは運行できなくなった。郵便の配達も最低限になり、ダイレクトメールや日本からの国際郵便が止まった。それもこれも人との接触を最小限にしてウイルスの拡散を防ぎ、医療崩壊を防ぐためである。

住民は家に留まり、街は静寂に包まれた。いつもは渋滞する道も往来がぴたりとやんだ。食料品の買い物に出かけるのは許されたがマスクの着用が義務づけられ、だれもがするようになった。スーパーは中に入れる人数を制限し、65歳以上だけが買い物できる時間帯を設けた。パニックを避けるために物流を途絶えさせない最大限の努力をすると告知し、実際、初日こそ売り切れて空になる棚もあったが、なんでもきちんと入荷するのが周知されてすぐに解消された。なにかが大きく値上がることもなかった。

それもこれもスロヴァキアの医療が脆弱なのを、市民のだれもがわかっているからだった。まんがいちの救急医療は万全なものの、ちょっとお腹が痛いくらいの曖昧な理由で専門医に診てもらおうとしても、予約が一杯で診察は半年先だったりする。イタリアでは命の選択が迫られていると報道されるなか、この国で感染が広がったらたいへんなことになるのはリアルに思い描けた。

まずは公助

通常通りに営業できなくなり、途方に暮れた小売店やレストランに対し、国のトップたちは「知恵を絞って乗りきろう」と励ました。それでレストランは弁当のテイクアウトを工夫し、小売店はオンラインショップを整備した。タクシーは買い物代行をはじめた。法整備の必要なものもあるはずだが、たいていのことは話し合いで解決できるのがこの国のよさだ。

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閉鎖されたオープンして間もないフードコート。

働きたくとも働けない状況のなか、既存の社会保障制度からなんらかの休業補償が用意されるだろうと思っていた。月々支払う社会保険料は「高齢者年金」だけでなく、「疾病保険」「労災保険」「失業保険」などが複合的に構成され、生きていくうえでだれもが陥りかねない問題を広くカバーしている。

緊急事態がはじまって2週間後の3月29日、「ファースト・エイド」と名づけられた休業補償の概要が案の定、発表された。会社に対しては雇用を守るために給与の80%、最大月1100ユーロが、また自営業者に対しては事業の維持を目的に、売上げの減少に応じて最大月540ユーロが支給されるとのことだった。片やスロヴァキアの給与の月平均である約1000ユーロに、片や最低賃金である580ユーロに近しい額となっている。

社会保険の未加入者を含め、どの条件にも当てはまらない者には、ほぼ無条件に月210ユーロを支給する「SOS補助金」が人道的な観点から用意された。申請は住所、名前、個人番号、電話、振込先を指定の用紙に書いて郵送する、きわめて簡単なもので、申込から2週間足らずで入金した。中途半端な金額は、国の定める最低生活費に相当する。

管轄は労働・社会政策・家族省で、国家予算とEU基金を組み合わせて財源とした。決して大きな額ではないが、先の見えないコロナ禍にあって、それが毎月決まって振り込まれ、せめてもの救いになった。工場や事務所、レストランやショップの賃貸料の免除を求める声が高まり、半額が補助されることものちに決まる。

封じ込めに成功

我慢に我慢を重ねた甲斐あって感染はほとんど広まらず、ドイツやイギリスなどへ出稼ぎに行って帰ってきた人の家族やロマ集落、老人福祉施設などでクラスターが散発的に発生する程度ですんだ。4月末までにスロヴァキアでコロナに感染して亡くなったのは23人で、100万人あたりの死者数がEU内でもっとも少ない国のひとつだった。隣国もポーランドが9位でチェコが10位と健闘したことから、中欧はコロナの封じ込めに成功したと世界的に注目された。

日常生活が徐々に戻り、病院に対する緊急事態宣言は6月13日に解除される(ただし非常事態宣言は現在も継続中)。さっそくパンデミックの終わりを告げるお祭り騒ぎが隣国から伝わってきた。プラハでは観光名所のカレル橋に机を515メートルもつないで集まった者が思い思いに飲み交わす、「コロナさよならパーティー」が盛大にひらかれ、夏休みを海辺で楽しむために臨時列車が運行されるのも決まる。観光に依存している街なので、少しでも早く遅れを取り戻したいとの焦りが感じられた。

前のめりなチェコに対し、スロヴァキアはおっかなびっくり、しばらく様子を眺めていた。ひとつの国だったとは思えないメンタリティにちがいを感じる瞬間だが、この組み合わせが「チェコスロヴァキア」という国をかつてかたちづくっていた。

海辺で過ごす夏休み

長らく休んでいた店がはじまり、ブラチスラヴァの街は少しずつ目覚めていった。店の入口にはマスクをして、手を消毒するなどの対策を示すシールが貼られた。暑くなって外ではマスクをしなくてよくなったが、屋内では着用を義務づけられた。

海のないスロヴァキアでは、夏休みをクロアチアやギリシャ、トルコにある海辺の街で10日から2週間、のんびり過ごす人が多い。

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トルコの黒海沿岸にある海水浴場

そんななか感染者の出ているリスク国に行った場合は指定のサイトに登録する必要があるとのSMSが7月21日に国から全国民へ送信される。海外に行った人から再び感染者が出はじめていたためだが、深刻度に応じて地域ごとに対策を講じる方針のもと、注意が喚起されるくらいで大きな動きはなかった。

9月の新学年まで2週間に迫ってようやく、子どものいる家庭は国境を越えず、国内に留まるように推奨される。1日あたりの新規感染者が100人を越える日もあり、生徒を学校に迎える準備が慎重にはじまった。どのように対面授業をするか、幼稚園、小学校低学年、高学年別に対策を紹介する映像もつくられた。

こうして学校が無事に開校し、街の生活はなにごともなかったかのように元に戻っていった。朝夕の通勤渋滞がはじまり、バスも混んだ。子どもたちは学校帰りに公園で遊び、パネラークと呼ばれる団地の住人はベンチに座って井戸端会議をしていた。夜な夜な客が飲んで騒ぐ店もあった。外でマスクする人はほとんどいなくなっていた。

緊急事態宣言中にあたる第2四半期は前年比-12.1%まで落ち込んだ国内総生産も、第3四半期は-2.4%に持ち直した。しかし、スロヴァキアの産業構造はほとんどが中小零細で、大手は海外からの進出企業に限られる。スーパーも外国資本ばかりだ。

心機一転、店を改装したり、新たにチェーン展開をはかる積極的な店もあるにはあった。しかし、休業補償では焼け石に水なのが実際で、近所を見渡しても、人気のピザ屋や愛想のいい金物屋、アダルトショップさえいつのまにか店じまいしていた。どこも資金が底をつき、追い詰められていた。

第二波がはじまる

9月になっても例年になく暖かな日がつづき、すっかり気が緩んでいた。「SOS補助金」も9月いっぱいで終わり、このまま収束するとの楽観的な空気が漂っていた。だが、その裏で1日あたりの感染者は300人台から400人台、500人台と急激に、猛烈に増えていた。

正確な理由はよくわからない。おそらく夏休みに国内外へ旅行したのと、夏休みが終わって世の中が動き、人と人が接触しだしたのが大きな要因だろうと見られる。秋には第二波がくると早い段階から警告されていたにもかかわらず、第一波を最小限で食い止めた成功体験から、油断していたのもたしかだった。こうなればこうすればなんとかなると思い込んでいたのである。

このときチェコでは1日の新規感染者が3000人台になり、医療崩壊は時間の問題だと言われはじめた。スロヴァキアはチェコを2週間遅れで追っているかたちなので、感染をここで抑え込まなければ手に負えなくなる。イゴル・マトヴィチュ首相(47歳)は危機感を募らせるが、それでも国境での検査が現実的だとして、封鎖には躊躇していた。とくにチェコとは経済的な結びつきがいまも強く、行き来が多い。

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イゴル・マトヴィチュ首相

第二次世界大戦以来、最大の危機

10月1日、2度目の緊急事態が宣言された。しかし、3月のときのような緊張感はなく、交通量はほとんど変わらなかった。在宅勤務に対応できる会社は限られ、春の合い言葉だったステイホームは聞かれなくなっていた。だれもがもうぎりぎりで、休んでなんていられない。年内には半数のホテルやレストランが廃業すると予測され、政府のコロナ対策に対する激しいデモも起きた。

やはりまずは公助で、10月14日に新たな休業補償の施策「ファースト・エイド・プラス」が発表される。給与補助は据えおかれたが、自営業は最大月810ユーロに大きく増額され、 そこから実際の売上げを引いて申請する簡易な計算方法が認められた。前年同月比で売上げが何%下がったかではしっくりこない働き方もあるからだ。

文化関係者は「ファースト・エイド」の枠からはずされ、プロジェクトに対する助成金が文化省から用意されただけだったが、今回からアスリートとともに対象になった。「SOS補助金」も月300ユーロにアップし、引きつづき10月分から用意された。ただし学生はアルバイトができなくなっても対象外になった。

1日あたりの新規感染者が1000人になるのがターニングポイントと見られていたが、越えたと思ったら春には使われなかったロックダウンという言葉がマトヴィチュ首相の口から出た。しかし、3週間ロックダウンした場合の経済損失は20億ユーロと推定され、回復基調にあるなか、なんとしても避けたい。

こうしたなか、10月17日、首相は全国一斉にコロナ検査をおこなうと発表する。目的は単純にだれが感染しているか、だれが感染していないかを調べたうえで対策し、コロナを封じ込めた最初の国になること。「ミッション・インポッシブル? ノー」と首相は映画のタイトルに託して英語でSNSに書き込み、理解を求めた。

感染者がとくに多いいくつかの地方でおこなうパイロット・テストまでわずか6日。それから検査の意味をめぐり、はたまた全国一斉検査かロックダウンかをめぐり、「第二次世界大戦以来、最大の危機」(マトヴィチュ首相)を前に、方針が二転三転する日々がはじまる。

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