【エッセイ】戦力外通告を受けた元ヤクルト捕手「あの時打てなかった自分」を許せず野球を避け続け...人生を変えたのは転職先の社長の言葉だった 第十六回男と生きづらさ(2)

【エッセイ】戦力外通告を受けた元ヤクルト捕手「あの時打てなかった自分」を許せず野球を避け続け...人生を変えたのは転職先の社長の言葉だった 第十六回男と生きづらさ(2)

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  • 更新日:2022/11/25

野球を避けていた元選手 自分を「赦す」きっかけになったのは…

それを考えると、「ただ働くこと」は高橋さんの中で、いわば野球からの「逃避行」であったのかもしれない。がむしゃらに働くことで、かつて野球選手だった過去から逃れようともがいていたのだ。野球から目を背けていた高橋さんだったが、ふとした瞬間、思い出したくない「野球」に触れることもあった。不動産の営業マンは、査定のため顧客の家に入る機会が頻繁にある。すると、部屋の中に何気なく置かれていたバットや、プロ野球の応援グッズが思わず目に入ってしまう。高橋さんは、野球に関するモノを見るだけで、胸が苦しくてたまらなくなった。
そんな高橋さんだが、大きな転機となった出来事があった。それは、プロ引退後10年が経った頃だ。プロ野球選手時代の話を渋る高橋さんに、前述の不動産会社社長はこう言ったのだ。
「高橋。お前、野球を辞めてから、ずっと野球が嫌いなままなんだろ」
ギクリとした。その言葉があまりにも図星だったからだ。社長は言葉を続けた。
「誰でも終わりがいつかはくるんだよ。だけどお前のこれからの人生はプロ時代に比べて長い。ずっと続くんだ。逆にそれを売りにしたらみんな胸襟開いてくれるよ。物事の考え方を変えたほうがいい」
そうか、と思った。社長の言葉はどこまでも温かく、高橋さんに響いた。
「社長の言葉で、そうか、もう過去の自分を赦してもいいんだって思えた。その頃からプロ野球選手だった自分は凄かったのかもしれないと思うようになりました。プロ野球に行くのは相当難しくて、3年続けるのも大変なんですよ。それを4年やった自分は頑張ったなと初めて思えるようになったんです」
自分を赦すとは、「あの時打てなかった自分」、「取れなかった自分」を認め、そのまま受け止めることでもある。言葉で言うのは簡単だが、それはとてつもなく大変なことだったのではないか。そう感じた。

なぜあの時踏ん張れなかったのか 後悔が人をがんじがらめにする

私が高橋さんの話で印象的だったのは、「なぜ、あの時打てなかったのか」という後悔の言葉だ。野球という競技は、個人個人への選手の責任が重大なスポーツだとつくづく感じる。ほんの一瞬の判断、反射神経がチームの明暗を分ける。正確に言うと野球に限らず全てのスポーツ、いや、人の人生そのものが、重大な分岐点の積み重ねであるとすれば、なおさらそうなのかもしれない。人生でなぜ、あの選択をしなかったのか、ああすれば良かったという後悔は、誰もが一度は経験しているはずだ。
多くの人にとって人生は判断を間違えたり、負けたりすることの連続だろう。私は仕事柄「孤独死の現場」という極北から社会を見つめてきたが、取材の過程で自分自身を「赦せず」苦しんできた人と遭遇することが多かった。なぜあの時、頑張れなかったのか、なぜあの時、もっと踏ん張れなかったのか、なぜ、なぜ――。そんな後悔は、人をがんじがらめにして離さない。それは、時として、立ち上がれないほどのボディブローとなって人を打ちのめす。しかし、だからこそ、誰もが勝ち続ける人生を送れるわけではない、と言いたい。そんな思いに支配された時に、どう自分と向き合うかの方が、重要なのだと思う。私は高橋さんの「その後の人生」から、自分を「赦す」ことの大切さを教えてもらった気がするのだ。
それから、高橋さんはガラリと変わった。社長のアドバイスを受けて、名刺に「元プロ野球選手」と入れることにした。変化はすぐに起きたという。初対面の顧客と野球話で盛り上がることがぐっと増え、仕事の契約も増えていった。振り返らないと決めて封印した、プロとしての過去。野球に対する割り切れなさ、激しい愛憎。大好きだったのに、いつしか大嫌いになっていた野球――。しかし、過去の自分を「赦す」ことによって、そんな野球への思いが、氷解していったのだ。

勝ち負けじゃない野球が今は楽しい 元プロ野球選手が語る「その後の人生」

高橋さんは今の仕事に、プロ時代に共通点を感じるようになったという。
―――最近、草野球を始めたんです。
そう言いながらにっこりと笑ってくれた。それは、最初に会った時に見せたあの笑顔だ。
「お客さんから頼まれて野球を教えたり、少年野球を教えに行ったりしてるんですよ。週末になると毎週、草野球をやってますね。今まで勝負の野球だけの人生だったけど、初めて勝負じゃない野球を始めてみることにしたんです。昔は打てなかったり、勝てないときは悔しさがあったけど、今は試合で失敗しても飲みに行ってみんなと笑いあえる。全く野球をやったことない人もちょっと教えると、みるみる間に上達するのも見ていて嬉しい。勝ち負けじゃない野球、それが今は、楽しいんです」
もちろん僕も昔みたいには、打てないんですけどね――。
今グラウンドに立つと、その視線の先にあるのは、野球が好きだという純粋な気持ちだ。そこに宿るのは、野球への愛である。その思いにプロもアマも関係ない。高橋さんは「その後の人生」を生きていくうちに、そんな境地にたどり着いたのだと思う。私は、かつての自分を赦し再び野球と向き合っている高橋さんに、「本物の強さ」を垣間見た気がした。
高橋さんと別れた帰り道、私の脳裏をよぎったのは、同級生の高校球児たちだった。遠い記憶の彼方――。甲子園を目指して彼らは来る日も来る日も、バットを握り続けていた。剛速球の先輩のいるチームは心強く、私たちは甲子園も夢じゃないと思っていた。もし甲子園に進んだら、学校一丸となってバスを出して応援する、顧問の教師からはそんなプランまで飛び出してたっけ。誰もが奇跡が起こるかも、起こって欲しいと願っていたと思う。しかし奇跡は起こらなかった。結局、先輩はその日送球が悪く、地区予選であえなく敗退した。翌年も、予選で敗退。負けが決まったその日、教室で目を真っ赤に充血させた球児たちを、私たちは出迎えた。彼らは泣いていた。女子も先生も、みんな、みんな、泣いていた。
彼らも夏の甲子園が終わると、就活や進学の準備、はたまた女子との恋愛やら(!)で多忙となり、グラウンドに立つことはめっきり少なくなった。その後、私と高校球児のクラスメイトとは、散り散りになった。進学した同級生は少なく、地元の電気屋を継いだ者、郵便局に就職した者、自衛隊に入隊した者等々、それぞれ社会人としての道を歩み始めたのだ。

菅野久美子

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