工藤公康と伊東勤に与えた幻想。野村克也は西武ナインを不安にさせた

工藤公康と伊東勤に与えた幻想。野村克也は西武ナインを不安にさせた

  • Sportiva
  • 更新日:2020/11/23

黄金時代の西武ナインから見た野村克也
第3回 「敬意」

【工藤公康は、戦う前から疑心暗鬼になっていた】

【写真】華やかに踊るプロ野球の美女チアリーダーたち【40枚】

野村克也の掲げる"ID(Import Data)野球"に石毛宏典や秋山幸二が反発したのに対して、現ソフトバンク監督・工藤公康、そして現中日ヘッドコーチ・伊東勤は、いずれも野村に対する称賛、敬意を示した。例えば「戦前のヤクルトの印象は?」という質問に対して、工藤はこんな言葉を残している。

「僕は"ID野球"というものがどういうものか知りませんでした。だから戦前は『僕らが気づいていない隙を突かれるのではないか』『特徴やクセを見抜かれているのではないか』といった不安がありました」

No image

黄金時代の西武を支えたキャッチャーの伊東勤(左)と、投手の工藤公康(右) photo by Sankei Visual

戦前から、相手に「特徴やクセを見抜かれているのではないか」と警戒させる凄みが野村にはあった。さらに工藤が続ける。

「自分たちが気づいてない弱点を見抜かれているかもしれない――。それは、野村さんがパ・リーグでも、セ・リーグでも監督をやられていたし、あれだけ野球を研究している方だからそう感じたんだと思います。あの時の日本シリーズは、野村さんを見て、そして司令塔である古田(敦也)を見て試合をしなくちゃいけない。そんな印象を持っていたような気がします」

「選手同士ではなく、相手監督と勝負しなくてはならない」。それが工藤から見た野村克也だった。

「もちろん、西武だってデータを駆使して、相手打者ひとりひとりの対策は講じていました。単なる数字だけではなく、足や守備など、数字に表れにくいものに関しても詳細なデータを出していた。でも、『ヤクルトの場合はもっと細かいんじゃないのかな?』と思っていましたね」

戦う前から、工藤の中で「野村克也」という幻想は強大に膨れ上がっていた。相手を疑心暗鬼にさせる監督、それが野村克也だった。

【森祇晶と野村克也による「伊東勤評」】

No image

長らく西武の正捕手を務めた伊東 photo by Hasegawa Shoichi

現在、中日のヘッドコーチを務め、当時は西武黄金時代の"司令塔"として存在感を発揮していた伊東勤が、1992(平成4)年の日本シリーズ直前の心境をこう振り返った。

「何度も対戦しているジャイアンツであれば、そういう意識もなかったと思うんですけど、正直、ヤクルトというチームに対する意識はそんなに高くなかったと思います。少し油断していたというのか、『そこまでやれるチームではないだろう』という思いもあったと思います。ただ、選手どうこうというよりも、やっぱり"野村さん"という存在が気になっていたし、『どういう人なんだろう』という思いはありました」

やはり工藤と同じように、伊東も日本シリーズ開幕前の時点で「野村克也」の存在を脅威に感じていた。一方の野村は、伊東に対して、こんな印象を述べている。

「伊東については、森監督に悪い先入観を植えつけられていたんです。私がまだ評論家だった頃、森が監督になった時に『伊東というキャッチャーはどうなんだ?』と尋ねたら、『どうしようもないキャッチャーだ』と言っていたんだよ。それがずっと脳裏に引っかかっていて、ついついそういう目で見てしまっていたんだよね。森はどうして、そんなことを言ったのかな。自分との比較だったのかな?」

野村はこんな言葉を口にしていたが、もちろん森は伊東の実力を評価している。森の著書『覇道 心に刃をのせて』(ベースボール・マガジン社)において、監督就任時点ですでに「伊東は新時代のスターになる要素を兼ね備えていた」と言い、「試合に出るたびに、何かを会得し、徐々に技術を向上させた」と評価し、ついには「伊東は徐々に、本物のキャッチャーになっていった」と最高級の評価を与えている。

話を戻そう。当時、伊東は"野村ヤクルト"を次のように評価していたという。

「当時のヤクルトはいやらしく、しつこくて粘り強いチームでしたね。それは間違いなく野村監督の功績だったと思います。"丸裸"とまでは言わないけど、相当研究されていると思いました。

あの時、僕と古田は『森と野村の代理戦争』とか、『秘蔵っ子対決』と言われました。僕自身はそう言われるのはイヤだったけど、この対決を通じて、キャッチャーというポジションの注目度が高まったのは嬉しかったですね」

当初は「意識が薄かった」というヤクルトとの死闘を通じ、伊東は「ヤクルトは強かった」と思い直し、「野村監督の教えが徹底していた」という印象を抱いたという。

「あの2年間のヤクルトとの対戦は死闘になりました。92年は何とか西武が勝ちました。でも、93年はヤクルトに敗れました。それまでは西武が歴史を作ってきていたけれど、この年からはヤクルトが歴史を作り始めていきました。よく、《新旧交代》という言葉が使われますけど、まさにこの時から西武とヤクルトが新旧交代したのかもしれない。我々が歩んできた道をヤクルトが歩み始めた。今から見ると、そう言えると思います」

【現役パ・リーグ優勝監督が振り返る野村克也監督】

No image

西武時代に113勝を挙げた工藤 photo by Hasegawa Shoichi

のちに工藤公康はソフトバンクの監督となり、昨季までチームを3年連続の日本一に導き、2020(令和2)年シーズンも見事にパ・リーグを制した。自ら「監督」という立場になったことで、工藤はあらためて野村の偉大さに気づいたという。

「1993年にヤクルトが西武を倒して日本一になったのは、やっぱり野村監督のやりたいこと、考えというものがチームにきちんと浸透して、選手たちがそれをきちんと理解して実践できたからだと思うんです。自分が監督になってみて思うのは、監督の考えを選手たちに浸透させることはすごく大事なんだけど、すごく難しいということです」

工藤の解説は続く。

「監督が何かひと言、ポッと言っただけで、選手たちが完全に理解するということはありません。何度も何度も繰り返し言うことで、ようやく少しずつ選手たちは理解してくれる。野球って、頭で理解したことを体で表現するスポーツなんです。そして、できなかったところを少しずつ埋めていく。そしてまた学んで、体で表現して、どんどん埋めていきながら成長していくんです」

そして、工藤の「野村評」は佳境に入る。

「野村監督は野球のことをすごくよく理解し、人間のことを理解し、どうやってチームを作れば強くなるのか、人は成長していくのかということをすごく考えて、2年、3年計画で物事を見ることができた監督だったんだと思います。それは、自分が監督になってみてあらためて痛感しましたね」

四半世紀超の時間が過ぎて、工藤は野村の凄みを再認識することとなったのだった。

(第4回につづく)

長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加