
【前回の記事を読む】母の笑顔の裏に隠された秘密…逆境を越え、共に歩んだ14年
エスケープ
一生よろしくお願いします、は確かに重い。でもママちゃんがいなくなることを想像すると涙が出てくる。これは本当だ。
あのママちゃんがいなくなる。私は一人になる。この十四年、恋も結婚もしてこなかった。もちろん子どももいない。それ以上に生活に介護に仕事に精一杯だった。そしてもし今、私が守り続けてきたママちゃんがいなくなったら、私はどうなってしまうのだろう。
ひとりで生きていけるのだろうか。いや、自分のことよりも純粋にママちゃんの笑顔のなくなる日が来るのが怖い。手をつないで買い物に行くその手のぬくもりがなくなることが怖いのだ。
この気持ちを言葉で例えるなら、間違いなくそれは「愛おしい」というものではないだろうか。「愛おしい」その言葉がしっくりくる気がした。
職場や友人の間で親の面倒を見ていると話すと、よく「偉いわね」「優しいのね」と言われる。親の介護をしているとそのような言葉で表現されることがある。しかし、そうではない。何か違和感を持つ。
私は偉くも優しくもない。それは自分が一番よくわかっている。ただひとえにママちゃんの存在が「愛おしい」から、時に怒っても、時に雑に扱っても、一緒に過ごしているのだ。
介護をしているのではない、一緒に過ごしているのだ。手間はかかる。不思議な言動に振り回されたり、病院に付き添うために自分の予定を合わせたり、時に宥め時に怒り。感情的に振り回されることも多々ある。それでも、一緒に暮らしたいのだ。そして思った。今日ここに来ているのは、それに気付くのに深呼吸が必要だったのだなと。
波は繰り返し打ち付け、陽の光を照り返し輝く。太陽は十二月とは思えない暖かさを与えてくれる。どこかで子どもの声がする。私は一人で海に来た。そして、自分の気持ちを確かめた。
自分が自由であり、自分で選択した生き方していることを確かめた。もう大丈夫だ。帰ろう。ママちゃんのいる場所へ。私は一人で海に来ることができる。多分、新しい仕事もいつかははじめる。自分を生きることができる。自分の人生を選択できる。そして今の状態は自分が選択したものであり、これからもそうやって生きていくのだ。
いつかはママちゃんがいなくなる。介護は子育てと違って終わりがわからない。今日かもしれないし三十年後かもしれない。そしていつかは私もいなくなる。もうどちらが先かなんてわからない。ママちゃんの記憶障害がもっと進んでしまったら、施設に預ける日が来るかもしれない。
「預けてしまえば」という人たちもいるが、私は働いて現実を知っているだけに、施設が天国じゃないことを知っている。だからできるだけ自由に生活させてあげたい。もしかしたらそれは私のエゴかもしれないが。それと同時に、私もできるだけ自由に生活したい。
自由とは何だろう。時間や環境的な自由ももちろん必要だ。しかし根本的には心の自由が大切なのではないだろうか。心が自由であれば環境的に制約されたとしても行き詰ることなどないのではないか。
させられている、ではなく、してあげている、ではなく、一緒に過ごす。愛おしいから。それでいいのではないだろうか。それが家族なのではないだろうか。太陽の光と波の音は、私の心を少し軽くした。
帰りの電車で窓から飛行機雲を見つけた。それを眺める。ちょっと眠い。心が柔らかくなり、体が少し重い。少しだけ寝よう。そして地元の駅の駐車場に着いたらママちゃんに電話するのだ。
「今駅に着いたから。これから帰るからね。今日はおうどん作るから、待っていてね」
日常に戻る。
横山 空