シーズン終盤でまさかの大失速! 歴史的V逸に泣いた「巨人」「阪神」「南海」の悲劇

シーズン終盤でまさかの大失速! 歴史的V逸に泣いた「巨人」「阪神」「南海」の悲劇

  • デイリー新潮
  • 更新日:2023/09/19

まさかのV逸に泣いた「2008年の岡田阪神」

今季は、阪神が2位以下に大差をつけて18年ぶりのセ・リーグ優勝を達成したが、過去には優勝を目前にしながら、最後の土壇場でまさかのV逸に泣いたチームもある。【久保田龍雄/ライター】

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2008年のCSで敗退し、号泣する藤川球児氏と握手を交わす岡田監督。今回の優勝で雪辱を果たした

【写真】アレを成し遂げた岡田監督と、愛弟子・藤川球児氏

7月に早々とマジックが点灯したにもかかわらず、セ・リーグ史上最大の13ゲーム差をひっくり返されたのが、2008年の岡田阪神である。

同年、開幕5連勝とロケットスタートに成功した阪神は、5月3日に球団では2リーグ制以降最速の29試合目で20勝を記録するなど、首位の座をガッチリキープ。6月にも6連勝し、59試合目で40勝に到達すると、7月にも7連勝を記録して、オールスター前の同22日に早くもマジック「46」が点灯した。だが、北京五輪で藤川球児、矢野輝弘、新井貴浩の主力3人が抜けた8月以降、ペースが落ち、月間成績も9勝11敗と初めて負け越した。

一方、7月8日に13ゲーム差をつけられていた巨人は、9月10日の時点でも6ゲーム差あったが、翌11日から1分けを挟んで怒涛の12連勝。9月19日からの阪神との直接対決にも3連勝して、ついに同率首位に並んだ。

この間、9月3日に「Vやねん!阪神タイガース」と題した“優勝目前号”が発売され、筆者も執筆者として参加しているが、皮肉にも発売からさほど日を経ずして、優勝争いの様相は一変してしまう。

そして10月8日、阪神は巨人に1対3で敗れ、ついに首位陥落。巨人にマジック「2」が点灯した。それでも岡田彰布監督は「最後まで何があるかわからない」と一縷の望みを託したが、10月10日、巨人がヤクルトを3対1で下し、阪神が横浜に3対4と逆転負けした結果、原巨人の“メーク・レジェンドV”が実現。まさかのV逸となった岡田監督は同12日、「勝てなくて申し訳ない」と辞任を表明した。

くしくも岡田監督が再び指揮をとった今季は、15年前の悪夢を払拭するぶっちぎりの「Vやねん!」を実現した。

最大14.5ゲーム差をひっくり返された「1963年の南海」

阪神の13ゲーム差を上回るNPB史上最大の14.5ゲーム差をひっくり返されたのが、1963年の南海である。同年、開幕から13勝2敗と突っ走った南海は、2位・東映に8ゲーム差をつけて前半戦を折り返し、2年ぶりVは濃厚とみられていた。

だが、7月まで勝率5割にも満たず、最大14.5ゲーム差をつけられていた西鉄が8月以降、大逆襲に転じる。8月を17勝7敗、9月を19勝10敗1分と勝ち越し、9月22日の時点でまだ8ゲーム差あったが、同29日から1分けを挟んで9連勝し、10月9日、ついに単独首位。同14日に再逆転されるも、翌15日、南海に3対2と逆転勝ちし、再び首位に立った。

南海も意地を見せる。10月16日の対西鉄最終戦で、野村克也の2度にわたる同点弾と延長13回に穴吹義雄のサヨナラ3ランが飛び出し、6対3の勝利で三たび首位浮上。翌17日の近鉄戦でも、野村の当時日本新のシーズン52号などで6対1と快勝し、85勝61敗4分で全日程を終えた。

一方、82勝60敗4分で南海を1ゲーム差で追う形になった西鉄は、10月19日、20日といずれもダブルヘッダーの近鉄戦で4連勝すれば、数字的には逆転Vが可能ながら、当時の報道は、3勝1敗で史上初の同率優勝決定戦に持ち込めるかどうかという論調だった。南海・鶴岡一人監督も「同率決定戦の公算が強いんじゃないか。ますます面白いじゃない」と西鉄の1敗を想定していた。

ところが、19日に近鉄に連勝した西鉄は、翌20日の第1試合で7回まで0対4の劣勢を延長10回の末、執念の逆転勝ちで制すると、第2試合も2対0で連勝し、史上最大の逆転Vを達成した。

最後の最後でVを逃した鶴岡監督は「近鉄が1つは食ってくれるやろうと甘い希望を持ってたな。確かに気の緩みもあったな。警戒していたんだが……」と反省の言葉を口にしている。

75勝を挙げながら優勝を逃した「1986年の巨人」

優勝チームを上回る75勝を記録しながら、ゲーム差なしのわずか3厘差でV逸の悲哀を味わったのが、1986年の巨人である。

王貞治監督就任3年目の同年、巨人はシーズン終盤に主砲・原辰徳の負傷離脱やエース・江川卓の肩の不調などのアクシデントを乗り越え、10月3日のヤクルト戦では、前日頭部死球で病院に搬送されたクロマティの劇的な代打満塁本塁打で8対3と快勝。翌4日の阪神戦も、江川の代役・宮本和知の好投で連勝し、74勝47敗7分とした。

1ゲーム差で追う2位・広島にマジック「7」が点灯していたものの、残り7試合を全勝しなければならず、状況的には巨人有利。残り2試合を連勝すれば、さらに優勝に近づくとあって、王監督も「優勝すればオフも忙しいから、今年の冬は背広をたくさん作らなければ」と余裕をのぞかせていた。

ところが、必勝を期した10月7日のヤクルト戦、2対1とリードした6回に槙原寛己が“伏兵”ブロハードに逆転2ランを浴び、敗れたことが大きな落とし穴になる。ライバル・広島はこの日も3対0で中日を下して5連勝。この結果、残り4試合を3勝1敗でも優勝可能になった。

巨人は10月9日の大洋戦で10対4と大勝し、最後の10試合で9勝1敗という驚異的な勝率で全日程終了。「あとは天命を待つばかり」(王監督)と朗報を期待したが、7連勝中の広島は10月12日のヤクルト戦も8対3と快勝。巨人より2勝少ない73勝で逆転Vを決めた。

「広島は強かったが、ウチもいい戦いをした。負けたことは残念だが、この悔しさを来年につなげたい」と雪辱を誓った王監督は翌87年、就任4年目で初Vを実現している。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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