珍名踏切マニアがいく!東亜建設、ニヤクコーポレーション専用踏切って?

珍名踏切マニアがいく!東亜建設、ニヤクコーポレーション専用踏切って?

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  • 更新日:2017/08/12
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横浜市の鶴見駅と京浜工業地帯の各地を結ぶ鶴見線の電車。国道駅にて

踏切の名称に惹かれて何十年の、いわば「踏切名称マニア」である今尾恵介さんが、全国の珍名踏切を案内してくれる連載。鶴見線はその成り立ちから、沿線に会社名踏切が多くある。支線が多いのも鶴見線の特徴で、各駅から伸びている支線にはさまざまな歴史や特徴があり、マニアならずとも楽しめる沿線だ。今回は鶴見線沿線の、安善駅から大川駅までを歩いてみた。

※鶴見駅から安善駅までは「珍名踏切マニアが歩く! 『旭ガラス踏切』に『日石踏切』鶴見線沿線に会社名踏切が多い理由」で紹介しています

【地図や他の踏切写真はこちらから】

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京浜工業地帯の心臓部を走る鶴見線は、戦争中に国有化されるまで鶴見臨港鉄道という私鉄であった。安善駅(当時は安善通駅)からは、その名も「石油支線」が分岐しており、今もその線路は米軍のジェット燃料の輸送に用いられており、それらしい踏切名もある。

●踏切名を社名変更に合わせて変更!

鶴見線の安善駅から南へ分岐した線路脇には米軍の油槽所があり、その40メートルほど南側の踏切に東亜建設踏切の名が付いている。地図で確認すると、なるほど道の東には東亜鉄工、東亜ビルテックなどの関連会社が並んでいた。線路にぴったり並行する道路を進み、運河を渡ると間もなく東へ向かう幅広い道路にあるのは「ニヤクコーポレーション専用踏切」だ。同社HPで調べてみると、昭和23(1948)年に株式会社国鉄石油荷扱社が設立され、その年に石油荷役株式会社に社名変更している。カタカナに社名変更したのは平成3(1991)年のことだから、踏切名の変更は意外にマメである。

さらに先へ行ってみると安善町2丁目バス停の向こうに、遮断機のない踏切があった。これだけの広い道で警報機・遮断機ともない第4種踏切は珍しいが、懐かしい「とまれみよ」の表示がある。米軍の油槽所へ入る線路が道路を斜めに渡っている日石カルテックス踏切だ。

すぐ先には横浜市営バスの安善町終点バス停と折返所がある。一帯は石油関連施設ばかりで、昼過ぎに利用する人は少なく自動車もあまり通らないから、ある意味での「最果て感」が漂う。油槽所の入り口は両開きのフェンス扉になっていて「RAIL GATE NO.1」の表示。ちょうど折り返した鶴見駅行きのバスが来たので、安善駅まで乗ることにしよう。

バスを降りると次の武蔵白石(しらいし)駅までは再び歩いた。ここは線路脇が公道なので迂回(うかい)せず歩けるのはありがたい。線路北側の寛政町は、宝暦14(1764)年から海岸部に開発された新田で、寛政元(1789)年から年貢が取り立てられたために寛政耕地と呼ばれたことに由来する。

小さな運河を渡れば川崎市で、ほどなく武蔵白石駅が見えてきた。所在地の白石町(しらいしちょう)は、日本鋼管の創立者である白石元治郎が由来。駅名は宮城県の東北本線白石(しろいし)駅と区別するために武蔵を冠している。

武蔵白石駅のホームの脇からは、ひと駅だけの大川支線が南下している。以前は分岐地点の急カーブ上に支線専用のホームがあったのだが、新しく導入する大型車が通ると車両の縁をこすってしまうため、それを機にホームを廃止した。分岐した支線の最初の踏切は、線路西側の大工場の正門に設けられた日本鋳造踏切。やはり渡った向こう側は守衛所と「関係者以外立入禁止」の看板がある。さすが大工場で踏切の幅員が15.1メートルもあるため、遮断機も棒(遮断桿)ではなく、長方形の黄色い板がワイヤーと一緒に降りてくる昔の大通りタイプだ。

線路に沿って少し南下すると、今度は日本道路踏切。プレートは意外に新しい。日本道路株式会社は消費者の知名度はそれほど高くないが、道路舗装の分野では大手である。ところが手前に見える真新しいビルには「MCUDロジスティクス」の看板。三菱商事都市開発(MCUD)の物流施設で、今年1月に完成したばかりだ。今後は踏切もこの会社名に合わせて変わるのだろうか。

その先は運河を渡る。線路の方はシンプルに「第5橋梁」という名前で、橋桁は大正15(1926)年以来のものらしい。錆も目立つが、南端近い橋桁(ガーダー)の一部に点々と穴が開いているのはそのせいではなく、戦争中の米軍機による機銃掃射の痕跡だという。

●昭和電工踏切は列車もなく幾星霜

ほどなく大川支線の終点・大川駅のホームが見えてきた。線路には草が茂り放題で、半ば廃線の雰囲気も漂う。昼間なので列車を待つ人もいないホームのすぐ手前が日本ガラス踏切だ。平成8(1996)年の地図には日本硝子川崎工場と記載があるから比較的最近になって移転したのだろう。ホームのすぐ裏手は三菱化工機の川崎製作所である。

無人のプラットホームを横目に構内踏切を渡るが、この先の線路は日清製粉の工場に続いているものの、レールは草の中で、もちろん貨車も今は通らないので構内踏切は死んでいる。東側へ回ると昭和電工の工場の入り口があった。こちらにも踏切があったが、自動車が通過する廃レール部分だけがタイヤに磨かれて光っている。それでも「とまれみよ」は健在で、ここが「JR貨物 昭和電工踏切」という名称であることはわかった。

思えば日本の鉄道貨物輸送は昭和45(1970)年頃に輸送量のピークを迎えている。これを受けて外環道の鉄道版たる武蔵野線の整備を進めるなど近代化に努力したことは確かであるが、その一方で高速道路網をはじめとする道路環境の充実でトラックの輸送分担率が急増していく。

残念なのは、鉄道貨物が生き残るかどうかのターニングポイントの時代に「順法(遵法)闘争」というスローガンの下でストライキを頻発させたため、荷主の鉄道離れが加速したことだ。それでも昨今はトラックの運転手不足や地球温暖化防止など、世界的に見れば鉄道貨物への追い風は吹いている。今後の日本の鉄道貨物がどんな展開を見せるか注目していきたいが、そんな大状況の中で大川支線の踏切名はどう変化していくだろうか。

大川駅から帰りの電車まではまだ3時間ほどもあるので、地球環境と鉄道貨物の将来性について考えつつ、武蔵白石駅まで15分ほどの道を歩いて戻ることにした。

今尾恵介(いまお・けいすけ)

1959年神奈川県生まれ。地図研究家。明治大学文学部中退。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。音楽出版社勤務を経て、1991年より執筆業を開始。地図や地形図の著作を主に手がけるほか、地名や鉄道にも造詣が深い。主な著書に、『地図で読む戦争の時代』『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み』(白水社)、『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)など多数。現在(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査

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