日本が誇る100年企業の不変と革新のヒストリー・技術革新編

日本が誇る100年企業の不変と革新のヒストリー・技術革新編

  • @DIME
  • 更新日:2017/12/04

創業または設立100年を超える企業が2万社以上あるといわれている日本は、世界でも断トツの長寿企業大国だが、今年、来年もそうそうたる企業が創業100年を迎える。どのような技術革新や企業努力を経て、現在もリーディングカンパニーであり続け、この先の未来をどのように歩もうとしているのか。100年企業の「これまで」と「これから」を取材した。

【技術革新/市場開拓】

100年にわたり企業を支えてきたもの。それはたゆまぬ努力により得た技術革新と、グローバル化や多角化による新たな市場開拓への惜しみない努力にほかならない。

日本の長寿企業の歴史は、技術革新の歴史でもある。新しい製品・商品を創造しても、ライバルが生まれ、また新しい製品・商品を作り出す。その試練を幾度となく乗り越えてきた。

◎現地の食生活に入り込み商品認知を高めた海外進出

キッコーマンは、太平洋戦争以前から主に日系人向けに醤油の輸出を開始していたが、ハワイやアメリカ西部を中心に順調に輸出量を伸ばしていった。そして1956年、同社の成長を格段に伸ばすできごとが起きた。

同年5月、全米に3000余のチェーン店を持つ大手スーパーのサンフランシスコの一部店舗に同社の商品が納入された。日本発の商品が初めてアメリカのスーパーに登場したのである。

「我々の業界は、人口増加率が一定ペースに達すると、それ以上の消費の伸びは鈍化します。当時日本の人口増加率はその域に達しつつあり、新たな成長として海外進出を目指したのです」(キッコーマン国際食文化研究センター センター長・山下弘太郎さん)

アメリカへの進出は吉と出た。終戦直後からGHQの職員や企業の社員として日本に駐在したアメリカ人が多く、醤油の認知度は高かったのだ。

また、単に日本の調味料として売るのではなく、肉にも合う調味料として米国の一般家庭料理へのレシピ提案を積極的に実施した。代表例がバーベキューソースとしての使い方だ。「TERIYAKI」という単語が米国で市民権を得るにはそれほど時間はかからなかったという。

さらにキッコーマンは攻勢に出る。1956年当時の大統領選挙(現職大統領だったアイゼンハワーが再選)時、サンフランシスコがあるカリフォルニア州で開票速報番組にCMの集中スポットを展開。「KIKKOMAN」の社名がテレビ画面に何度も映し出され、同社の知名度が一気に高まった。

「当時の年間宣伝費のすべてをつぎ込んだと聞いています」(前出・山下さん)

1957年6月には、カリフォルニア州に販売会社「キッコーマン・インターナショナル社」(現キッコーマン・セールス・USA社)を設立。広くアメリカ人に向けてのマーケティングを開始し、販売ルートを開拓。これを機に同社は北米に確固たる地位を確立することになった。

◎世界標準に追いつけ追い越せの成長期

グローバル化の目的は、新規市場の開拓ばかりではない。当時の日本は国内に様々な産業が誕生していたが、技術では海外の企業に大きな後れをとっていた。何とか海外の技術を学び、世界水準の技術を習得できないか、と多くの企業が考えていた。

BFグッドリッチ社との合弁企業として誕生した「横濱護謨製造」(現・横浜ゴム)は、そんな企業の先駆けといえる。同社の歴史は創業以来、国内では「先駆け」の連続だった。

高級ゴム製造技術のノウハウを身につけ、1921年には電動機の動力を伝える、伝動ベルトとして角耳ベルトを開発。従来の皮革ベルトに比べ耐久性が格段に高く、国内では瞬く間に普及した。また、角耳ベルトは提携先となっていたBFグッドリッチ社を通じ、米国や欧州にも渡った。

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キッコーマンはアメリカでも醤油を広げるため、サンフランシスコのスーパーマーケットで積極的に店頭試食販売を行った。

同年、日本で初めて製造したコードタイヤも従来のファブリックタイヤに比べて寿命が3倍に延び、その後のタイヤ構造の主流となっている。

一方、国内の消費者のライフスタイルを激的に変えていったのが、日本の家電製品だ。その雄、パナソニックは、ランプやアイロン、ラジオなどの生産を進め、1935年には「松下電器産業」に社名を変更。順調に事業を拡大していったが、1945年の第二次世界大戦後、GHQによる生産停止命令や集中排除法適用などの制限をうけた。その後制限が徐々に解除され、5年間の不自由な苦しみから解き放たれた松下幸之助氏は「狭い視野のもとに働いていたわれわれは、今や世界の経済人として、日本民族の良さを生かしつつ、世界的な経済活動をしなければならない」との思いに至る。

1951年1月、3か月に及ぶアメリカ視察を行ない、先進国の豊かな生活を目の当たりにした。最も衝撃的だったのは家電製品の便利さ。視察後、まず取り組んだのが洗濯機の開発だった。

同年10月には同社初の電気洗濯機を発売。大型ドラムの中で撹拌棒を回すという非常にシンプルな構造を採用した。価格は高価なものだったが、主婦の家事を軽減できるとして、庶民の憧れの的となった。

その後、テレビ、冷蔵庫とともに、「三種の神器」と呼ばれ、その後の日本の経済と家電市場の急成長の原動力となった。

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1921年に横浜ゴムが開発した角耳ベルト。欧米の一流企業に採用された。

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1951年、パナソニックの洗濯機第1号。女性の家事労働からの解放や地位向上の象徴となった。

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1959年、ナショナルブランドによる、洗濯機やテレビなどの工場が次々と建設。いずれも当時としては最新鋭の工場だった。

◎国内需要に応えるだけでなく日本発の新技術を発信

1914年に前身となる「製陶研究所」から国産初の「陶製腰掛水洗便器」を完成。1917年に「東洋陶器」を創業した現TOTOは、創業者である大倉和親氏の「健康で、文化的な生活を提供したい」という信念を現在も貫いている。

ヨーロッパへの視察で水洗トイレの普及に目を見張った大倉氏の指示により、陶製の便器の試作は1万7280種以上にも及んだ。驚くべきは、この時、和式便器はもちろんのこと、当時国内にはなかった腰掛け便器としても商品を完成させたことだ。そんな、物作りに対する熱い探求心が同社で今でも継承されている。

現在では便器だけでなく、水流の研究にも力を注ぐ。水量を抑え、おしりや便器の汚れを効率的に落とすための高度な技術は、快適な生活を提供するため進化し続けている。

◎有力技術を統合世界の「ニコン」の曙

「日本光学工業」(現・ニコン)は、国内での高精度なレンズ不足という急務に応えるかたちで1917年に創立した。

当時の日本は、第1次世界大戦のあおりを受け、高精度なレンズの輸入が滞っていた。一方で、双眼鏡や望遠鏡などの重要なパーツとしてレンズは、需要が高まるばかり。高度な光学機器と光学ガラスの国内製造は喫緊の課題であった。

その開発に手を挙げたのが当時の「三菱合資会社」社長の岩崎小彌太氏だ。同社は岩崎氏の個人出資により誕生した。だが、一朝一夕には高精度なレンズを開発することはできるはずもない。そこで岩崎氏が東京計器製作所の光学計器部門と、1883年に国内初の民間ガラス工場として創業の「岩城硝子製造所」の反射鏡部門を統合。創立直後にはレンズメーカーを合併し、光学機器メーカーを設立。「日本光学工業」が誕生した。

それぞれの専門知識を集結させ、当時、欧米からの輸入に頼っていた光学機器(測距儀や顕微鏡)の国産化を目指したのである。

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TOTOが開発した、国産初の腰掛け式水洗便器。帝国議会議事堂やホテルなどに設置された。

1988年に改称された現在の社名は1932年に写真レンズの商標を『NIKKOR(ニッコール)』と命名したことに由来する。

1948年には同社にとって初となる市販小型カメラの『ニコンI型』が発売、カメラとして「ニコン」ブランドがデビューを果たした。

その2年後、ニューヨーク・タイムズ紙の記事で同社のカメラと『NIKKOR』レンズの優秀性が高く評価された。これをきっかけに世界中のプロカメラマンから注目されることとなったのだ。

◎50年以上支持されるロングセラー商品の登場

兄弟企業の菓子のヒットを契機に創業、以来、新たな商品を続々開発し、数々のロングセラー商品を生み出し発展を遂げた森永乳業。

1961年に〝日本初の粉末クリーム〟として登場した『クリープ』はその代表的な商品だ。クリーム本来の味わいを残したまま、コーヒーを薄めず、冷まさず、マイルドにしてくれる同商品。市場が拡大していたインスタントコーヒーの追い風もあって、大ヒットとなった。現在も同商品は進化を続け、ミルク原料の純度が高まっているという。

「100年企業」は様々な技術革新を生み出し、世の中のニーズをとらえ、成長を遂げてきたのである。

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1948年に登場したニコンカメラ第1号機の『ニコンI型』。1950年にニューヨーク・タイムズ紙で紹介され、一躍名を轟かせた。

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1961年に森永乳業が発売した日本初の粉末クリーム『クリープ』。豊かなコクとほのかな甘味がコーヒーの味を引き立てると話題に。

文/編集部

※記事内のデータ等については取材時のものです。

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