日本人が意外と知らない「自然保護」の歴史

日本人が意外と知らない「自然保護」の歴史

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  • 更新日:2016/10/18

山旅のすすめ(3) 自然保護の父、ジョン・ミューアが歩いた19世紀アメリカ

ゴールドラッシュと呼ばれた時代

ゴールドラッシュという言葉を聞いたことはありますでしょうか? 1848年にカリフォルニアの河川で砂金が発見されたことを皮切りに、各国から金鉱脈目当ての開拓者が押し寄せました。

カリフォルニアでは1850年に人口が約9万人まで膨れ上がりアメリカ合衆国の州に昇格しました。1860年までの10年間という歳月で4倍の約38万人となるのです。

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金鉱を見つけて財を成した人はどれだけいるのでしょうか? 調べてみると極少数の人々は莫大な富を得たようですが、殆どの人がそのうまみにありつけなかったようです。

1850年にはジョン万次郎がサンフランシスコに訪れ金を採掘する職についていたようです。また金を掘っているとズボンがすぐ破けて困っている人をみたリーバイ・ストラウスがジーンズを発明したのもこの頃のようです。

この時代フロンティアに集まった人々が「ゴールド」と呼ばれる魅惑に横目も触れず直進するとどのような事が起こると思いますか? きっと皆さん想像がつくと思うのですが、民族浄化や奴隷問題そして自然破壊といった問題が浮上します。

西部開拓時代と呼ばれる時代区分がありますが、多くのアメリカ先住民たちがこの時代に殺害されました。民族浄化です。開拓者にとって先住民は邪魔な存在だったのでしょう。私はアメリカ先住民の生き方や生活の仕方を知れば知るほど思うのですが、彼らの存在そのものが自然だったと感じるのです。彼らは決して自然と闘わない。自然と肩を並べるようにして生活を営んでいたんですね。

新参者が自分の大事な土地に入り込んで、尊んでいた自然を破壊していく。動物を殺し、植物を殺し仕舞いには自分自身も殺される。こういう時代が日本でいうところの幕末の時代に突入するあたりでしょうか、遠いアメリカの地で起きていたんです。

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ジョン・ミューアというナチュラリスト

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前置きが長くなりましたが、このゴールドラッシュの最盛期、1849年に一人の少年がスコットランドのダンバーからアメリカの地へやってきます。「わずかな金額で土地が手に入り、地主になれる」という夢の話を聞いた父に連れられてやってきた彼の名はジョン・ミューアといいます。

ジョン・ミューアは小さいころから自然の中で遊ぶことが好きだったようです。鳥や魚の活動に胸をときめかせ、海や空に至るまでの未知なる世界に興味を抱いていたという事ですから、このアメリカ行きというものが彼にとってみてどのようなものだったのか? その頃ウィルダネスと呼ばれる自然の宝庫だったアメリカの地へ旅立つ感動は強いものだったに違いありません。

ジョン・ミューアという人は現在では自然保護の父と呼ばれるアメリカでは著名なナチュラリストです。カリフォルニアには2つの世界遺産があり、1つはヨセミテ国立公園、もう1つはレッドウッド国立・州立公園ですが、この国立公園という現代に通じる理念を作り上げたのがジョン・ミューアその人なのです。

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南北戦争の勃発

少年時代は開墾に明け暮れると共に、厳しい父親との対立が後をたたなかったようです。1860年アメリカに訪れて約10年という歳月が流れ、ジョン・ミューア22歳という年には奴隷制度廃止を訴えるグループに支持されたエイブラハム・リンカーンが大統領になります。

当時のアメリカ南部では農業中心の経済が盛んで、この経済は黒人労働奴隷により支えられていたんですね。そうして栽培された綿花は輸出により利益を生んでいた為に自由貿易を望んでいたんです。

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対して北部では工業化が進み、流動的労働力が必要だったために奴隷制とは相容れなかったんです。次いで工業製品の競争力を優位に保つために保護貿易が求められていたという、なんとも相反する動きが起きていたんです。リンカーン自身は奴隷制廃止は宣言していなかったようですが、南部では不安が広がったんですね。これによってアメリカ史上最も悲惨な南北戦争が勃発したんです。

この戦争をきっかけにジョン・ミューアは今自分自身が本当にしたいことを考えたのかもしれません。また徴兵を逃れるという理由からも自分が今本当にしたいこととして植物採取の為の放浪の旅に出かけたようです。

1865年に50万人という戦役史上最悪の死者数を出した南北戦争が終了してからも放浪の旅は続いていたようです。彼の旅の行程は南北戦争の傷跡をなぞっていく様なものだったと聞きます。そこから人間の愚かさや破壊された自然をみて何を思ったのでしょう。この経験がなかったら自然保護に生涯をかけたジョン・ミューアが果たして出現したのでしょうか?

カリフォルニアの地に降り立った時代

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彼の生涯からシエラネバダという地を切り離すことはできません。彼はシエラネバダの山の虜になり、この山が織り成す美しい植物群や渓谷の威容、それらが原動力となり自然保護活動に繋がったのだと思います。このシエラネバダにあるヨセミテ渓谷との出会いは放浪の道中、友人から見せてもらったパンフレットだったようです。

「一度目にしてみたい」

そう思った彼は1868年にカリフォルニアの地を踏みます。この時代は、アメリカ合衆国という大きな単位でみるとカリフォルニアというのは西の果てのフロンティアだったんです。サンフランシスコにおいては文頭にお話したゴールドラッシュにより1850年に3万5千人、ミューアが到着した68年に15万人になっています。この頃ロスアンゼルスで5千人という時代ですから驚きです。

その1年後、1869年には大陸横断鉄道が完成し太平洋と大西洋が1本の鉄道でつながりました。こうしてカリフォルニアがアメリカ合衆国の中枢に引き寄せられる。これによってアメリカ経済の目線というのが広がるんですね。いわゆる鉄路の先にあるアジア・オセアニアまで広がるんです。この1869年は日本では何が起きていたのでしょう? そう明治維新の翌年というこちらも波乱万丈な時代だったわけです。

ジョン・ミューアはサンフランシスコで「もうすぐ鉄道が開通する」という商業主義に塗り固められた町の中にいて強い憎悪を感じていたようです。逃げるようにオークランドの地を踏み、その後ヨセミテ渓谷へ向かったという事です。

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