「あぁ青春のFM-7」'80年代のマイコン少年が当時を振り返ってみた

「あぁ青春のFM-7」'80年代のマイコン少年が当時を振り返ってみた

  • Engadget
  • 更新日:2016/10/20
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富士通とレノボのPC事業が合併するという報道が流れています。

実現されれば、とかつて日本の「3大パソコンメーカー」であったNEC、シャープ、そして富士通全てがパソコンの自社開発から撤退することになります(NECは2011年にレノボと合流、シャープは2010年に撤退)。販売チャネルが残るとしても、このメーカー自身のパソコン開発の終焉は、パソコン史上の大イベントのひとつと言ってもいいでしょう。マイコンの応用用途を模索し若いユーザーたちの熱狂を生んだ8ビットFMシリーズ、半導体から情報事業へ・ビジネス向けへの転換を図ったFM-16/FM-Rシリーズ、マルチメディアPCの先駆けとなり家庭・文教市場を狙ったFM-TOWNS、PC/AT・DOS/V・WindowsとPC&インターネットの一般家庭への爆発的普及へ世界標準アーキテクチャの波に乗ったFMVシリーズ、そしてコモディティ化の果てに、脱モノづくり・ソフト化が進む日本から開発・製造を中国へ移す......FMシリーズの歴史は、現在までのPC開発とその周辺の歴史の縮図であるように見えます。

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▲FM-8~FM-16β頃まで広告にも使用されていた「富士通」ロゴ。「夢をかたちに」のキャッチフレーズそのままに、マニアたちの夢をパソコンの形に仕立て上げ熱狂の一時代を作ったメーカーだった。

最初のパソコンが登場する1980年代初頭の熱狂は、とんがった若者たち、「マニア」と呼ばれる一部の者たちだけのモノでした。しかしながら、彼らがパソコンに見出した可能性と無限の未来は、その後の時代へと続くレールの方向を作り出したのです。

筆者も偶然にも、その誕生時の熱狂をこの目で見、身を投じ、そして(最近ではモバイル方面にすっかり守備範囲を移しつつあったのですが)ITライターとして関わらせてもらいました。せっかくですので、富士通系パソコンの専門誌「Oh!FM TOWNS」「FMVファミリー」協力スタッフも勤めさせていただいた、私、大和哲が、富士通のマイコン・パソコンの歴史の最初の一ページを築いた富士通の最初のパソコン「FM-8」と、その後継となった「FM-7」の登場、そして、これらが産んだマイコンユーザーの熱狂について昔話をさせていただきたいと思います。

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▲パソコン誌「Oh!FM」。これは1984年ごろのもので、時代で言うとFM-7のころ。筆者は熱心な愛読者の一人だった(翌年、四番町にあったソフトバンク出版事業部を訪問、ライター人生をスタートさせた)。

最初のFMパソコン「Micro 8」は「富士通川崎工場段ボール」で店頭に並んだ

「Fujitsu Micro 8」。後に「FM-8」という愛称が定着したこのマシンが、後のFM TOWNSやマーティ、FMVシリーズに連なる富士通「FMシリーズ」最初のパソコンです。最初のFMは、多くの若者にとって「憧れ」の存在となりました。

FM-8の登場は1981年。当時、NECやシャープ、それに日立などの先行メーカーがすでにパソコン(当時は「マイコン」と呼んでいましたが)販売を始めてから1~2年程度経過していました。これらの勢いを覆い返すだけのメーカーは出るのだろうか、ユーザーが、そう思い初めていたときです。FM-8のデビューは、正にその思いを覆させる衝撃でした。FM-8は、日本を代表するコンピュータメーカー「富士通」が作るだけあって、コンピュータ設計のノウハウや良心を詰め込んだ、とユーザーに感じさせたのです。

当時、パソコンに搭載されているCPUの主流は、ザイログ製Z80とそのセカンドソース(同じアーキテクチャの別メーカーが製造する製品。NECなどが製造)。しかし、FM-8に搭載されていたのはその対抗馬であり「究極の8ビットCPU」を謳うモトローラMC6809(の富士通製セカンドソース品でMB68A09)。

インテル系CPUやその互換品であるザイログのCPUが、最初のマイコンCPU「i8080」と互換性を保つために、パワフルながらも「汚い」アーキテクチャであったのに比べ、6809のアーキテクチャは、当時のたとえばVAXといったミニコンピュータなどにも似た、非常に命令系統はシンプル、かつ非常に美しいものでした。

当時、すでにBASICなど高級言語も一般的になっていた(実際、FM-8もMicrosoft L2 BASICを移植したF-BASIC V1.0を搭載している)ものの、2~3年前までボードキットが主流でまだまだ「マイコンは、利用者が"機械語"でプログラムを打ち込み動かす」ものという考えが根強く、「命令系統が整頓されている」というのはそれだけでアドバンテージだったのです。

そしてエレガントなプログラム、具体的には「3つのR」なプログラム(リエントラント・リロケータブル・リカーシブル)を作れるということは、メインフレームにも採用されているマルチタスクOSやマルチユーザOSが利用できるということでもありました。当時も、CP/Mのような「DOS」はあったのですが、メインフレームのそれを想起させるようなマルチタスク・マルチユーザーOSというのはi8080やZ80ではなかったので(後にコンカレントCP/Mなど対抗OSも出てきましたが)、マイコンユーザーたちの心を非常に揺さぶりました。

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また、Micro8は、その富士通製メインフレームコンピュータを想像させる、美しい設計思想でもマイコンユーザーの心を貫きました。

当時、最もシェアの高かったNEC「PC-8001」などは、その1つのCPUにメインメモリもグラフィック用のメモリも管理下に置いていました。確かに、それは単純で分かりやすくはあるのですが、いろいろと弱点もある設計です。たとえば、グラフィック処理であればメモリのどこが指定された座標かを計算し、画面上の点に対応するほど大量のメモリの内容を読んだり書いたりと言った処理は当時のCPUには非常に重い処理だったのですが、それをメインCPUにやらせるということは、グラフィック処理中は計算処理の能力が低下してしまうことになります。

しかもグラフィックメモリはその内容を常にディスプレイに表示させなければなりませんからディスプレイ(に繋がっているグラフィックコントローラ)が定期的にメモリに書かれている内容を読み出す必要があり、その間もCPUは活動が止まります。結果としてシステムの処理速度は大幅に低下することになるのです。

メインフレームコンピュータでは、このようなI/Oの負荷を減らすために、当時からそのI/O単位に担当のCPUを持たせ「サブシステム」と呼ばれる作りにする構成がよく取られていました。日本を代表するコンピュータメーカーでもある富士通のパソコンは、このアーキテクチャをパソコンでも採用したわけです。FM-8では、当時のパソコンにとって最大の負荷要因であるグラフィック周りの処理を、専用のCPU(これも6809)を積んで「グラフィックサブシステム」を独立させました。ユーザーは、この「一台のパソコンに2つのCPU」という奢ったスペックに魅了されたのです。

他にも(富士通の担当者は、後に雑誌インタビューで「漢字を表示させるため」と語っていた)640x200ドット8色の高精細グラフィック、32KB+ディップスイッチでBASIC ROMと切り替え32KB=64KBのメモリ構成といった奢った作りもさらにユーザーを魅了しました。

発売当初こそはその複雑なシステム構成にユーザー作成プログラムやハード改造記事などがパソコン誌に掲載されることも少なくなり、PCやMZに遅れを取りそうになったものの、サブシステムを自在に操る「YAMAUCHIコマンド」情報の流布や回路図掲載などを経て、美麗なグラフィックを生かしたゲームプログラムや、CPUのクロックアップ情報、それにソフト的に裏RAMに切り替えるハード改造記事などが掲載され始めます。

そして、「FM」パソコンは、(筆者のような)ハードコアなマイコン活用を目指す青少年たちの憧れの存在になったのです。

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▲これはかなり後の時代(もうFM-New7が発売になっている)のパソコン誌(Oh!FM)の記事からだが、FM-8を7相当にするための改造記事。こんなブロック図などが載りFM-8を改造しよう!という今思うと狂気じみた情熱を持った青少年が熱心に雑誌を読む、そういう時代だったのだ。

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▲これはFM-7,8向けの「アドベンチャーゲーム」を作ろうという記事。熱意だけはあるマニアたちに、パソコンに立ち向かう術を雑誌が教えてくれる、そういう時代だったのだ。

※ちなみに、これらの記事は私がOh!FM編集室に行くきっかけをくださったライターの大先輩「米村 英明」氏によるものなのですが、今どこでどうされているのでしょうか...。もし読まれていたら連絡くださると嬉しいです。

ちなみに、現在、富士通のパソコンは、正確には富士通本体ではなく「富士通クライアントコンピューティング(FCCL)」という関連会社が開発・販売していますが、このMicro 8からFM-11AD2までは富士通本体の半導体部門が提供していました。多くのメーカーにとって1970年代から80年代半ばまで、パソコンはIC・LSIといった半導体の拡販先候補のひとつ、という認識が主流だったのです。

そのころ既に「通信・情報・半導体」が3本の柱となっていた富士通においても例外ではなく、パソコンを手がけたのは半導体部門でした。

ただ、(当時は富士通という会社自体がそうですが)半導体の販推部門は、Micro8のころは、コンシューマー・一般利用者を相手にした商売経験がマイコンボード「LKIT-8」「LKIT-16」程度でしかなく、様々な面で、ユーザーの熱狂を本格的に産むには障害が立ちはだかりました。

たとえば、初期のころは、マイコンショップにMicro 8が納品されるときの箱は専用品ではなく、大きく「富士通川崎工場」と書かれた段ボール箱だったりしました(富士通製オフコンの納入に使うモノの流用だったようです)。価格設定もそれまで他社が販売しはじめていたパソコンのそれを大きく超える20万円超というなかなか一般ユーザーの手が届かないものであったり、そもそも他社のような情報発信基地となるショールームもありませんでした。

多くのマニア・青少年にとって、最初のFMパソコンは憧れではあったものの少し遠い存在だったのです。

そして青少年は興奮し、音は出るし棒は動いた

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▲FM-7。大ヒット商品となり、富士通を「3大パソコンメーカー」の一角として定着させた1台でした。

上位機種である「FM-11」と共に、愛称でしかなかった「FM」の名前を正式に冠した最初のパソコン「FM-7」は、「Micro 8」の後継機種です。

富士通を、NEC・シャープと並ぶ「日本3大パソコンメーカ」のひとつの地位を格個のものとさせたマシンでもあり、そして、「憧れ」でしかなかったFMパソコンの存在を、現実に手に届くものとして、興奮の奔流に変えた存在でもあります。

富士通の販推部門は大幅に強化されました(そもそもこの時代は富士通自体が急激に成長する時代で、どの部門も日々急激に膨れあがっていましたが)。

そして新たな販推部門は、ビジネスやハイエンドユーザ向けのマーケットを「FM-11」シリーズに任せ、「FM-7」はそのテイストを受け継ぎながら徹底的にエンドユーザを研究し攻略する判断を下しました。これは大いに当たり、FM-7は空前の大ヒット商品となりまました。

FM-7では、FM-8から価格を半額近い12万8千円に下げられ、ゲームなどに使えるPSG(プログラマブル・サウンド・ジェネレータ)やグラフィックパレットも搭載、CPUも「MB68B09」を搭載性能がFM-8の倍になりました。

外箱は「富士通川崎工場」や上下に青い線のやぼったい「FUJITSU」ロゴなどではなく、大描きされ斜線で大きく動きがついた「7」のロゴマーク入りの専用段ボールに。マニュアルも赤を基調とした表紙のクールなモノになりました。

パソコン誌の裏表紙などにはタレントのタモリの写真と、キャッチフレーズ「青少年は興奮する」を冠したフルカラーの広告が各マイコン誌の裏表紙を飾ります。そして、そのキャッチの通り、多くの青少年がこの「半額」「倍速」の「Fujitsu Micro」コンピュータに興奮したのでした。

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▲広告キャラクターはFM-8のときが伊藤麻衣子さん、FM-8終盤~FM-77 L2/L4までタモリの時代が勤めた。写真は、FM-7時代中期の雑誌見開き広告。キャッチフレーズは少し無難なものに変更となっていた。

※本当は「青少年は興奮する」広告を探したのですが見つかりませんでした...すいません。

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▲FM-7を購入すると同時についてくるマニュアル類。この頃には動きのついた「7」のロゴデザインが使われており、FM-8初期と比べると富士通も随分コンシューマーに慣れてきた感じになってきていた。

筆者も、このFM-7で、ついに憧れのFMパソコンを手に入れました!

アブソリュートアセンブラを入手し、6809マシン語でサブシステムに転送するプログラムを作ってYAMAUCHIコマンドで送り(実はFM-8で公開された「YAMAUCHI」コマンドの文字列は7では任意の文字列になり、その8バイトもデータ転送用に利用可能だったりしたのですが、当時、大和少年は知りませんでした(^^;))、瞬間画面表示(この頃、1秒で画面を書き換えられるのは「瞬間」と感じられるほど、マイコンの画面のペイントなどは遅かったのです)プログラムを搭載したアドベンチャーゲームを作ったり、Oh!FM編集室に持ち込んで、ゲームレビューをやらせてもらったり、OS-9を触らせてもらったり!

そうです、OS-9。

VAX/VMSやUNIXなどと同様にマルチユーザー・マルチタスク、そしてマルチウィンドウを実現した、マイクロウエアの「OS-9」というOSが、このFMシリーズで使えたのです。

そう、FM-7では、テキストベースながらマルチウィンドウOSが使えたのです! しかもマルチタスク・マルチユーザーOS!現在のWindowsなどにも繋がる、30年前のマルチウィンドウの原初の姿がここに!

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実際には、メモリはわずか64KB、ダム端末がつながるわけでもなく(FM-Xなどを周辺機器としてつなぐことはできたが端末にはできなかった)、MMUがないので当然メモリ保護もできないという非力なFM-7ではあまりできることは多くなく、筆者も念願触って触ってはみたもの、4つのウィンドウをパカパカと開き、あとはせいぜいデモプログラムを実行するかBASICで簡単なプログラムを組んでみる程度だったりしましたが、それでも時代の先端をゆく夢の環境「マルチウィンドウ」OSが、ここに一般パソコンユーザーの前に姿を現し、筆者も「ボクは時代の最先端のOSというものに触った!」という最高の感動を味わいました。そう、あの感動がなければ、今のようにいつも最先端のガジェットやOSに触れるITライターなんて仕事は選んでいなかったかもしれません。

それから、FM-7といえば、やっぱり倍速CPU・8色パレット・PSGによるサウンドを生かしたゲームたちが大量に販売されました。筆者もプレイしまくりました!

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▲そして、青少年を興奮させたFM-7用ゲームたち。バニーガールさんが脱いでくれる麻雀なんて、そりゃあもう青少年は興奮しましたとも、ええ。(笑)

FM-7は、キーボードにも専用のマイコンを搭載してサブシステム化、最低限のデータのみをメインCPUに送るようにと、キーの押した瞬間のタイミングに押されたキーのコードだけが送られるようになっていました。

そのため指がキーから離れた瞬間というのがわからず(分かるようにするとキーコードが送られるタイミングがかなり遅くなる)、シューティングゲームやアクションゲームでは指をキーから離してもキャラが動き続けてしまうという欠点があったりしました。

......「フラッピー」というアクションパズルがですねぇ、自キャラが止まってくれないので、他の機種に比べて難易度が異様に高くてですねぇ! 何度エビーラさんにやられたことかぁぁぁ!

まぁ、それはそれとして、たくさんの、アドベンチャーゲームやマージャンゲーム、それにアクションでも比較的動きの要求されないようなゲームなどなどを楽しむことができました。アクションゲームは...自分で、自キャラをとめる「5」キーを押す最高の訓練になりましたね!(満面の笑顔)

FM-7は、自分でゲームを作るにも最高の環境でした!

筆者の場合、Oh!FMというFMシリーズ専門パソコン誌でプログラミングを学び、後に持込までしたのですが、FM-7は巨大なルーズリーフ状のものや、書籍状のマニュアルが何冊も付属していましたし、Oh!FMなどを買えばプログラミング入門が読めたり、付録でニモニック表が手に入ったり...プログラミングを憶えるには最高の時代だったのです。

※全然関係ないけど、当時のOh!FMの編集長様は黒髪の超絶美女様でした。誌上では「美人編集長」などと表現されていましたが、それでは表現しきれない本当の美女でしたね。この方がFM-7の前でスパスパとタバコを吸われている姿は本当に絵になる、と当時高校生だった大和少年はほのかな憧れを抱いていました。こっちの憧れはどうにもなりませんでしたが......あ、あとOh!MZの編集さんも、夜食の餃子を分けてくれるいい方でした。

そして、周辺機器も、リアルなサウンドが出せる「FM音源カード」、そしてFM音源カードのアタリコネクタに接続できる「ジョイスティック」が登場し、キャッチコピーも「音は出るわ、棒は動くわ」になるなど、どんどんホビーユーザーの望みをかなえていきます。ついにはMSXパソコンそのものながらFM-7に接続できる、本体だか周辺機器だかわからない周辺機器「FM-X」なんていう機械まで登場したりしました。

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▲これが、MSXパソコンでありながらFM-7の周辺機器として接続できる「FM-X」。今回、筆者実家の納戸から発掘してきた。インタフェースカートリッジが、この機械がFM-7の周辺機器であることを物語る(我が家では、FM-7の周辺機器としてより、ナムコットのゲーム「MAPPY」専用機と化していましたが...)。

このFM-7を皮切りに「ホビー用途を意識したパソコン」は、百花繚乱の時代を迎えます。ライバル機としてはたとえば、FM-8時代に「パソピア」の販売を開始した東芝が27色パレットFM音源搭載の「パソピア7」を、ソニーは4096色パレット搭載の「SMC-777C」を発売します(この東芝は現在もdynabookシリーズを、ソニーもVAIO株式会社として独立しながらもPCを開発し続けていることを考えると皮肉なものです)。他にも現在、Let's noteシリーズを発売しているパナソニック(の前進の松下電器)も時代的にはこれらより少し前になりますが「JR-100/JR-200」を発売しています。

そして、富士通のFMシリーズもマイナーチェンジでFM-New7・FM-77/L2/L4を経て、4096色表示の8ビットホビーパソコン"総天然ショック" FM-77AVシリーズを発売します。

そして、バブル経済絶頂期の1989年にはインテル系32ビットCPU・CD-ROMドライブまで標準搭載したハイパーメディアパソコン「FM-TOWNS」を登場させます。富士通も、本格的に家庭向け・文教向け市場の攻略を目指す時代へと進んでいったのでした。

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