自由と競争の水産経済人「高く買って、安く売る」が投資の極意 中部幾次郎(上)

自由と競争の水産経済人「高く買って、安く売る」が投資の極意 中部幾次郎(上)

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  • 更新日:2017/09/22
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『中部幾次郎』発行:中部幾次郎翁電機編纂刊行会、編者:大佛次郎

中部幾次郎(なかべ・いくじろう)は、現在のマルハニチロの前身である大洋漁業の創始者です。束縛を拒み、企業の自由な競争を唱えたという中部の強烈な個性や経営方針で、海産経済人としての頂点を極めていきます。

それにしても不思議なのは「人より高く買って、安く売る」という言葉。金儲けの秘訣というべき、父親・中部兼松から受け継いだ言葉ですが、中部はこの言葉を商売にどのように活用していったのでしょうか? 市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。

企業の主体性を強調し、束縛を最も嫌悪した自由主義経済人

大洋漁業(マルハニチロ)の創業者、中部幾次郎の強烈な個性と独特な経営振りに惚れ込んだ高碕達之助はこう称えている。

「中部さんは徹底した自由主義経済人で、企業の主体性を強調し、束縛を最も嫌悪した。自由と競争を阻むような制度なり組織は、どんな美名のもとでも、産業意欲を低下させる以外のなにものでもない、というのが持論であった」

第2次大戦中、政府が各分野で産業統合を図り、水産界でも幾次郎率いる林兼商店と日魯漁業、日本水産の3大水産会社をひとまとめにしようとしたとき、幾次郎は真っ向から反対する。そんなことをすれば、増産どころか、かえって減産になるというのが反対理由であった。幾次郎は当時こう語った。

「役人は赤子の1つ覚えみたいに“統制、統制”というが、まるで“倒せ、倒せ”といっているようなものだ」

土佐の寒ブリの取引で同業者に一泡吹かせる

自由主義経済人・中部幾次郎を象徴するエピソードがある。高知へ寒ブリの買付けに行ったときのことだ。買付け業者の間で、競争を避け、できるだけ安値で買付けようと、1つの案を思いついた。

「持ち船の積載量に応じてブリを山分けしよう」というもので、一種の談合である。これでいくと、幾次郎の船は大型だったので分け前も多いはずだった。だが、妥協せず、激しいセリの結果、幾次郎が最後までねばって高値で一人占めした。

大阪雑喉場(ざこば)でこれをセリにかける予定だったが、相場が暴落、仲間の連中は「それみろ、おれたちのいうことを聞かないバチだ。林兼は破産するだろう」と、幾次郎の買付け失敗を肴にして祝宴を張ったという。

このとき、幾次郎は大阪市場の安値を嫌って明石に仕向けることにした。明石の問屋は「大阪と同様、昨日今日は大変安い」という。幾次郎は電話に向かって怒鳴りつけた。

「今日のことじゃない。明日はどうか。明日の相場が分からずに何の商売ができるか」

土佐の寒ブリを一手に握った中部は翌日の市場で独自の値段を唱え、売り切って同業者を口惜しがらせた。幾次郎は土佐ブリの人気と実力を見抜いていたのだ。

激怒しても「米送る」 従業員の間では「ガンジー」と呼ばれる

もう1つ、中部の人柄を物語るエピソードがある。見込みのある若者が失敗したとき、よく電報で叱りつけたが、朝鮮の事業主任であった丸尾信一(後に大洋漁業常務)が誤って高い買付けをして大損した。中部は次のような長文の電報を打った。

「コメヤノデッチカオテラノニワハキカカンバンオロシテネトレコメオクル」(米屋の丁稚か、お寺の庭掃きか、<魚屋の>看板おろして寝とれ、米送る)

漁業の秘訣は「船主と船員の心が1つになこと」と考える中部は小言電報を打っても、最後に「米送る」と寛恕の心を失わなかった。いつのことからか、従業員の間では中部のことを「ガンジー」と呼ぶようになる。畏敬と親しみを込めてインドの聖者の名を冠いた。

父祖伝来の林兼商法「人より高く買って、人より安く売れば必ず繁昌する」

中部幾次郎は兵庫県明石で生まれ、山口県下関で大成した。林崎村の中部兼松の次男に生まれたため、商号は「林兼」、鮮魚の運搬卸売業を営んだ。

「人より高く買って、人より安く売れば必ず繁昌する。これが金もうけの秘訣だ」-父祖伝来の「林兼商法」のもと、五島列島のマグロや四国の鮮魚を積んで大阪の雑喉場に運んだ。

「雑喉場通いでヒントを得た幾次郎は、押し送り船では沢山の魚は積めないし、時間がかかる。魚の質が落ちてしまうので淡路島通いの汽船、淡路島丸(100トン)を借り入れ、生きた魚を生贄に入れて雑喉場に運んだ、これが林兼商店の飛躍の第一歩となった。その後ポンポン船での生魚運搬から、わが国初の12馬力の発動機船、第一新生丸を生み、日露戦後の朝鮮漁場開拓にも成功した」(のじぎく文庫編『兵庫県人物事典』)

淡路島丸を借り入れる前のことだが、中部は米相場に熱中したことがある。それは汽船欲しさの一念から一発米相場で当て資金をつくろうという魂胆だったが、見事、失敗に終わる。だが、あきらめない。米相場に頼らず本業に励んで淡路島丸を借り入れることに成功すると、スピードアップは目覚ましく、もうけは飛躍する。「これは素晴らしい明石の活魚だ」と評判を呼び、4~5割高値で飛ぶように売れた。特に荒天の日には押し送り船は動きがとれないので、曳き船の中部の利益はハネ上がった。

【連載】投資家の美学<市場経済研究所・代表取締役 鍋島高明(なべしま・たかはる)>

中部幾次郎(1866-1946)の横顔

慶応2年兵庫県出身、1881(明治14)年ころから四国、九州方面へ魚の買い付けに行き、大阪雑喉場に搬入、1897(同30)年蒸気船淡路島丸を借り入れ、これを曳舟として鮮魚運搬に利用、巨利を占める。1905(同38)年石油発動機付き鮮魚運搬船・新生丸を建造、1918(大正7)年土佐捕鯨の株を買収、捕鯨業に乗り出す。1936(昭和11)年下関市に本社屋を新築、南氷洋捕鯨母船、日新丸が進水、10月7日日新丸船団が出港、1946(同21)年貴族院議員、5月19日逝去。

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