コメディアンが「同性愛」をネタにする権利、について思うこと

コメディアンが「同性愛」をネタにする権利、について思うこと

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2017/11/12
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「コメディ」とは何か

不意に地上波に現れて物議を醸した「保毛尾田保毛男」の一件は、視聴者が怒り、テレビ局が謝る一対の身振りが演じられ、なにやら帰結点に達した趣を見せている。

去る9月28日放映の「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念スペシャル」において、お笑い芸人の石橋貴明が、90年代に人気を博したキャラクター「保毛尾田保毛男」を約30年ぶりに演じたところ、同性愛者差別だという批判を招き、テレビ局の社長が謝罪するに至った。

この件を巡っては、同性愛について、芸能界について、テレビ放送について、すでに様々なことが論じられた。一方で、コメディについて――特定の時代と場所に属する「お笑い」に限らず、より汎用的な「コメディ」について――となると、まるで真顔で論じるには及ばないかのように、饒舌さが誘発されずにいる。

しかし、テレビ局の公式サイトに掲載され、現時点で唯一確認できる一文、すなわち、「ご覧になった方に不快な念をお持ちになった方がいるなら、これはテレビ局としては大変遺憾なことで、謝罪をしなくてはいけないと思っている」という記述が、あるいは作為的に留める曖昧さを不信に思う時、我々は、やはりコメディについて考えずにはいられまい。

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Louis C.K.(Saturday Night Live - Season 42)〔PHOTO〕gettyimages

コメディを用いて表象行為に臨む理由

頭韻法さえ駆使した「保毛尾田保毛男」の絶妙にくだらない名前が、約30年ぶりに地上波を賑わせる約半年前、アメリカのコメディアン、ルイ・C.K.によるスタンドアップ・コメディの新作『ルイ・C.K.:2017』が、ネットフリックスで配信された。

近年のアメリカで抜群の人気を誇るコメディアンは、70分のパフォーマンスのうち最も盛り上がる最後の20分間を、同性愛の題材に費やしている。

「僕は今年で49歳だが、まだ自分がよく分からない。未だに混乱している。この歳にして芽生える新しい感覚というのが、どうも好きじゃない。自分が何を好きで何が嫌いか知って、好きなことをして死にたいからね。例えば、僕はある映画と愛憎関係にある。『マジック・マイク』という映画、知ってる?」

日本ではいささかも話題にならなかったが、チャニング・テイタムとマシュー・マコノヒーが男性ストリッパーを演じる『マジック・マイク』(2012年)は、北米で約1億1400万ドルを売り上げる大ヒットを記録し、2015年の続編も同様にヒットした。

ルイ・C.K.はマイクを握りしめてステージを往来し、テイタムとマコノヒーが脱ぎながら肉体美を晒していく様子を、観客に向かって描写していく。

「この映画がテレビでやってると必ず観て、僕は度胸試しをするんだ・・・ストリップのシーンが始まると、ちょっと変な感覚に襲われて、顔が熱くなってくる。最初は、理由もなく反抗的になったりしてね・・・だけどじつはお気に入りのシーンがあって・・・」

異性愛者に間違いないルイ・C.K.は、しかし明らかに魅力的なテイタムとマコノヒーのストリップを鑑賞しながら、自分のうちに芽生えかねない同性に対する新しい感情と、ひとり格闘する中年男の様子を詳細に描写していく。そして『マジック・マイク』のネタを皮切りに、同性愛という題材について20分間喋り倒し、観客の笑いを誘うのだ。

ほかにいくらでも存在する芸術形式を差し置いて、コメディを用いて表象行為に臨む理由はいったい何か?

同性愛について、小説、映画、写真といった手法ではなく、あえてコメディで扱う必然性があるか考えると、それぞれアメリカとイギリス出身のコメディアン、ジェリー・サインフェルドとリッキー・ジャーベイスの対談が即座に想起される。

サインフェルド: 「すっかり文明化した社会の中で、スタンドアップ・コメディアンほど頻繁に、審判を下される職業も珍しい。僕たちは、(ステージ上でジョークを言う)12秒ごとに、評価されてしまうのだから」

ジャーベイス: 「そう、それがフィードバックだ・・・観客は、笑うか笑わないか、どちらかだからね」

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Jerry Seinfeld, Chris Rock, Louis C.K., and Ricky Gervais in Talking Funny (2011)

文明社会の礼儀作法を削ぎ落とす力

笑いの誘発を唯一の目的と掲げることで、ほかの芸術形式と区別されるコメディだが、笑いとは、我々が「思わず」露呈させてしまう身体的な反応であることが、二人のコメディアンの対話から確認できる。

例えばルイ・C.K.のパフォーマンスを目撃する時、我々は瞬時のうちに、それを面白いかつまらないかのいずれかに分類し、笑う、もしくは笑わないことで態度を表明する。かかる分別作業は無意識に行われ、コメディアンへの配慮は愚か、倫理観や羞恥心といった文明的な抑制装置さえ、いささかも介在する余地はない。

サインフェルドの言う「すっかり文明化した社会」、すなわち、あらゆる言動が計画的に執り行われがちな社会において、コメディは、礼儀作法を勢いよく削ぎ落とす稀有な力を持っている。コメディと接触して、「思わず」腹の内を明かしてしまう我々は、自分でも気づかなかった内心、そして個々の内心の集合体としての社会的現状を、確認することになるのだ。

ルイ・C.K.の新作の、最後の20分が露呈させる社会的現状は、我々が、社会に間違いなく存在している同性愛について、日常の普遍性の一部としてごく涼しい顔で語り、そして書く言葉を、未だ持ち合わせていない状態だ。それはアメリカでも日本でも同様で、確かに存在しているものをうまく表象できない我々は、なにやら消極的な沈黙の内に踏みとどまってしまっている。

だから、ルイ・C.K.が『マジック・マイク』のくだりを喋り始めると、我々は、最初のうちはごく控えめな笑いを漏らしつつ、一種の居心地の悪ささえ覚える。

なにやら消極的な沈黙のうちに沈殿していたものが、コメディアンの無遠慮な言葉によって少しずつ浮上してくるのを体感するうちに、こうした居心地の悪さは、徐々に爽快感へと変容する。そして、あくまで身体的な反応として「思わず」笑ってしまう時、我々はルイ・C.K.の言葉を肯定し、自らの沈黙を破ることになるだろう。

待ち望んだルイ・C.K.の新作コメディがついに終わり、彼が舞台を去ってしまうと、筆者は一種の心細さに見舞われた。同性愛という題材について、考えうる限りの視点から、言葉に言葉を重ねていくコメディアンの饒舌を名残惜しく思いながら、筆者は、前述のサインフェルドとジャーベイスの対談に、ルイ・C.K.も参加していたことを思い出す。

同性愛のみならず、例えば人種差別やテロリズムといった題材を、コメディという表現手法で扱うことは不適切ではないか、という問いに対して、彼はこう答えていた。

「コメディで扱ったらダメな題材なんて、ひとつもないと思う。コメディは、お客さんが恐怖や不安を感じている場所まで一緒に行って、そこで笑わせることで、彼らを助けることができるからね」

一種の居心地の悪さを内包する題材について饒舌になる権利を、「すっかり文明化した社会」に住む我々は、あるいは自らに禁じてしまっている。だが、こうした言葉の枯渇を息苦しく思う時、我々はコメディアンに耳を傾けて、沈黙を克服することができるのだ。

だからこそ饒舌にならなくては

かかるコメディの機能を鑑みると、「保毛尾田保毛男」の一件で、テレビ局の公式サイトに今なお記載されている一文が、なにやら不吉な表情を纏っていることに気づく。視聴者がいったい何に対して怒りを表明し、テレビ局が何に対して謝罪したのか、そして、かかる怒りと謝罪の対象は果たして同一であったのかが明示されずに、宙吊りになっているからだ。

テレビ局に宛てられた抗議文の一つを参照すれば、「男性同性愛者を嘲笑の対象とする表現」こそが、問題なのだとされている。それならば、かかる表現の使用に対して謝罪が行われたと、素直に解釈すれば良いだろうか。

だが別の抗議内容を参照すれば、コメディという表現手法で同性愛を扱う行為そのものが不適切なのだとされている。事実、こうした批判に配慮してか、テレビ局の謝罪を受けて、それでは同性愛者のみならず、例えば高齢者をコメディで取り扱うのもよろしくないのでは、といった議論が浮上している。

言うまでもなく、「男性同性愛者を嘲笑の対象とする表現」を慎むことと、一定の題材に言及する権利をコメディに禁じることは、同一ではない。しかし、公式サイトの一文はそのいずれも否定せずに、双方の可能性を曖昧に留めているのだ。

かくして抗議内容と取り合うことなく、しかし謝罪の身振りだけを演じることは、あるいはテレビ局の老獪な戦略と言えるだろう。しかし、こうした身振りが内包する曖昧さは、同性愛について、日常の普遍性の一部としてごく涼しい顔で語り、そして書く言葉を持たない我々の社会的現状を肯定し、居心地の悪い沈黙を増長してしまう。

そんな時こそ、我々はすっかり枯渇した言葉を求めて、コメディアンに耳を傾けたい。それなのに、コメディが同性愛に言及する権利が、誰かの明示的な言動の結果としてではなく、ごく曖昧に禁じられた可能性を、多くのコメディアンが敏感に察知し、饒舌を慎んでいる。「保毛尾田保毛男」がやらかした一件が時効になるまで、同性愛にはなるべく触れまいと、目配せし合っているのだ。

だが、ルイ・C.K.のパフォーマンスを目撃した我々は、コメディで扱うことが不適切な題材など、決して存在しないと知っている。一種の居心地の悪さを内包する題材について、むしろコメディこそ饒舌にならなければならないことを、我々は知っている。

だから、怒りと謝罪という一対の身振りが、取り敢えず演じられた「保毛尾田保毛男」の一件を巡って、なにやら捏造された帰結点を甘受する誘惑に抗って、我々は、やはりコメディについて論じなければならないと思うのだ。

寺田悠馬 (てらだ・ゆうま)
1982年東京生まれ。株式会社CTB代表取締役。ゴールドマン・サックス証券株式会社、国外ヘッジファンド、株式会社コルク取締役副社長を経て現職。コロンビア大学卒。著書に『東京ユートピア 日本人の孤独な楽園』(2012年)がある。Twitter:@yumaterada

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「金融業界の門をくぐって以来、日本と海外を往来するなかで再発見した日本社会は、7年前にニューヨークで想像した以上に素晴らしい高品質な場所であった」---世界を駆ける若き日本人から眠れる母国に贈るメッセージ。

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