簿記の歴史、最大の謎とは

簿記の歴史、最大の謎とは

  • MONEY PLUS
  • 更新日:2018/01/13

シャーロック・ホームズの活躍した1880年代には「資本等式」が教科書に載るようになり、簿記理論はついに完成をみました。歴史に興味のある方なら、「あれ? 意外と最近だな」と感じるのではないでしょうか。

人類にはざっくり4~5000年の文明があり、都市を作って経済活動を行ってきました。ところが、商業には欠かせないはずの簿記が完成したのは、ほんの百年少々前なのです。

なぜ簿記の完成は、これほど遅くなったのでしょうか?

簿記は文字よりも先に生まれた!?

以前の記事のおさらいになりますが、古代メソポタミア文明の人々でさえ、経済活動を記録することの重要性に気付いていました。粘土製のトークン(※おはじきのようなもの)を使って、麦や羊などの生産物の数量管理をしていたと考えられています。そのトークンが、やがて楔形文字の誕生に繋がりました。

経済活動を記録するという、広い意味での「簿記」は、文字よりも先に生まれていたのです。

時代は異なりますが、古代インカ帝国では「キープ」と呼ばれる紐が用いられていました。これは紐に作った結び目の位置や数で、経済的な数量を記録したものです。ご存知の通り、インカ帝国に文字はありませんでした。ここでもやはり、文字よりも先に広い意味での簿記が生まれていたことになります。

ヒトは分業するほど豊かになる生き物です。人口が増えて都市が生まれれば、当然に経済活動が広がり、記録したいという欲求が生まれるはずです。広い意味での簿記がかなり早い時代に生まれたのは不思議なことではないでしょう。このことを考えると、なおさら、簿記理論の完成が最近であることに疑問を覚えます。

複式簿記の登場

ところで現代の私たちが「簿記」と言う場合、それは「複式簿記」を指します。

こちらも以前の記事の復習になりますが、一般的な意味での「簿記」――複式簿記――が生まれたのは、ルネサンス初期の北イタリアでした。

中世の終わり頃、イタリアでは共和制の都市国家が次々に誕生しました。商業取引には契約書の締結が欠かせません。そして、書類の内容に間違いがないことを誰かに証明してもらえればベターです。中世までのヨーロッパでは、王族や教会が契約書の内容を証明するという役割を担っていました。ところが北イタリアの都市には、そういう頼るべき権威がいませんでした。反面、商業はますます盛んになり、契約書の内容を証明してほしいという需要が増えました。こうして、この地域ではまず「公証人制度」が発達しました。

しかし経済活動は拡大を続け、商取引の件数は際限なく増大しました。公証人だけでは、まったく需要に追いつけなくなったのです。そこで人々は正確な帳簿をつけることで、公証人の不足に対応しました。何かトラブルが生じたときには、帳簿に記録された数字を根拠にそれを解決するようになったのです。

さらに幾度もの十字軍により、中東の優れた代数学がヨーロッパに持ち込まれました。こうして、ルネサンス初期の北イタリアで「複式簿記」が生まれました。

1494年には数学者ルカ・パチョーリが『スムマ』という書物を著します。これは世界初の簿記の教科書であり、複式簿記は「ヴェネチア式簿記法」という名前で紹介されました。

複式簿記の基本的な部分は、この時代から変わっていません。

貸借一致の原則はもちろん、ある期間の純利益と純資産の増加額とが一致すること等、複式簿記の土台はルネサンスの頃には完成していました。

簿記理論完成の背景

にもかかわらず「資本等式」が簿記の教科書に掲載されたのは、それから400年も後のことでした。なぜこんなにも時間がかかったのでしょうか?

これは私見ですが、最大の理由はやはり産業革命の影響――より具体的に言えば、経営者と投資家との分離が進んだことではないでしょうか。

18世紀半ばに産業革命が始まるまで、企業の規模はいずれも小さなものでした。現代でいう個人経営の会社が大半だったのです。たとえば15~16世紀に栄えたメディチ家の銀行は、当時としては最大クラスの企業でしたが、それでも社員数はおよそ100人ほどでした。

産業革命以前の世界では、企業の規模はいずれも小さく、経営者と投資家とが一致していました。経営者本人がその企業の投資家でもあるため、純資産の増減や配当金の有無といったものにさほど注目が集まらなかったのだと思います。

現在でも、個人経営の企業では、まず目が行くのはキャッシュフローです。純資産が多少減っても社長の財産が減るだけですが、返済日に充分な現金がなければ会社が倒産してしまいます。経営者と投資家が一致している限り、純資産の増減は二の次、三の次になりがちです。

ところが企業規模が大きくなり、経営者と投資家との分離が進むと、そうも言っていられなくなります。投資家たちは潤沢な配当金を求めるため、純資産に向けられる目もより厳しいものになったはずです。

歴史的には19世紀が、まさにその転換点となった時代でした。

19世紀前半には鉄道会社が次々と設立され、重厚長大な産業が栄えるようになりました。証券取引も活発になり、資産家たちの投資対象はそれまでの農地から、企業の株式へと変わりました。

当時の企業では、本当は利益が出ていないにもかかわらず、純資産を切り崩して配当を行い、利益が出ているかのように装う粉飾が横行したそうです。これは大半の企業が個人経営だった時代には起こりえない問題です。このような粉飾を防ぐために、純資産に関する会計理論と制度が発達していきました。

1880年代という〝つい最近〟になってようやく簿記理論が完成した背景には、資本主義の成熟があったのです。

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