"世界一の地ビール"が茨城で生まれた理由

"世界一の地ビール"が茨城で生まれた理由

  • PRESIDENT Online
  • 更新日:2017/12/07
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世界中でブームが続く、クラフトビール。茨城の老舗酒蔵が造る「常陸野ネストビール」は、ドイツ、イギリス、アメリカなど世界各国で行われている国際的なビールコンテストで何度も金メダルを受賞している“世界一のビール”だ。茨城生まれの地ビールは、なぜ海外で人気を博すようになったのか。そこには「欧米のコピーでは売れない」という気付きがあった――。

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小規模な醸造所で作られた「クラフトビール」のブームが世界中でつづいている。アメリカでは金額ベースでビール市場の2割を占めるまでに成長した。ここで人気なのが日本産の地ビールだ。

米国で飲まれている地ビールの代表例といえば、「木内酒造」(茨城県那珂市)が造る「常陸野ネストビール」。1997年のインターナショナルビアサミットで金賞を取って以降も、アメリカ、ドイツ、イギリスなど世界各国で開かれた数々の国際ビールコンテストで1位を獲得している。昨年は米国に約136万本を出荷。今年3月にはサンフランシスコ、10月には上海に直営店とレストランをオープンした。

なぜ茨城産のクラフトビールが、海外で人気を博すようになったのか? そこには、商品開発の段階から海外進出を見据えた、数々の戦略があった。

地ビールブーム終焉による経営悪化が、海外進出に向かわせた

木内酒造の創業は文政六年(1823年)。約200年前、江戸時代の茨城県那珂市で酒造りを始めた。そんな老舗酒蔵がビールの製造を始めたのは1995年。かつて日本では大手4社しかビールを造ることが認められなかったが、酒税法が1995年に変わり、小規模でビールを造ることが認められるようになった。そこで木内酒造もビール事業に参入したのだ。

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木内酒造の創業は約200年前の文政六年(1823年)。江戸時代、茨城県那珂市で酒造りを始めた。

当時は参入者も多く、日本では全国的に地ビールのブームが巻き起こった。しかし、ブームはいつか終わるもの。数年たつと売り上げが激減し、地ビール会社が次々と倒産していった。木内酒造も同様に大打撃を受けたという。

「この時期、経営は苦しかったですね。でもあの経験があったからこそ、日本でダメなら世界で勝負しようと思い切って事業転換ができたんだと思います」と木内酒造取締役の木内敏之さんは言う。

その後1997年に行われた世界のビールコンテストに挑戦し、見事第1位に。出品された220のビールの頂点に立った。その後も数々の世界コンテストで受賞し続け、世界で注目を集めるようになり、海外への輸出を本格化していった。

欧米のコピーではない、日本スタイルのビール作りとは

海外でビジネスをするようになり、木内酒造ではあることに気づいたという。日本の大手ビールメーカーは欧米のビールに近づこうと努力しているが、海外のマーケットでは日本オリジナルのビールが求められていたのだ。

「常陸野ネストビールは、欧米で売れているビールのコピーであってはいけないと思いました。そこで、国産原料にこだわった日本スタイルのビール作りが始まりました」(木内さん)

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(左)赤米を使用した、レッドライス・エール(右)茨城産の福来みかんを使用した、だいだいビール

例えば「Red Rice Ale(レッドライス・エール)」は、日本の古代米である赤米を使用したビール。淡い薄紅の色合いと果物を思わせる香りが特徴の、日本独自のテイストが、海外でも評判だ。

また、日本ならではのクラフトビールを実現するため、昭和30年代で栽培が終了していた日本の原種麦「金子ゴールデン」の生産を復活させ、生まれたのが「Nipponia(ニッポニア)」というビールだ。

さらに、みかんの古来種である茨城産の「福来みかん」を使用した「DaiDai Ale(だいだいエール)」や、香りのアクセントにユズを使用した「Saison du Japan(セゾン・ドゥ・ジャポン)」など、国産原料や日本の歴史にこだわった商品を展開している。

「日本の茨城という地域にある、私たち木内酒造がビールを造る意味を追求しました。オリジナリティーを極めていって、自分たちのスタイルに作り上げていったことが、海外の人からユニークだと評価いただけた理由だと思います」(木内さん)

キャッチーなロゴも、世界進出を視野に入れて作った

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常陸野ネストのトレードマーク、フクロウのロゴ。

一目で覚えやすいフクロウのロゴも、世界進出を視野に入れて作ったものだ。だが最初は、本社がある鴻巣(こうのす)という地名からとった「コウノトリ」をモチーフにするという案も候補に挙がっていた。しかし調べてみると、コウノトリはヨーロッパでは泥棒の鳥というイメージがあるということで、世界中の誰もが知っているフクロウが採用された。

結果的に、この時の判断は間違っていなかった。覚えやすいキャッチーなロゴのおかげで、常陸野ネストビールは世界中で「フクロウのビール」と呼ばれるようになった。

素材や商品のパッケージなど、商品開発の段階から海外展開を見据えたこれらの戦略が功を奏し、常陸野ネストビールはニューヨークで人気に火がつき全米で認知されるようになった。2016年、木内酒造はアメリカに約450キロリットル(約136万本)を出荷した。現在、輸出先はアメリカをはじめ33カ国以上に広がっている。

サンフランシスコ、上海に直営店をオープン

今年の3月には、アメリカで最も食事にお金をかける地域と言われているサンフランシスコに、直営店とレストランをオープンした。このレストランでは、ソバと常陸牛を提供している。なぜソバと牛なのかというと、ここにも木内酒造ならではのストーリーがある。

「うちの畑では、日本の原種麦・金子ゴールデンを収穫した後に、ソバを植えています。というのも、麦を収穫した後のやせた土でもソバは育つということで、茨城では昔から麦の裏作でソバを作っていたんですよ。また常陸牛には、ビールを造る際に出る麦のくずを食べさせて育てている。つまり、ビールにまつわるソバと牛の料理を提供しているわけです」

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サンフランシスコの直営店では、常陸牛と茨城県産のそばを提供している。

サンフランシスコで当たれば、より世界基準で勝負できると木内さんは言う。このレストランは、常陸野ネストビールの世界的PRの役割をも果たしているのだ。

さらに今年の10月には、上海にも直営店をオープンした。今後は欧米だけでなくアジア進出も目指すという。常陸野ネストビールの勢いは止まらない。

「伝統×革新」相反する2つの掛け算が、世界の人々を魅了する

ここ数年のクラフトビールのブームに乗じて、新規参入する醸造所も増えている。しかし木内さんは、安易な参入には否定的だ。

「そんなに甘いもんじゃないですよ。うちの会社では日本酒は約200年、ビールは20年以上作っている。地道に生産技術の研究を積み重ねた歴史があって、今があるんです。やっぱりひとつひとついいものをきちっと作り続けていくことが、モノづくりの原点だと思います」

200年続く老舗の伝統を受け継ぎながら、革新的なオリジナリティーに挑戦する木内酒造。「伝統×革新」という、一見相反するこの2つの掛け算こそが、世界の人々に愛されるゆえんなのだろう。

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