星野仙一さんが亡くなる前まで力を注いでいた「ある活動」

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2018/01/13

「上から目線」を嫌った

さる1月4日、東北楽天ゴールデンイーグルスの星野仙一球団副会長がすい臓がんのため亡くなりました。まだ70歳でした。

星野さんに最後にインタビューしたのは2015年の4月です。テーマはパラスポーツについてでした。

というのも星野さんはパラスポーツに理解が深く、ご自身も「星野仙一杯争奪西日本肢体不自由ティーボール交歓大会」を主催していたからです。

それについて星野さんは、こう語っていました。

「僕もコーチングをしたんですが、なかなかバットに当たらない。そこから練習をし、ボールに当てることができた時の彼らの笑顔が忘れられません。感情がブワッと出てくるんです。

それまであまり感情を表に出さなかった子どもが『ウワーッ! 当たったァ』と喜ぶのを見て、僕はとても嬉しくなりました。『これをもっとやりましょう』と関係者と話したんです。

施設の屋上に練習場を作り、最初は自分たちだけでやっていたんですよ。それが高松の養護施設でもやるようになり、試合をするようになった。そのうち勝った負けたが出てくる。僕は子どもたちに言うんですよ。『“いい試合をした”ではダメだよ。勝ちを意識しような』と」

ともするとパラスポーツに対しては「感動をありがとう」といった情緒的な記事が多く見受けられますが、星野さんは「みんな仲良く手をつなごうではダメだ」と語っていました。

「そもそもパラリンピアンや障がい者スポーツの選手に対して『感動をくれてありがとう!』なんて言葉は、“上から目線”なんですよ。『あそこまで行ったらなんで勝たなかったの!』『次の大会は!』とか、そういうゲキの方が彼らのモチベーションを高めることに役立つ。僕はそういう考えをしているんです」

遺志を継いでほしい

さらに、こう続けました。

「まだ世間やメディアは障がい者スポーツに対して、結果を求める厳しい声はあまり聞かれない気がします。そういうことは、ご法度でアンタッチャブルだという意識が強すぎるんじゃないでしょうか。

スポーツマン、スポーツウーマンというとらえ方をしていけば、日の丸を背負って戦っているんですから『勝負にこだわろうよ』と。その考え方が障がい者スポーツを発展させ、進化させることにつながるのではないかと、思います」

2008年北京オリンピックで野球日本代表の指揮を執った星野さんは2020年東京オリンピックはもちろん、パラリンピックも楽しみにしていました。

心配なのは「星野仙一杯争奪西日本肢体不自由ティーボール交歓大会」の今後です。星野さんの遺志を引き継ぐため、継続に向け、球界あげて協力すべきでしょう。

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