映画は監督の小宇宙、命が明日尽きても撮っていたい

映画は監督の小宇宙、命が明日尽きても撮っていたい

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  • 更新日:2016/10/21

三島有紀子(映画監督)

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『しあわせのパン』『ぶどうのなみだ』『繕(つくろい)い裁(た)つ人』と話題の映画を毎年世に送り出し、この秋には湊かなえ原作の『少女』が公開される気鋭の映画監督。撮影現場でカメラをのぞき込む厳しい横顔の印象を抱えつつ待ち構えていると、三島有紀子監督は、競技場に入るアスリートのようなパワーと少女のような軽やかさを漂わせて現れた。ちょっと意表を突かれ、剛と柔のイメージが行き来し、遠と近との間合いが変わり、腕を組む仕草にカントクの4文字にまた引き戻され……忙しく気持ちのピントを調整しながら、写真撮影中の三島を眺めていた。

「撮影現場で写真を撮られるのは全然気にならないんですけど、こういうのは恥ずかしいですね。役者の気持ちがわかります。何が求められているのか空気を読んでいながら読んでないフリをしたり。悲しい性(さが)です」

生まれながらに持っている性といえば、小学生の頃から三島は映画監督になりたいと思っていたそうだ。中学生の時には、将来の夢は映画監督と小さくて読めないような字で文集に記した。

「父が映画好きで、監督といえば黒澤明監督とか小津安二郎監督。だから、大きな字で映画監督って書けなかった」

たとえ大きな字では書けなくても、書かずにはいられない思いが確かに存在したということなのだろう。三島の記憶に最初の強烈な印象を与えた映画との出会いは、父に連れられて観たイギリス映画『赤い靴』。主人公のバレリーナが恋愛とバレエの狭間(はざま)で悩み、自殺をしてしまうという物語だった。

「4歳の時でした。自分で死んでしまうということがあるんだというのがショックで1週間くらい眠れなかった。死ってどういうことなんだろうって、それからずっと考えていたような気がします」

美しいバレエのシーン。大事にしてきた世界を自らの手で無にしてしまう自死。美しさと死。たとえ字幕は読めなくても映画が与えた2つの大きな衝撃は、美を求めてバレエを習うという変化と、傍らに常に死の影をまとわりつかせるという変化を幼い少女にもたらした。

その2年後、6歳の三島は、隣町の駐車場で変質者にいたずらを受けるという不幸な出来事に見舞われている。

「汚れた肉体は消えてしまったほうがいいって、『少女』の脚本に書いたセリフなんですが、まさにそんな気持ちでした。でも子どもだからとりあえずご飯が食べたい。友達と遊びたい。何かやりたいことがある。ということは今日は死ななくていい。生きるか死ぬかと毎日自分で選択して、今日は死なないでおこうと思う。その連続で生きてきたって感じです。『赤い靴』の主人公のように、いよいよとなれば死を選べるということを思い出して楽になっていたんですね」

自分の死のイメージは、世の中に負けるのではなく選択の一つなのだと理解し、死を常に意識しながら、それゆえに生きていること、生きる選択をした自分を確かに感じる。『赤い靴』が自分を生かしてくれたと三島は言う。

「あの時あの映画を観ていなかったら、少なくともこんな風に今生きていなかったと思うから」

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美しいと思うものは何か

映画が人生の瞬間瞬間に蘇り、寄り添ってくれる。それを体感した三島は、家の近くの名画座に1週間に1度は通う映画好き少女になった。映画好きは、あくまで観客として楽しむファンであるが、三島は早くから監督を目指している。観る側ではなく創る側にシフトしていったということだ。

「パンフレットが読めるようになると、監督のインタビューなんかが載ってる。どういう人物をどう動かしていくのか、映画全体は監督が持っている世界観とか哲学で創られた小宇宙だと思ったわけです。もちろんそういう言葉は後付けですけど、そんな風に感じて、自分もなりたいなって」

1本の映画が、4歳の少女のその後を導いていく。映画の持つ力のすさまじさが、鳥肌が立つような感覚で伝わってくる。その感覚をズームアウトしていくと、4歳の娘に『赤い靴』を観せた父親の姿がフレームインしてくる。

「父は単に自分が観たかっただけで、私がどう感じたのかなんて無頓着。何たって私に三島有紀子なんて名前をつけるくらいだから」

三島由紀夫を連想させる名前。三島が生まれた時、三島由紀夫の大ファンだった父が由紀子と名付けようとし、母が反対して父が1字だけ折れて有紀子になった。翌年、三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地で凄絶な自死を遂げている。こういう名前を持って生きていくというのは、どんな感じなのだろうか。

「どうしても自分の人生の中に入り込んできますよね。父は私を三島由紀夫展とかに連れて行くし。どういう作品を書いているのか気になって読んでみるじゃないですか。最初は飾りの多い文章があまり好きになれなかったけど、10代の終わり頃になると、自分が美しいと思うことを描きたい美意識の高い人なんだと感じるようになって、そこに興味を持つようになりました。よくよく考えると、自分のやりたいことに繋(つな)がっているんですよね」

自分が美しいと思うものは何なのか、いつも自分に問いかけ続けてきた。それがやがて、肉眼ではなくカメラを通して美しさをどう撮るかという表現者の問いになっていく。

人間をもっと知りたい

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高校時代から脚本を書いていた三島が、初めて映画を撮ったのは大学在学時。あらゆるバイトをしてお金を稼ぎ、インディーズ映画『夢を見ようよ』で脚本監督デビュー。まさに真一文字に劇映画の監督へと突き進んでいたはずの三島は、卒業後なぜかNHKに入局してドキュメンタリーを撮っている。

「大学の授業の一環で児童相談所に実習に行って、インドネシアの養護施設の先生をしていたとても魅力的な人と出会ったんですね。その人を追いかけたくなって卒論のテーマにして、ドキュメンタリーにできないかなと思ったんだけど、資金がないので、企画書を書いてNHK大阪放送局に持ち込んだんです。自分は突撃するタイプのようで」

そこで面白いから採用試験を受けてみたらと勧められ、就職という手があったかと気づいた。制作費ばかりか給料まで出してもらえる。採用が決まればドラマ制作を希望することもできたはずだが、三島はドキュメンタリーの道を望んでいる。なぜ? とまた思う。

「映画は監督の小宇宙を伝えるんだなんて思っていたけど、ドキュメンタリーの研修で人を追いかけてみると、20年ちょっとしか生きていない自分の小宇宙なんてちっぽけでつまらなくて浅いもので、自分は安直だったって思い知らされた。本物を知りたい。人間をもっと知りたいと思いました」

取材という形でリアルに近づき、自分とぶつかり、その度に自分の小さな宇宙がはじけて広がっていく。企画が通れば監督としての作品が残り、「NHKスペシャル」や「トップランナー」でドキュメンタリーと取り組んだNHKでの11年間はとても面白かったと振り返る。が33歳の時に、三島はNHKを退局している。そのきっかけは阪神淡路大震災だったという。もし明日、命を失うことになったら、自分はドキュメンタリーを撮っていたいのか、それとも劇映画を撮っていたいのか。自らに問いかけ、心は劇映画を撮っていたいと明確な答えを出した。

「じゃ、何で今自分は映画の世界にいないのか。そう思ったので、200万円ちょっとの貯金で食いつないで、タダ働きでもいいから助監督をやらせてもらいながら映画を一から勉強しようと、NHKを辞めました」

生きていく縮図を描く

蓄えはみるみる底を突き生活は苦しくなったが、用語からスタッフワークまですべてが勉強で、吸収している時間は楽しかった。が、電気を止められても額に懐中電灯を括(くく)り付けて凌(しの)げるけれど、やがてしだいに違う苦しさが三島を悩ませるようになっていった。

「参加できる楽しさを超えて、自分が作りたいという気持ちが膨らんでいくんです。喫茶店で脚本を書き、企画書を書きまくっていたけれど、こういう話を作りたい、こういう絵を撮りたい、こういう芝居を求めたいという気持ちが抑えても噴き出してきて、吐きそうになるんですよ。これをどうしたらいいものか。とりあえずボクシングジムでサンドバッグにぶつけてました」

膨張してまさに噴火しそうな真っ赤に燃えたぎるマグマがはっきり見えるような……創作のエネルギーの激しさに思わずたじろぐ。

そして、ついに2009年、『刺青(いれずみ) 匂ひ月のごとく』で監督デビュー。次いで12年に公開された『しあわせのパン』の舞台は、夫婦が密やかに営む北海道のパンカフェ。春夏秋冬、さまざまな悩みや孤独や寂しさを抱える人がやってきて、夫婦や常連客との関わりの中で物語が展開していくファンタジー作品である。三島とファンタジーという取り合わせはやや意外な気がするが、リアルとはアプローチが違うけれど伝えたいことを象徴的、抽象的に描ける手法の一つとしてずっと温めていたのだという。

「震災の時の避難所で、スペースも食べ物も分け合って大きな不幸の時を生きている姿を見て、これは人が生きていく縮図だと感じたんです。人が人と生きていくのは、こうやってシェアしていくこと。リアリズムではなく視覚的に訴えられるものは何かと考えた時、パンを分けるということでした」

パンを分けるサクッという音は、抱えているものを分け合う音。どこまでも続く緑の自然と赤い屋根の穏やかな風景の内に過酷な開拓の歴史を包み込んでいる北海道は、店主夫婦の姿にも重なって、それでもなお生きていけるのだという感触を伝える。

14年公開の『ぶどうのなみだ』も、北海道が舞台の、挫折して故郷に戻ったワイン醸造家の物語。厳しい冬を生き抜いたぶどうの木が、地中の根から雪解け水を吸い上げて春に枝先からあふれさせる透明の樹液の映像に、見えない部分から湧き出す生命のたくましさと美しさが凝縮されている。

「ワインの醸造過程でブクブクと発酵するぶどうの液を見て、摘み取られて一度死んだぶどうが違う形で見事に生き返ることに感動したんです。どんなことがあってもこんな風に再生できるんだと」

助監督時代から撮りたいと願い続けてきた『繕い裁つ人』もまた、祖母のパターンを忠実に守ってきた主人公が、その見えない縛りを乗り越えて未来への一歩を踏み出していく。

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リアルではなくファンタジーで、もう一度生きる道を照らす光をほのかに感じさせる作品と比べて、今秋公開された『少女』は、閉鎖的な高校生活の中で、「人が死ぬ瞬間を見たい」と願った少女2人が、〝自分たちにとっての生と死〟というリアルを求める物語である。

「17歳。自分もかつてそうだったけど、何も見えていないのに自我が強くて自分勝手な時期を生きる主人公を映画で描きたかったんです。原作を読んだ時から映画にしたいと思ってました。できるかできないかは絵が浮かぶかどうかなんですが、最後に主人公ふたりが疾走するシーンが自分の中でとても鮮やかに浮かんで、できる!と感じました」

小説では公園だが、映画では陽光を受けて輝く海辺に設定されている。子どもの時のキラキラしたシーンと対になって、友情を取り戻したふたりが高台へと走っていくラスト。

「自分の暮らしていた町を俯瞰(ふかん)することで、チマチマと考えていた世界の小ささに気づくシーンは大事だったので、光を待ってリテイクしました。でも、本当のラストでは、彼女たちの満面の笑みはアップでは撮りませんでした」

何を感じるかはすべて観る人に委ねているから、といたずらっぽく笑う三島は、すでに来年公開予定の『幼子われらに生まれ』の撮影を終え、今は編集作業に追われる忙しい毎日だという。

もうボクシングジムでサンドバッグに思いを叩きつける必要はなくなったと思いきや、「まだまだ、全然、行きたいです!」という答えが噴き出すように返ってきた。

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(写真・岡本隆史)

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