藤浪と島袋...甲子園連覇を果たした二人のエースに起こった「異変」

藤浪と島袋...甲子園連覇を果たした二人のエースに起こった「異変」

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2017/09/09
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あまりに早くキャリアのピークを迎えると、残りの人生がままならなくなる。これは、どんな世界でも共通することかもしれない。かつて「頂点」を極めた二人のエースは今、苦悩の日々を送っている。

怯えたような表情

8月16日の広島戦。4回ツーアウト。広島の2番・菊池が右打席に立った瞬間、阪神の先発・藤浪晋太郎(23歳)の表情が明らかにこわばった。

初球、振りかぶって腕を引いた瞬間にボールがすっぽ抜け、一塁側に転々と転がる。
嫌な空気が漂う。

2球目を外の直球で外した3球目。キャッチャー梅野の要求は真ん中。

だが、藤浪が投じたボールは大きく逸れ、菊池の肩を直撃する。球場は騒然とし、真っ先にベンチを飛び出した広島の石井打撃コーチは激しい口調で審判に抗議、乱闘こそ起きないものの、両ベンチから選手たちが駆け出し、一触即発の空気が流れる。

〈また、やってしまった……〉

帽子を取り、怯えたような表情を浮かべる藤浪の顔色は、真っ青だった。

「あれはもう、相手との『勝負』になっていないよね。自分の中で『また右バッターだ、ぶつけたらどうしよう』というプレッシャーとの闘いになっているわけですから。

2回に大瀬良にぶつけた球なんか、キャッチャーが外に構えているのに逆球でインサイドに抜けて当てている。ああなると、本人はもう恐くて放れない状態だと思います」

当日、実際に藤浪の様子をつぶさに見ていた北別府学氏がこう言うように、この日、藤浪は7四死球を献上。相手はすべて右バッターだった。

5回に投じた8番・石原への107球目は頭部付近へ大きく外れ四球。2アウトながら、この日すでに一度ぶつけている大瀬良を迎えたところで交代を告げられる。

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Photo by GettyImages 藤浪晋太郎

大量の汗をかきながら肩を落とし、放心した様子でベンチへと引き上げる藤浪の顔に、「あの頃」の絶対的自信はもう感じられなかった――。

「連覇を達成した年は、もう高校生とは思えない威圧感があったよね。なによりあのタッパでしょう。自信満々の上から目線というか、打席に立った瞬間から、もう相手バッターを飲み込んでいく絶対的な自負が漂っていましたね。あんな高校生そうそういない」

'13年まで阪神のスカウト一筋25年、藪恵壹や赤星憲広、鳥谷敬など球団の顔となるスターを見出してきた菊地敏幸氏の目にも、「あの夏」の藤浪の存在感は圧倒的に映っていた。

'12年の8月23日、藤浪は大阪桐蔭のエースとして甲子園決勝のマウンドに立っていた。奇しくも相手は、春の選抜で決勝を戦い7-3で下した青森・光星学院。

春夏連覇という偉業を前にしても、藤浪には微塵の動揺も感じられない。大会屈指の強力打線を相手に14奪三振。

9回には決勝での史上最速記録となる153キロの直球で、光星4番の北條史也(現・阪神)をセカンドフライに封じる。圧倒的な力の差を見せつけての、連覇達成だった。

コーチは何も言えない

当時の藤浪の様子を、地方大会から観察していたスポーツライター・安倍昌彦氏が振り返る。

「あれだけの大舞台で、まず表情を変えない。どんな精神構造なのかなと思って見ていました。

試合でのクレバーさもそうだけど、もっと印象的だったのが、取材での受け答え。藤浪はインタビュアーが男性でも女性でも、相手に近づいて、まったく目を逸らさずに話すんです。シャイな大谷(現・日本ハム)がずっと目を合わせずに話すのとは対照的でした」

その秋のドラフト、藤浪は最大の目玉候補として4球団から1位指名を受ける。獲得したのは阪神だった。

当時、阪神の投手コーチを務めていた中西清起氏が言う。

「初めて直接会った時は、物静かな子だな、と思った。コントロールがすごく良いというわけではないんだけど、ここぞというときにアウトローにビシっと決める能力は別格だった。

素材もメンタルもプロ向きだから、カットボールを覚えさせたり、インステップを修正したり、無理のない範囲で少しずつ改良していきました」

中西氏が指導した'15年までの3年間、10勝、11勝、14勝と藤浪は順調に勝ち星を伸ばし、「阪神のエース」の座を不動のものにしたと思われた。

だが、昨季から徐々にコントロールが狂い始める。与四球70は、リーグワースト記録だ。

ある球団関係者は藤浪の現状をこう嘆く。

「今年は春のキャンプから気合が入っていた。いい形で進んできたが、WBCに行ったことで狂ってしまった。本人曰く、『縫い目のでこぼこ感や皮の滑り具合など手触りが日本とまったく違って感覚がわからなくなった』と。あれで決定的にフォームが崩れた。

ただ、それなりに投げられているし、イップスというほどの状態ではないというのがウチの認識。話しやすいように、去年まで現役だった福原コーチをつけているが、手取り足取りというわけではなく、見守っている感じです」

だが、前出の中西氏は球団のこの「静観」姿勢に疑問を呈する。

「本当なら、一刻も早くまわりの人間が『変える』のではなく『省く』ことを教えてやらなきゃいけない。頭のいい子だから、自分でどこが悪いか気づいているはずです。

でも、野球は頭よりも先に、体で覚えてやるもの。悩んだ末に身についてしまった余計な動きを、一つずつ取り除いてやらないと。つきっきりで本気になって『気持ち』を立て直してあげるべきです」

人一倍強靭な精神を持つがゆえに、一度不安に飲み込まれると抜け出せない。前出の元スカウト・菊地氏は、高校時代の藤浪にその「兆候」を感じ取っていた。

「高校のときから、ランナーを一塁に背負うと、プレートを外して『牽制のフリ』をすることが妙に多かった。かなりランナーを気にするんだけど、実際にはほとんど牽制しない。

当時から『大事な場面で抜け(て暴投し)たらどうしよう』という『不安の種』を頭の片隅に抱えていたのかもしれません」

春と夏に高校野球大会が開催されるようになって90年余りの歴史のなかで、春夏連覇を達成した高校はわずかに7校。

藤浪から遡ること2年、同じ偉業を成し遂げながら、プロで伸び悩んでいる男がいる。ソフトバンクの島袋洋奨(24歳)だ。

ホークス二軍の本拠地であるタマスタ筑後のブルペン。ゆったりと足をあげ、それから身体をぐっとセカンド側までひねる島袋独特のフォームは、今も変わらない。

'10年夏の選手権大会、沖縄初の優勝校・興南高校のエースとして甲子園に旋風を巻き起こしたあの、「琉球トルネード」だ。

174cmと野球選手としては小柄な体をめいっぱい大きく使うべく生み出した投法から繰り出される重い球と、変則ゆえに出処の見えにくいスライダーのコンビネーションで三振と凡打の山を築きあげた。

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Photo by GettyImages

失われた感覚

今年も興南を夏の甲子園に導いた我喜屋優監督が振り返る。

「真面目さと、ハートの強さ。彼を語るにはこの二つに尽きる。夏の決勝の東海大相模(神奈川)との試合も、準決勝の疲れが残っていて、調子が良いわけではなかった。それでも、丁寧な制球で打たせて取り、徐々に力を戻していった。

いざというときには敢えてインコースをビシっと攻めてエンジンをかける。『自分をよくわかっている』投手でした」

島袋の甲子園通算成績は11勝2敗、通算勝利数は同じく春夏連覇を達成した松坂大輔(現・ソフトバンク)と並び歴代5位の記録だ。

卒業後は、鳴り物入りで中央大学に進学。1年時、同校の監督として指導した高橋善正氏も、やはり「ハートの強さ」に舌を巻いた一人だ。

「強いというか、島袋はまったく動揺しない。常に同じ精神状態で放れるんだよ。ピンチであろうが、力むことがまるでない。

入ってきたときは、こんなに小さいのかと驚きましたよ。素材としては決して恵まれていない。それでもあれだけの球を投げられるだけの筋力をつけている。努力の賜物だと思いました」

高橋氏のもと、東都大学野球・春季リーグ戦の開幕戦で、1年生としては実に48年ぶりの開幕投手を務め、最終的には同リーグの新人賞を獲得するなど、島袋の「大学デビュー」は順風満帆のように思われた。

前出の我喜屋氏は、島袋が2年生のときに沖縄で「凱旋登板」したときのことを覚えている。

「県営球場で、亜細亜大学の4年生だった東浜巨(現・ソフトバンク)と投げあったんです。当時の東浜は大学生ナンバーワン即戦力と言われていた。

でも、島袋も彼に勝るとも劣らずのピッチングをしていてね、三振の数も同じくらい取って、互角に投げあっていた。『ああ、何の心配も要らない、先が楽しみだな』と思っていた」

だが、それからしばらくして、久々に島袋が投げている映像を見た我喜屋氏は、言葉を失った。

「もうひどかったですよ。フォームをひと目見た瞬間から『ああ、こんなに身体が開いちゃって、一体どうしちゃったの』と。フォアボールを連発した挙げ句、すっぽ抜けてとんでもないところに投げたりね。

あの子は感覚が独特で、一度ねじを外したり、巻いたりすると、修正するのが難しい。大学でその感覚を失ってしまったのでしょう」

恐怖との孤独な戦い

あの頃、島袋にいったい何が起きていたのか。本人は多くを語らないが、プロ入り直前に受けた『Number』のインタビューでは複雑な心境を吐露している。

〈(3年秋から)少しずつ指先の感覚が狂い始めて、緩いボールじゃないとストライクが取りにくくなった。原因は……わからないんですよね〉

4年生の春は、さらにコントロールが悪化し、開幕から短いイニングでの降板を繰り返した。暴投を重ねれば重ねるほど募る恐怖心。腕が縮こまり、手元の狂いはもはや修正が利かないレベルになっていた。

ついには、夜中に嫌な夢を見てはうなされる日々が続いたという。

〈エレベーターが一気に落ちる夢とか、車のブレーキがきかなくなる夢を、何度も何度も見ましたね……〉

一度崩れたものは、容易には取り戻せない。

「島袋はイップス」――。

球界関係者にはそういう認識がすっかり広がっていたが、ソフトバンクは、かつて地元・九州沖縄地方から全国の野球ファンを熱狂させた左腕の指名を断行、島袋は'14年のドラフト5位で入団が決まった。

あれから3年。島袋が一軍のマウンドに上ったのはわずかに2試合。イップスは解消できたのか。

「1年目の夏に、旧知のトレーナーからのアドバイスで投球フォームの徹底チェックを行ったのが功を奏し、ストライクは入るようになった。ただ、本人はいまだに『あの(イップスの)恐怖は忘れられない』とこぼしています。

ここまで戻すのに時間がかかったぶん、まだ上で投げられるような細かいコントロールを身に付けられていない。最近では、いままで酷使してきた肘の手術も検討しています。

本人はとにかく真面目過ぎる性格で、二軍でも黙々と練習をしていますが、そろそろ結果を出さないと残された『時間』はそう多くはない」(ソフトバンク・球団関係者)

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Photo by iStock

藤浪にしろ、島袋にしろ、関係者に話を聞くとみな口を揃えるのが、野球に対してのストイックなまでの「真面目さ」だ。前出の安倍氏が言う。

「藤浪も、人一倍練習に打ち込むし、島袋も高校時代は『もうちょっと肩の力を抜いて楽しんだら?』というぐらいひたむきだった。二人とも、そうした姿勢だから春夏連覇という偉業を達成できたのでしょう。

でも思い詰めてしまうと抜け出せなくなってしまう。極端に手足の長い藤浪のボディバランスも、島袋の独特のフォームも、一度崩れると周囲が修正をかけることは難しい。孤独な戦いなんです」

人生の早い時期に「頂点」を極めてしまった人間にしか分からない苦しみ。そのなかで、二人の「エース」は自分を取り戻すために戦っている。

「週刊現代」2017年9月9日号より

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