42歳「脳が壊れた」ルポライターのその後〜私が障害を受容するまで

42歳「脳が壊れた」ルポライターのその後〜私が障害を受容するまで

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2016/12/01

トイレでこっそりゼリーを食べる

昨年初夏、41歳で脳梗塞に倒れた。

幸い一命は取り留め、血圧や血液の状態などを改善維持すれば再発リスクはそれほど高くないというが、左半身に軽度のマヒと、構音障害(呂律障害)、そして高次脳機能障害(以下「高次脳」)という聞きなれない後遺障害が残った。

リハビリを経て比較的短期間で回復したのは、身体や口回りなどフィジカル面のマヒ。ところが一方の高次脳については感情の抑制困難や注意障害・遂行機能障害が複雑に絡み合った形で残存し、結果として「声は出るのにうまく人と会話できない」という、取材記者としては少々致命的な状況になった。

定まらぬ視線、能面のような表情と、震えがちで吃音も伴う弱々しい声……。

自分の意図するコミュニケーション表現ができない苦しさとの戦いの日々が始まったが、一方で期せずして得ることになった高次脳の当事者認識がそれまで取材対象者としてきた社会的困窮者や精神疾患・発達障碍の当事者の抱えている苦しさに酷似しているのではないかと気付けたのは、僥倖。

そこから自己観察を続けて脳にトラブルを抱えた当事者認識の言語化に挑戦したのが、発症からちょうど一年で上梓した闘病記『脳が壊れた』(新潮新書)である。

だがこの闘病記の発行後、脳卒中の後遺症ケアに携わるリハビリ職や精神疾患に携わる心理職の先生たちからは、異口同音にこんな意見をいただいた。

「鈴木さんほど早い時期から障害を受容して自己観察し、かつ前向きに社会復帰に挑めたケースは珍しい。鈴木さんも十分に苦しかったと思うが、他の患者さんはもっと社会復帰に苦しい思いをしているかもしれない」

意外だった。僕自身、リハビリと社会復帰は「なんでひと思いにスッキリ死ねなかったんだろ」としばしば思うぐらいは辛かったし、もう回復はないのではないかと絶望した時期もあった。闘病記はあくまで自分自身への取材であって、他者への取材と執筆というそれまでの仕事とは違うから、きちんと復職できたという感覚もない。

No image

photo by iStock

そもそも受容という言葉はリハビリの現場ではあまり好ましくないもので、例えば入院中には左手のマヒがあっても仕事に復帰できるようにパソコンの音声入力環境を整えたと言ったら、それはよろしくないとリハビリの先生に強めの制止を受けたなんてこともあった。「不自由でも使わなくては回復しない」がその理由だ。

受容したら回復しない。でも、先生たちは、受容しなかったらもっと苦しい思いをしたという。ちょっとした謎掛けだ。

この謎についてよくよく考えていたら、脳裏に甦ったひとつの記憶がある。

トイレの個室の中、こっそりとフルーツゼリーを食べている自分の姿だ。桃味だった。まだ脳外科の急性期病棟にいたが点滴は外してもらった後だから、脳梗塞発症から2週間程の頃だったろう。

だがなぜ便所で桃ゼリー? 別に禁じられていた食物だったからではない。

その頃の僕には、高次脳の中でもポピュラーな半側空間無視の症状が出ていて、病院食のトレーの左側にある食べ物を認識できずに食べ残してしまうことがあった。そのゼリーは、まさにその食べ残しだったのだが、これを残してしまったことを看護師や家族や主治医に見られてしまえば、半即空間無視の障害が重いと判断されてしまうかもしれない。

そこで食事のトレーを回収しに来た看護助手さんに気付かれないようにゼリーをすかさず隠し、後に便所でご賞味というわけだ。そういえばヨーグルトでも同じことをやった記憶がある。

ちょっとまて、受容、全然できてないではないか。

思い起こせば発症から少しの間は、自身の障害を認めない、または周囲に隠したというエピソードが多くあることに気付いた。

だが前述したように僕の書いた闘病記は、自らの後遺障害を観察し、その苦しさを言語化したものだ。確かに障害を受容しなければそもそも観察に至らないわけだが、はてさて、では僕はどのタイミングで自分の障害を受容したのだろうか。

尿漏れパッドついてるくせに

間違いない。あいつのせいである(おかげである)。あいつとは、我が妻である。

「ようやくあたしの気持ちがわかったか」

これは妻が入院中の僕に投げかけた言葉だ。高次脳になった僕が、感情のコントロールが効かず、うまく話すことができず、世の中の動きが速すぎて自分だけがスローモーションの世界に叩き込まれたような猛烈な苦しさに翻弄される中、「これって俺が取材してきた『困った人たち』を同じかも知れない」と一番最初に告げたのが、妻だった。そんな僕に妻の返した言葉が、これ。

妻は子ども時代には典型的なLD(学習障害)児で、かなり激しい注意欠陥もあり、適応面に色々と問題があって20代前半にはハードなリストカッターだったし、ここ10年来仕事に就いたこともない「困った人」だ。

そんな妻がこう言った。

「大ちゃん(僕)は病気になることで劣等生になった。わたしから言わせれば、あなたは子どものころから何でもやれちゃう優等生だったんだよ。で、それで病気で劣等生になったから辛いんでしょ。でもね、優等生だったときの自分に戻りたいと思うから辛いんだよ」

いやでも、そんな「やれなくなっちゃった」自分は嫌なんだもん。ていうか、少なくとも病前の「働ける俺」に戻らなきゃ、働かない君を養えないじゃないか!

情緒のコントロールができなかった僕は、呂律のまわらぬ口でかなり激しく妻に反論したと思う。だが妻の返事は、「分かるけど、何でそこまで頑張るの?」だった。

「何でそこまで優等生でいなくちゃいけないの? わたしなんかは30年以上劣等生でやってきた結果、優等生になりたいと思わないよ。優等生なあなたに養われてるけど、優等生なあなたが好きなわけじゃないし、むしろそういうとこあんま好きくない。色々やれなくなって辛いと思うけど、やれないことはわたしが手伝うよ。何でも1人でやろうと思うなよ。尿漏れパッドついてるくせに」

その時点ではなぜか排尿時にうまく尿を切ることができなかった僕は、妻にお願いして(看護師さんたちにバレないように)こっそりと尿漏れパッドをもってきてもらっていた。

そうなのだ。やれないできない苦しい苦しい。でもまだ俺は、所詮尿漏れ男なんだ。

No image

病気になり、後遺障害を抱えて生きていくということは、以前とは違う自分になって生きていかなければならないということ。そして受容に立ちはだかるのは、病前の「やれた自分」というセルフイメージと、病後の「やれなくなった自分」とのギャップだ。

俺はもっとやれたはず。こんなに使えない人間じゃなかったはず。こんなに駄目な自分は自分じゃない。セルフイメージが高い者ほど、そのギャップを受容できずに苦しむことになる。

だがこれを子ども時代から困った人当事者であった妻に置き換えると、そもそも妻には「かつてのやれた自分」という病前のセルフイメージなんてものは存在しない。子どものころから「やればできるのにやらない」と責められ、やれない自分と折り合いをつけ、折り合いがつかない苦しさにリストカッターになり、それでも生き抜いてきた。

なんということか、こんなにも身近に受容の先輩がいたのだ。

「ねえ、何でも自分でやるっていうのは、自立じゃなくて孤立だって言うでしょ? あなたの場合はいずれ回復するかもしれないんだから、やれないことはもっと周りに頼れよ」

できないことはしょうがない。逆にできることを緻密に真剣にやればいいし、できないことは人にやらせるという男前な女王様体質が、妻の受容のスタイルだ。周囲からすれば結構迷惑だが、生き抜く上で理にかなってはいる。

「本日ザワチンです」

そんな妻のせいで(おかげで)、僕は人に頼るということを初めて知ったように思う。

一気に前向きに自分の障害と向き合えるようになり、「やれなくなってしまったこと探し」という自己観察モードに入ることができた。高次脳の回復は想像以上に時間がかかったが、仕事に戻りつつ取引先の担当さんたちにも自分の抱えた問題を告げ、理解と協力をお願いすることができた。

例えば病後最も早く復帰した仕事である漫画連載の原作仕事では、担当氏に「10日前には鈴木を予約して欲しい。明日明後日〆切ですという仕事には対応できません」と告げた。

物語をよりよく展開するための方針変更やディテールの描写変更や追加の資料提出など、常に予定が流動しがちな週刊漫画連載の原作仕事でこれはメチャメチャな要求だが、これは注意障害によってシングルフォーカス・シングルタスク(ひとつの物事・作業にしか集中できない)になってしまった僕が、突発的な仕事の依頼を受けるとパニック発作に陥ってしまうことへの対策だ。

担当氏は半泣きになり、ご自身も半ば身体を壊しながらもこの要求を受け入れて共に作品と戦ってくれた。

再発予防も含めて仕事の総量を減らし、取引先各位には自分で設定した業務時間(午後6時まで)以外の発注には対応しませんという宣言までした。

また、自己観察の結果、会話はうまくできなくても文書によるやりとりなら比較的うまくできることに気付いてからは、仕事の連絡のやりとりをメールやLINE中心に移行し、ついには「携帯電話の着信には対応しません」宣言に至る。

新規の取材仕事は難しいため、対談形式の仕事を検討してもらったり、日常業務では注意障害によるメールや原稿の誤送信誤字脱字と変換ミスの多さや、遂行機能障害で原稿が長くなりがちで刈り込み作業(推敲して文章を短くまとめる)が困難であることなどを説明、理解してもらった。

日常生活も同様。病後の僕は外食時に蕎麦を選ぶことが増えたが、これは注文が「ざる」の二文字で済むから。うまく話せない結果として注文を聞き返されるとパニックになる自分を観察した結果の対応だったし、コンビニでは釣り銭を急いで考えて出すことでパニックになるため、交通系プリペイドのSuicaを常用するように。その他のプリペイドサービスもあるが、少なくとも関東圏では緑色のSuicaのカードを見せるだけで話が通じる。

親しい友人には「感情失禁(情緒の抑制困難)があるのでいきなり泣きます」とあらかじめ宣言しておいて、思う存分メソメソ泣いた。

No image

photo by iStock

最も苦しい障害は情緒の抑制困難と注意障害が絡み合って起きるパニックだったが、妻はここでも駄目人間先駆者としてのアドバイスをくれた。

注意障害と言えば思い浮かぶのはまず不注意になることだと思うが、実際には人の注意機能は集中と無視のバランスの上に成り立っていて、病後の僕は無視してもよい情報に振り回されることで度々パニックを起こした。

例えば病前だったら取るに足らないマイナスな気分を払拭することができず、考えたくない思考に集中してしまう。さわやかな晴天の朝に起きても胸の中にパニックの種を抱えていて、そんな心がざわつく日は普段以上に喉に異物が詰まったような苦しさで、言葉が出てこない。そもそもざわつきの理由が皆目わからない時も多く、こうなるともう一層対処ができない。

そんな僕に妻は「きょうもザワチンなの?」と言うのだ。

ザワチンとは妻の造語で、心の中が落ち着いていない状況を指す。自分がパニックを抱えているというのは、それを考えることだけでもパニックを呼びそうな不安感だが、「ザワチン」だったらなんだか受容可能だ。

しかも、そんな心のざわつく日に「実は仕事で○○な状態があってうまく対応できずに心がざわついているから○○されるとパニックになるかも」などと言わなくても、「実は本日ザワチンです」と言えばことたりる簡便な言葉でもある。

そしてこのようにザワチン宣言をすると、妻は僕を放置モードに入るのだ。無視するのではなく、関わらなくなる。

ザワチンモードな日は、無駄にかいがいしく気を遣われるのも、どうしたら楽になるのかなどと問われるのもまたパニックの種になり、「適度に」放っておかれるのが一番楽というのを、妻はその身を以て知っているらしい。

病後も続く人生

もちろんすんなりと受容できない障害もあったが、一方で病後の変わってしまった自分だからやれる仕事や、そんな自分を肯定できる部分もでてきた。

なるほど、これが受容の本質だ。受容には2種類ある。リハビリの現場などで忌避される受容は、「諦観を伴う受容」。自らの障害を認識した上で、抗うことをやめてしまうものだ。もう一方の受容とは、自らの障害を認識して見つめ、それによって周囲の環境調整を企図するものである。

そもそも立脚点として受容がなければ、僕はこうした自己観察もできず、周囲にそれをカミングアウトして理解と協力をお願いすることはできなかったろう。病前の自分のパフォーマンスに拘泥して「やれるはず」と意固地になっていれば、その闘病はずっとずっと苦しいものになっていたに違いない。

自身が脳梗塞に倒れて、同様に脳梗塞後に高次脳を抱えて家族や職場とうまく行かずに苦しんでいる人たちがいることを知った。それは脳梗塞と高次脳に限らず、若くして大病を患い、継続治療や再発不安といったストレスの中で日常に復帰していく現役世代全てに当てはまることなのかも知れない。

No image

photo by iStock

例えばガン診断を受けた者のうち、治療で一命を取り留めた者のうつ病発症率や自殺率が有意に上昇することは、国内外の研究でエビデンスが取れていることだという。

病前にバリバリ働いていたセルフイメージの高い人間ほど、病後のやれなくなった自分を受容するのはプライドの折れる苦しい経験だとは思う。けども、この受容ができなければ余計に日々立ちふさがるハードルが増え、心を病んでしまうこともあり、結果としてその後の現場復職が遅れたり余分なQOLの低下を招いてしまう。

40代や50代という、まさに現役世代ど真ん中という年齢で大病に倒れるということは、その後何十年という人生を、ある者は後遺症を抱え、ある者は再発のリスクにおびえ、以前のようには働けなくなった自分と折り合いをつけつつ過ごしていくということなのだ。

そして痛感するのは、自らの病後を受容して前向きに生きていくのは、当事者一人では相当に苦しい思いをするということだ。僕の場合は妻も友人も取引先も、僕自身の受容に力を貸してくれた。

仕事に復帰する過程で一番言われたくなかった言葉は、「病気に甘えるな」「いつまでも病気のせいにするな」だろう。

この言葉が何よりも残酷なのは、病後の当事者がやれなくなった自分に対して心の中で日々自ら問いかけている言葉だからだ。もし僕の周囲にこんな言葉投げかける人がいたら、僕はどれほど辛い思いをし、日常復帰が遅れたことかと思う。

この記事を読んだ読者も、いずれは自身が当事者になるかもしれないが、それ以上に自らの周辺に大病サバイバーが現われた際に、どうかその受け入れ難い受容を支えてあげて欲しいと切に願う。

※高次脳=脳神経細胞が壊死することで起きる精神神経的な障害で、見てわかる身体のマヒなどとは違い人の内面の精神活動や認知行動に起きる障害。行動や感情がコントロールできなくなったり、記憶障害や注意障害、遂行機能障害、失語などがある

鈴木大介(すずき・だいすけ)ルポライター。1973年千葉県生まれ。家出少女、貧困層の売春、若者の詐欺集団など、社会からこぼれ落ちた人々を主な取材対象とする。代表作は『最貧困女子』(幻冬舎新書)。その他の著書に『家のない少女たち』(宝島SUGOI文庫)『最貧困シングルマザー』(朝日文庫)『老人喰い』(ちくま新書)『脳が壊れた』(新潮新書)など。またコミック『ギャングース』(講談社、原案『ギャングース・ファイル 家のない少年たち』〈講談社文庫〉)ではストーリー共同制作を担当。

No image

スペシャルタタキ作戦始動! 酸鼻を極める東日本大震災の現場で続発する便乗犯罪。地元を守ろうと身体を張る人々が、カズキたちの魂を揺さぶる。自衛隊偽装窃盗団の陰で暗躍する、安達と六龍天の企みを解き明かせ!

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

コラム総合カテゴリの人気記事

グノシーで話題の記事を読もう!
他人のお尻を洗った「温水洗浄便座」......衛生面を専門家が解説!
ムリ言わないでよっ!カレシに求められた「不可能なエッチ」3つ
その手があったか!「コンドームエッチ」で気持ち良くなる方法3つ
1万4千円の婚約指輪を店員に笑われ......花嫁の返答が話題に
オシャレな県民ランキング発表! 2位「広島県」1位は?
  • このエントリーをはてなブックマークに追加