ロヒンギャ排斥を主導するミャンマー仏教僧

ロヒンギャ排斥を主導するミャンマー仏教僧

  • WSJ日本版
  • 更新日:2017/10/13
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【パアン(ミャンマー)】最近のある日曜、ミャンマーの仏教指導者のウィラトゥ師(49)はオレンジ色の法衣をたくし上げて演壇に上り、マイクの前に立った。

「ムスリム(イスラム教徒)とはどういう者たちか?」。最大都市ヤンゴンの東にあるこの小さな町で1000人の聴衆が歓声を上げるなか、ウィラトゥ師はがなり立てた。「あいつらは尻から米を食い、口から排せつするのか? 自然界の何もかもに逆らっている」

同国中部マンダレーにある寺院の住職を務めるウィラトゥ師は、仏教徒が大多数を占めるミャンマー国民の間で反イスラム感情を高めるのに主導的役割を果たし、軍によるイスラム系少数民族ロヒンギャへの弾圧を支えてきた。

ウィラトゥ師はかつて宗教暴動を教唆した罪で25年の禁錮刑を言い渡された。だが9年間服役した後、軍によって2012年に釈放された。それ以来、各地を訪問し、ユーチューブやフェイスブックを駆使して、他の強硬派の仏教僧とともにロヒンギャへの反感をあおりたててきた。

ここ数週間、ミャンマー軍や連携する民兵組織がロヒンギャの村々を襲撃し、数十万人の難民が隣国バングラデシュに押し寄せている。バングラデシュ当局によるとこの掃討作戦ですでに3000人が死亡した。

国連人権高等弁務官事務所は11日公表した最新の報告書で、掃討作戦は事前に計画されていたとし、軍隊は性的暴行という武器を使っていると非難した。ゼイド・ラアド・アル・フセイン国連人権高等弁務官は、ミャンマーの行為は「帰還の可能性がない大勢の人々を強制的に移動させる利己的な策略」だと断じた。

ミャンマー当局は、軍の兵士がロヒンギャへの性的暴行や殺害に及び、その村々に放火したという報告を否定した。

ミャンマーの文民指導者であるアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相は、「民族浄化」を指揮する軍幹部への異議を公には唱えていない。同氏が沈黙を守るなかで生じた空白を「ナショナリストと過激な仏教僧が埋めた」と元駐ミャンマー米国大使のデレク・ミッチェル氏は指摘する。スー・チー氏は、ウィラトゥ師が今年、イスラム教徒の弁護士が殺害されたのを称賛したのを機に同師の説教を禁じるなど、その活動を封じようとしてきた。しかしウィラトゥ師はすぐに政治集会での演説に切り替えた。パアンで行われた演説もその一環だ。

ウィラトゥ師をよく知る人々へのインタビューで、子ども時代に父親の死による苦しみを味わい、やがて軍部の既成勢力の影響下に置かれた同師の人物像が浮かび上がった。

同師は本稿に関してコメントしなかった。軍はコメントの求めに応じなかった。

ウィラトゥ師はマンダレーから車ですぐの距離にあるチャウセという田舎町で育った。出生時の名はウィン・カイン・ウー。父親は退役軍人で大酒飲みだったと友人や近所の人は話す。母親は家計を支えるため、近所の人々の洗濯物を引き受けていた。

ウィン・カイン・ウーはいつもボールを蹴っていたと、家が近くだった同級生のコ・タン・マニさんは話す。「仲が良かった。何でも一緒にやった」

父親の死後、母親はイスラム教徒の商店主と交際を始めたという。程なくしてウィン・カイン・ウーは14歳で仏門に入り、僧名を名乗り始めた。

「彼はあれから変わった」とコ・タン・マニさんは言う。

ウィラトゥ師は早くから説教者として周囲に才能を認められたと元隣人は話す。特に元僧侶で軍人のチョウ・ルウィン氏の教えに心酔している様子だったと先輩の僧侶たちは言う。

数年前に死去したチョウ・ルウィン氏は仏教系の大学を創設した。また、バングラデシュのイスラム系住民や反対側の国境を接する中国の影響力拡大からミャンマーを守るために、仏教の信仰を盾にすべきだとの主張を展開した。

ウィラトゥ師は2003年、自らも行動を起こし始めたとコ・タン・マニさんは言う。チャウセの町で、地元のイスラム系住民が町を乗っ取ろうとしていると非難するチラシを配り始めた。イスラム系男性が仏教徒の女性をたぶらかしているとも非難した。

「私は彼に理を説こうと試みたが、彼は聞く耳を持たなかった」とコ・タン・マニさんは話す。

その直後、仏教徒の集団が2カ所のイスラム教寺院(モスク)を全焼させ、2人が死亡した。ウィラトゥ師が逮捕され、25年の禁錮刑を宣告された。

マンダレーの刑務所でウィラトゥ師と同室だった元政治犯のマウン・フマイン・ルウィンさんによると、同師は他の誰も受け取ったことがない特別な昼食を与えられ、受刑者仲間に分けてくれたという。

「軍の情報部からの差し入れだと話していた。フィッシュカレーなどの手作りの料理で、山盛りのライスが添えられた素晴らしい食事だった。普通の囚人に与えられる食事とはあまりにも違った。通常は少量のライスだけで、週に1度、ゆで卵1個か豚肉のすじを選ぶという具合だった」

マウン・フマイン・ルウィンさんは、軍情報部の元当局者が同じ刑務所にいたと語った。定期的な軍の内部査察で摘発されたのだという。

「彼はウィラトゥ師がどのように軍にスカウトされたかを話してくれた」。ミャンマーではそれは、情報提供者になることから軍の任務を実行することまで幅広い仕事を含む可能性がある。「ウィラトゥ師が育った家庭環境やイスラム教徒に対する恨みを軍の目的のために利用したと言っていた」

マウン・フマイン・ルウィンさんは、ウィラトゥ師が軍の情報部からどのような待遇を受けているかをよく語ったが、軍との関係について詳しい内容は話さなかったという。

スー・チー氏と同氏が率いる国民民主連盟(NLD)のメンバーが議会補選で議席を確保しようと準備していた2012年、ウィラトゥ師は刑期を終えずに釈放された。当局はマンダレーにある同師の寺院近くの飛行場まで空路で送り届けた。数百人の僧侶が同師を歓迎するため待ち構えていた。このとき、引退した旧軍事政権トップ、タン・シュエ氏の側近が同師を寺院に訪ねたことが写真からわかる。元軍情報部トップで2004年に失脚するまで首相を務めたキン・ニュン氏も同じく同師を訪ねたもようだ。キン・ニュン氏はコメントを控えた。

ウィラトゥ師は釈放後、反イスラム感情をあおる説教を再開した。12年9月、ロヒンギャが住むラカイン州で暴動が発生した際には、ロヒンギャを第三国に送り込む軍の計画を支援するため、僧侶によるデモ行進を先導した。同師は「狂犬の隣で安眠することはできない」と主張。仏教徒が立ち上がって行動を起こさなければ、ミャンマーはイスラム教の国になると警告した。

その直後、ラカイン州で新たな衝突が発生した。2012年は160人のロヒンギャが死亡し、14万人が家を追われた。仏教徒の暴徒が翌年3月、マンダレーに近いメイッティーラの町で数十人のイスラム教徒を殺害した。

それ以降の数年間で、ウィラトゥ師の存在は一段と際立つようになった。バーベット・シュローダーが監督した2016年のドキュメンタリー映画は同師がテーマだった。同師が最後にラカイン州を訪問したのは2017年5月。このとき仏教徒の村民への激励を繰り返すとともに、国境警備隊に面会した。

ロヒンギャを除いてもミャンマーの人口の4%程度にとどまるイスラム教徒に対し、ウィラトゥ師はあらためて攻撃対象を広げる兆しを見せている。

「ミャンマーが抱えるのはベンガル人(ロヒンギャを指す表現)の問題だけではない」と同師はパアンの町の聴衆に告げた。「ムスリムという問題がある」

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