「天才司令塔」「和製フリット」も挫折...期待を裏切ったサッカー選手たち

「天才司令塔」「和製フリット」も挫折...期待を裏切ったサッカー選手たち

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  • 更新日:2017/12/07
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Jリーグ創世記に天才司令塔としてプレーした礒貝(写真:Getty images)

Jリーグは今季の日程がすべて終了し、優勝争いや残留争いに決着がついた。来季へ向けてしばしのオフに入るが、この時期には契約満了でチームを離れる選手が次々に発表される。華々しくプロの世界に入ってくる選手がいる一方で、静かに去っていく選手たちとのコントラストはこの世界の厳しさを象徴するものだ。

25年の歴史を刻んできたJリーグにも、“スーパールーキー”や“超高校級”という評判を集めながら、その期待に応えきれなかった選手もいる。

1993年に開幕したJリーグ初期で“天才”の評判を得た選手といえば、ガンバ大阪でデビューした礒貝洋光だろう。名門・帝京高校で1年時から「10番」を背負ったプレーメーカーだったが、折しもJリーグ創設の勢いとブームに乗って各チームは元ブラジル代表MFジーコ(鹿島アントラーズ)のような世界的名手を次々に獲得。そうした中で特別な存在感は発揮しきれないまま、浦和レッズへ移籍するも1998年、29歳の若さで現役を引退した。

また、同時期に“和製フリット”の評判を得ていたヴェルディ川崎(当時)の石塚啓次もまた、期待に応えきれなかったと言える存在だろう。ラモス瑠偉や北澤豪といった日本代表の主力で活躍する面々を前に、ヒーローインタビューで「僕を出したら優勝できる」と言い切ったことは大きな話題を呼んだ。しかし、世代別を含む日本代表には最後まで縁がなく、2003年に引退。後にラモスは著書で「技術は本当にいいものを持っている。でも、それをフルに使ってプレーするんじゃなく、怠慢なプレーをするときが多い。それでオレが削りにいってメチャクチャ言うと、ハンパじゃないプレーをする」と、精神面に課題が大きくある選手だったことを明かしている。

高校選手権のヒーローとしてジェフユナイテッド市原(当時)に1995年の入団を果たした森崎嘉之も、Jリーグ初期の結果を残せなかった“超高校級”の象徴だろうか。市立船橋高校のエースとして全国高校サッカー選手権で8得点を決めた森崎は、地元の市原に入団。大きく期待されたが、2年間でカップ戦1試合の出場のみという寂しい記録を残して戦力外通告を受けて退団した。その後、トップシーンの舞台に戻ってくることはなかった。

J3のガイナーレ鳥取からの契約満了が発表された前田俊介も、天才と呼ばれ続けた選手だ。サンフレッチェ広島ユース時代からスケールの大きなプレーを見せ続けてトップ昇格し、大きな期待を背負った。しかし、自分勝手なプレーの多さから、当時のミハイロ・ペトロビッチ監督からも再三にわたる苦言を呈された。ピッチに立てば攻撃の部分で鮮やかなプレーを見せる一方で献身性はあまりにも低く、ポジションを奪えなかった。結局、J1からJ3までのチームを転々として、先日に鳥取と契約満了。現役を続行するのかどうかにも注目が集まる。

また、負傷というアスリートにとって最大の敵とも言えるものに飛躍を妨げられた選手もいる。中田英寿などと臨んだU-17世界選手権で日本の中心選手だった、財前宣之がそうだ。非凡なパスセンスを持つ攻撃的な中盤として95年にヴェルディのトップにユースから昇格すると欧州に挑戦。イタリアでのプレーを経てスペイン1部に移籍したが、そこで左膝前十字靭帯を断裂。結果的に、キャリアの中で3回も靭帯を切るという悲劇に見舞われた財前は、ベガルタ仙台やモンテディオ山形でプレーし、現役の最後はタイでプレーして12年に引退。所属先クラブのサポーターには愛されたが、その才能がフルに発揮されていたら、中田よりも先に欧州で認められる日本人選手になっていたかもしれない。

徐々に日本サッカーと世界の距離が近づくにつれて、欧州にキャリアのスタートを定めた選手たちも出るようになった。その先駆者的な存在だったのが、玉乃淳だろうか。東京ヴェルディの下部組織から、99年にスペインのアトレチコ・マドリードのユースへ移籍。スペインでのプロを目指したが、3年目に帰国して東京Vでデビュー。しかし、レギュラー獲得には至らず、J2のクラブを渡り歩いて2009年に引退した。その後は解説者として人気を博しているが、“スペインの名門育ち”という言葉はプレッシャーになっていたのかもしれない。

まだ現役を続けている選手ではあるが、FC東京の平山相太もまた、プロとしてのキャリアの始め方が大きな話題になった。国見高校で出場した高校選手権で2年連続得点王という快挙を成し遂げたが、進路はプロ入りではなく筑波大学だった。その1年時にアテネ五輪にも出場しているが、翌年に休学してオランダのヘラクレスへ加入。Jリーグを経ることなく欧州へ旅立った。しかし、2シーズンで退団すると、その間に筑波大を退学していたため、FC東京へ加入。11シーズンプレーしたが中心選手になり切れず、今季に仙台へ移籍している。プロ入り前の注目度から考えれば、順風満帆なプロキャリアとは言いづらい。

また、現在も海外にいる選手としては宮市亮の名前も挙がる。圧倒的なスピードを武器に持つ彼は、中京大中京高校を卒業すると、イングランドの名門アーセナルと契約。加入後はオランダのフェイエノールトに期限付き移籍すると活躍を見せた。しかし、アーセナルでは出場機会を得られず、次々に期限付き移籍でチームを渡り歩くことになり、そこでは右足首靭帯損傷、左膝前十字靭帯断裂、右膝前十字靭帯断裂と、負傷と長期離脱を繰り返している。まだ24歳と若い宮市だが、負傷に打ち勝ってキャリアを形成できるのかの岐路に立たされ続けている。

年末には、高校サッカー選手権の全国大会も開幕する。各クラブのユースや高校、大学から大きな期待を背負ってプロの門をたたく選手たちが生まれてくるが、大きな期待はプレッシャーの裏返しでもある。熾烈な競争の世界で、どれだけの選手が生き残っていけるだろうか。

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