悲劇じゃなく希望。スーパー小学生投手は6年後に野手で甲子園に出た

悲劇じゃなく希望。スーパー小学生投手は6年後に野手で甲子園に出た

  • Sportiva
  • 更新日:2019/08/14

その投手を初めて見た6年前、「こんなピッチャーがプロに行くのだろう」と鮮烈な印象を受けたことを今でもはっきりと思い出す。

投手の名前は岡戸克泰(おかど・かつひろ)という。といっても、ドラフト対象の高校生でも大学生でもない。まだ小学6年生の少年だった。

身長168センチ、体重60キロという小学生としては大きな体で、流れるような投球フォームから投げ込むサウスポーだった。指に掛かったストレートが角度よく低めに決まると、捕手のミットから強い捕球音がこだまする。これは小学6年生のボールではないと驚いたし、さらなる伸びしろも感じさせた。

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スタメンは外れたが、9回に代打で試合に出場した聖光学院・岡戸克泰

本人に話を聞いて、もっと驚いた。てっきり有能な指導者に仕込まれたのかと思った投球フォームは、独学で手に入れたものだった。

「テレビでプロ野球を見て、自分の動きと違うところがないか考えながら作りました。参考にしているのは田中将大投手(当時・楽天/現・ヤンキース)です。足を上げてから止まるのではなく、サーッとリズムをつけて体重移動をする部分と、腕の振りも力を入れるのでなく、軽くピッと振っているように見えたので、その点も参考にしています」

語り口からしてすでに大人びていた。岡戸はNPB12球団ジュニアトーナメントの読売ジャイアンツジュニアに選出されていた。12球団ジュニアトーナメントとは、毎年年末に12球団が小学5、6年生を対象に選抜チームを結成し、その覇権を争う有望な小学生の登竜門である。岡戸と同じくジャイアンツジュニアに選ばれていた小室智希(現・聖光学院)は、岡戸の存在に大きなショックを受けたという。

「みんないい選手が集まっているんですけど、岡戸はピッチャーのなかで一人だけずば抜けていて、いい意味で浮いていました。小6の時点で、『絶対にプロでピッチャーをやるんだろうな』と思っていましたから」

岡戸を擁するジャイアンツジュニアは大会で優勝を飾る。だが、このときを境に岡戸の名前は表舞台から消えた。あの左腕はどうしているだろうかと気になることはあったが、いつか出てくるだろうと勝手に思い込んでいた。

あれから6年が経ち、岡戸の名前を今夏の甲子園出場校のなかに見つけた。岡戸は聖光学院(福島)に進んでおり、背番号8をつけていた。

背番号8というところに、いろいろと察するものがあった。8月12日、海星(長崎)との試合前に岡戸を訪ねると、6年前の取材のことを覚えていてくれた。

「たしか球場のスタンドでお話ししたんですよね」

当然ながら、あどけない少年の顔から凛々しい青年の顔つきになっていた。東京の強豪硬式クラブ・東京城南ボーイズに進んだ中学以降のことを岡戸に聞いてみた。

「中学1年の秋までは、2年生のチームでエース格として投げさせてもらっていたんです。でも、秋にヒジを痛めてしまって……」

その日、岡戸は中学1年にして自己最速の125キロを計測した。だが、同時に左ヒジに痛みを覚えた。病院で診察を受けると、医師に「投げるスピードに体の成長が追いついていない」と説明された。

とはいえ、ヒジの痛み自体は重症ではなく、1カ月もするとボールを投げられるようになった。だが、1カ月の空白が岡戸の体に微妙な狂いをもたらす。今までと同じように投げているつもりなのに、フォームが安定しない。投げるボールはしっくりこず、コントロールも乱れる。岡戸は迷路にさまよいこんだ。

「中3の最後の大会は、控えピッチャー兼控え野手という感じでした」

そんな折、大枝茂明監督から聖光学院を紹介された。大枝監督はかつて江戸川南リトルシニアで監督を務め、松坂大輔(中日)を指導したことで知られている。「聖光のスタイルはお前に合っている」という大枝監督の言葉どおり、明るい声の飛び交う練習風景は岡戸の求めていたものだった。岡戸は聖光学院への進学を決めると同時に、ある決断をする。高校では野手一本に絞ったのだ。

「ピッチャーに未練はありませんでした。もうその頃には、感覚が別物になっていたので」

そして迎えた高校3年夏、岡戸は背番号8をつけて甲子園にやってきた。聖光学院は13年連続甲子園出場を果たしているとはいえ、夏のベンチに入ったことのない岡戸にとっては甲子園デビューである。だがその日、先発メンバー表に岡戸の名前はなかった。

聖光学院は海星と接戦を繰り広げたが、岡戸の出番は一向に訪れないまま、イニングは過ぎていった。そして聖光学院が1対3とビハインドで迎えた9回裏。三塁側ベンチ前で斎藤智也監督に左肩を強く押され、代打を告げられた岡戸が左打席へと向かった。

甲子園球場に詰めかけた3万8000人のうち、岡戸が小学生時代に逸材と言われていたことをどれだけの人が知っていたのだろう。バットヘッドをクルクルと回し、すり足でタイミングを取る岡戸は、甲子園の登場人物のなかでも脇役のひとりに過ぎなかった。

カウント2ボールからの128キロのストレートを岡戸は強振する。打球は力なくセンターのグラブに収まったが、岡戸は二塁ベースまで全力疾走で駆けた。

敗れた試合後、岡戸はこらえきれない涙をぬぐいながら取材に応じてくれた。

「スタメンじゃなかったことの悔しさは全然ないんです。力はみんな同じですし、ベンチで『自分の代わりに出てくれている』と思って見ていました。みんなの力を信じていましたし、よくやってくれて感謝しています」

今後のことを聞くと、「大学で野球を続ける予定はありません」と言う。それは新たな夢ができたからだ。

「柔道整復師になりたいので、専門学校に行きたいんです。自分がケガをした時に通っていた病院の先生が、的確にアドバイスしてくれるのを見て憧れが生まれました。僕も選手の体をケアしたいと思っています」

もうプレーヤーとしてはやりきったのか。そう尋ねると、岡戸はきっぱりと「悔いはありません」と答え、こう続けた。

「この試合の前に、親に手紙を書いたんです。小学校1年生から野球を続けさせてくれて、今まで迷惑をかけて、道具を買ってくれて、何ひとつ不自由なく生活させてもらえて……。本当にありがとうございました、と。必ず恩返ししたいと思っています。今までは人に生かされてきた立場でしたが、今度は自分が人を生かせるようになりたいです」

岡戸の話を聞きながら、なんとも言えない複雑な感情が込み上げた。ひとケタの背番号をつけ、甲子園に出場しただけでも立派な結果である。しかし、本来ならば甲子園のマウンドに立って、大観衆やスカウト陣の視線を独り占めにしていたかもしれない逸材だったのだ。仕方がないことだと理解しつつも、どうしても輝いていた岡戸のイメージが頭に焼きついて離れない。

しかし、岡戸は小学生時代の幻影とはきっぱり縁を切っている。

「小学生の頃、地元のチームメートや選抜チームの指導者の方から『絶対にプロに行けよ!』と言われるたびに、『はいはい』と受け流していました。でも、今にして思えば井の中の蛙だったと思います。中学1年まで単に早熟だっただけで、高校に入れば自分よりも上の選手がゴロゴロいました。『あぁ、勘違いだったんだな』と現実を思い知らされました。それに逃げたわけではないんですけど、逆にプレーヤーをあきらめたことで新たな道が開けたと思っています」

こんな時、人は「なぜ、大成できなかったのか」という犯人探しに走りがちである。しかし、岡戸に関しては無意味なのかもしれない。中学時代にヒジを故障したといっても、全治1カ月程度の重傷とは言えない内容だった。また、東京城南ボーイズは今春センバツ(選抜高校野球)に出場した注目投手・村田賢一(春日部共栄)ら、優れた人材を高校球界に輩出している。目先の結果ではなく、高校野球以上での活躍を見据えた指導方針を掲げているからこそ、有望な選手が集まりやすくなっているのだ。

岡戸も中学時代の恩師である大枝監督には感謝の念を抱いている。

「甲子園出場を決めた時、大枝監督に電話したんです。監督はすでに聖光が甲子園を決めたことを知っていて、『大胆に、荒々しくいけ!』と言われました。考えすぎるとうまくいかない、僕の性格は監督には全部お見通しなんだなとわかりました」

そして何より、岡戸は聖光学院で高校野球ができたことが心から幸せだと語った。「もう一度高校野球がやれるとしても、聖光学院に行きたい」。岡戸は力強く言い切った。

「負けましたけど、このチームでしか得られなかったものがありました。今までは自分のことしか考えられなかったのが、それだけじゃないことに気づけました。調子が悪かった時も、迷っている自分に周りの仲間が手を差しのべてくれました。ベンチ入りを逃したメンバーも、自分たちをサポートしてくれました。監督さんも部長の横山(博英)先生も、スタッフの方々も、厳しく愛情のこもった指導をしてくださいました。本当に聖光学院に来てよかったです」

悲劇のヒーローの姿はそこにはなかった。高校で選手としての野球人生を燃焼し、新たな希望に燃える若者がそこにはいた。

また、どこかで会おう。そう言うと、岡戸は涙の乾いた顔をほころばせて、「はい」とうなずいた。

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