「小池マジックの限界」が、音喜多都議の告白から見えてきた

「小池マジックの限界」が、音喜多都議の告白から見えてきた

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2017/10/12
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なぜ見切りをつけたのか

情報の公開と発信に最も熱心な都議は、都民ファーストの会を衆院選の直前に離党した音喜多駿都議だろう。毎日のようにブログを更新、SNSも使いながら都民に有益だと思える情報を発信。説明能力の高さで、メディアへの出演も多い。

その音喜多氏が、小池百合子都知事に見切りをつけたのはなぜか。

情報公開は、小池氏が都議会自民党と対峙する際、「戦いの武器」にしたものである。「都議会のドン」こと内田茂都議などを「黒い頭のネズミ」に例えて、「ブラックボックスのなかで都政が決まっている」と批判、「いつ、どこで、誰が、何を決めたか」をオープンにし、都政の「見える化を図る」と、宣言した。

都政改革本部を設置、会議をすべて公開するオープンルールのなかで改革を推進、築地の豊洲移転も東京五輪の各種施設も、安全性と予算の膨張を都民にオープンにしつつ再検証。「盛り土問題」の発覚などで移転を凍結し、石原慎太郎元都知事らと都の官僚などの責任を追及して喝采を浴びた。

音喜多氏と小池氏は、同じ改革を掲げ、情報公開をその道具とすることで一致、昨年7月末の知事選で勝利した際、音喜多氏はわずか3人の与党「かがやけTokyo」の一員として小池氏を支えた。音喜多氏が離党したのには幾つも理由があるが、とりわけ「公約の一丁目一番地であった情報公開が不徹底であったこと」(音喜多氏・以下同)だという。

都民に向かっては「見える化」をアピールしながら都民ファーストの会で進むのは、都議にも党員にも詳細を知らせずに党を運営するブラックボックス化だった。知事選の最中、「私はルビコン川を渡りました。あなたたちと一緒にやっていきたい」という電話を受けて以降、小池氏を支えてきた音喜多氏が体験したのは、最初は伴走、やがて周囲を従わせて自分が独走する小池氏の「独裁への道」の1年2ヵ月だった。

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【PHOTO】gettyimages

7月31日、熱狂のなかで小池都知事が誕生。音喜多氏らかがやけTokyoのメンバーは、9月20日、自民党員でありながら「小池指示」を打ち出した本橋弘隆・豊島区議ら「7人の侍」とともに、政治団体都民ファーストの会を立ち上げた。

この頃、音喜多氏と小池氏、及び小池氏を支える東京都特別秘書の野田数氏との関係は、「文字通り、希望にあふれるものでした」という。

「日常、我々が接触しているのは野田さんですが、ひんぱんに会って、いろんな案件を協議していました。上下関係はなく対等という立場。『野田さんにお任せしますよ』といった細かな案件でも、『いやいや一緒に考えましょう』と、ミーティングを重ねました」

関係が少し変化するのは、東京都の人事院勧告(10月18日)で「特別給は3年連続の引き上げ」となった時。音喜多氏らは、かがやけTokyoの路線を踏襲、反対の立場を取ったが、「与党が予算に反対するとは何事か」と、野田氏は怒り、隙間風が吹いたという。

野田氏の力が強まるのは、10月30日、小池氏が主宰する「希望の塾」が開かれ、事務局長として、塾の運営と候補者選定に決定権を持つようになってからだ。

「塾の方向性や、筆記試験の導入など、最初の段階では、私もかなり関わっていました。幹事長という役職にも就いており、塾生が都議選の候補になるわけですから、それなりの責任を感じたし、それこそ希望も持っていました。でも、年が明けるころには、『選考のプロセスから外れてくれ』と言われたんです。

『同じ候補者なんだから、選考プロセスには入るな』という理由はもっともですが、要は選考に多くの人を関らわせたくなかった。党本部、つまりは野田さんが自分の判断で決めたかったんでしょう。そこには当然、忖度かどうかはともかく小池さんの意向が入っています」

小池・野田両氏の「独裁体制」は、年の明けた17年1月23日、都民ファーストの会が地域政党として正式に発足、会の代表に野田氏が就任して、より鮮明となる。なんでも自由に発言する「わいわいがやがや」の雰囲気はなくなって、党本部は上意下達の組織となり、意に沿わない人間は、野田氏周辺からパージされる。それは小池氏との関係を断絶されることでもある。

「言行不一致も甚だしい」

「独裁色」を証明するのが、党の規約作りだろう。党の骨格を決める規約。音喜多氏は、仲間やブレーンとともに他党や海外の政党も参考に分厚い規約を作成するが、「これじゃダメ」と、野田氏にはねられたという。

「理由は、『意思決定が遅過ぎる』というのです。それはつまり、代表である野田さんと背後の小池さんが、(このような党規約を作ってしまえば)自由に役員人事や党の方針を決められない、ということなんです。しかも規約は、我々にオープンにしなかった。

ようやく配布したのは、9月11日。荒木(千陽)さんが(都民ファーストの会の)代表になってから。私がギャンギャン言ったせいもあり、夜にメールで送られてきました。なぜ公開しないのか? 議決機関と執行機関が分かれていない。そんな中学校の生徒会以下のような恥ずかしい規約なんで、外に出せないのでしょう。未だに部外秘です」

モノをいう人間へのパージはさらにひどくなり、党の会計がどうなっているのか、希望の塾の会費はどう使われているのか、都議候補の選考基準は何なのか、といった点がブラックボックスに包まれ、それを指摘する人もいないという意味で、都議会自民党と同じ構図になったという。

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しかし、小池人気はそんな内情とは関係なく高まるばかり。都議選は圧勝して55議席を獲得した。

本来なら、それを機に党を創成期の第一ステージから規律と秩序をもたらす第二ステージへと移すべきだろう。だが、代表すらも相変わらず小池氏の一存で決められ、議論の余地はなかったという。そのうえ締め付けは一層、厳しくなった。

「7月の都議選後にSNSの指針が配られ、他党の批判などが禁止され、取材は党本部の許可制となり、まったくといっていいほど許可は下りなくなった。言論統制はなはだしく、支援者に対してモノを言うこともできない。それでは議員としての務めを果たさないことになる。

そんな党が情報公開も必要性を訴え、ブラックボックス批判をする。言行不一致もはなはだしいのですが、そうした不満が党内に渦巻いているのに、今度は国政だという。

都民への約束を果たさず、野望を燃やして突っ走る。都民ファーストの会がそうであったように、希望の党も小池さんの手駒でしかない。それを承知で希望の党を応援する気にはならず、離党を決意しました」

そんな小池氏を都知事に担いだ「製造者責任」は感じているし、支援者のなかには「党に残って改革すべきだ」という意見も少なくなかった。だが、音喜多氏はその責任は自覚しつつ、「希望の党への抵抗感を抱えたまま候補を応援することはできず、離党するなら今しかない、と考えました」という。

党内の自由闊達な議論や民主的運営は、合意形成に手間暇がかかる。日本新党をはじめ数々の新党に参加してきた小池氏は、「独裁」こそが権力を掌握し、自分の野望を満たす早道であることを知悉している。65歳という年齢もあり、究極の目的である首相の座を手に入れるには急がなくてはならない。

そんな焦りが、「物腰は柔らかく、聞く耳は持っていて、尊大さなどない」という中庸の小池氏を計算づくで「独裁者」にした。

だが、今回、その焦りが、「踏み絵を踏ませる」という高圧と、民進党選別や公明党への秋波といったあざとさに繋がって、風は吹かない。独裁者を望む者はいないのだ。

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