五輪どころか「運動」の概念も乏しい時代~幻のオリンピック前史(中編)

五輪どころか「運動」の概念も乏しい時代~幻のオリンピック前史(中編)

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  • 更新日:2017/11/18
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[画像]まだ日本で近代オリンピックが知られていない明治末期、「天幕旅行大運動会」を企画した押川春浪(写真は大正3年)

東京五輪・パラリンピックまで残すところ1000日を切った。さまざまなメディアがオリンピックに関する歴史や展望を書き連ねている。しかし日本でオリンピックが開かれるようになるまでにどのような試行錯誤が行われたのか、ほとんど知られていない。特筆すべきは、1940年の「幻の東京五輪」に先立って予行演習的なスポーツ大会が実施されていたことだ。歴史の闇に消えた「東京オリンピック前史」を3回連載で掘り起こしてみたい。

●運動会がなければ五輪は受け入れられなかった?

前編では、まだ近代オリンピックを知らない日本で、1964(昭和39)年の東京五輪のはるか前の明治時代、娯楽雑誌で企画されたイベントとして、オリンピックの“予行演習”が行われた史実を紹介した。

ところで当時の日本人は、西洋から入ってきた「運動」という概念をどう考えていたのだろうか?

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[資料写真]夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル 上編』(復刻版) カバー(アフロ)

夏目漱石が綴った「吾輩は猫である」(1905年発表)の第7話をみると、なんとなく事情が見えてくる。「吾輩は近頃運動を始めた」という書き出しで始まるそこには

「無事是貴人とか称えて、懐手をして座布団から腐れかかった尻を離さざるをもって旦那の名誉と脂下って暮したのは覚えているはずだ。運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になったら山の中へ籠って当分霞を食くらえのとくだらぬ注文を連発するようになったのは、西洋から神国へ伝染した輓近(ばんきん)の病気で、やはりペスト、肺病、神経衰弱の一族と心得ていいくらいだ」

と書かれている。“猫”が皮肉っているくらいだから、運動(スポーツ)というものが急速に普及したことがうかがえる。日本で遊技といえるものは数が少なく、鬼ごっこや隠れんぼ、相撲、撃剣といった程度しかなかった。しかし学校教育を通して体操や運動の急速な普及が図られたのだ。とは言え、いくら為政者たちが「運動は健康のために良い」と言っても、国民の間では意見が一致していなかった。

前編で紹介した娯楽雑誌主筆の押川春浪が企画した「天幕旅行大運動会」(1908年)から遡(さかのぼ)ること30年近く前の1878(明治11)年に、文部省直轄の西洋式体操教育機関「体操伝習所」が開設されている。体育教授法の研究と体育教員の養成が目的のこの機関の内部でさえ「体操は日本人に合っているか?」「本当に身体にいいのか?」と議論されていた。教育現場でも「小学校の低学年にも体操は必要なのか? 遊技で十分ではないか?」などということが侃々諤々(かんかんがくがく)討論されたようだ。

このように西洋からやってきた「運動」という文化は、日本で素直に受け入れられたわけではなかった。その一方、好意を持って受容されたものもあった。運動会である。

●まともなグラウンドがなく長距離移動が必要

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[図]「『冒険世界天幕旅行大運動会』(1908年7月)に見られるオリンピズム」 フェリス女子大学国際交流学部 和田浩一教授による「日本体育学会第26回記念大会」(2011年9月25日)発表のレジュメより抜粋

当時、運動会をするには徒歩で長距離移動する必要があった。むろん「天幕旅行大運動会」も遠足の体裁を取った。というのも当時の日本にはまともなグランドがなかったからだ。学校にも運動する場所はない。広いところと言えば、神社の境内(当時の神社の敷地は今よりも広かった)や河原、海辺、丘などしかなく、運動会をするには徒歩で長距離移動しなければならなかった。つまり運動会は遠足も兼ねていたのである。

小学校で運動会をする際も現在のように学校単独の行事として行われたわけではない。数校が合同で開催し、地域の人々も観戦する大きな娯楽だった。当時の記録を読むと、我が子の自慢と遊山をかねた父兄が華美な服装に身を包み、重箱詰のご馳走を携えて押すな押すなで観戦に出かけていたことが分かる。運動会は地域の祝祭だったのだ。この運動会の存在がオリンピック理解の助けになったのである。

この当時のスポーツはまだ「学校を代表して」とか「国の名誉をかけて」などという仰々しいものではなく、精神修行や人間教育のために行われていた訳でもなかった。「健康増進のため」に、「遊技」や「娯楽」として行われていた。

●「軍隊化」の進展で「遊戯」から「体育」へ

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[画像]1916年に行われた「東洋オリンピック」のトライアル大会

やがて文部省の指導による「児童の身体の軍隊化」が進展するに従って、スポーツは「遊技」から「体育」になり、娯楽性は退潮していく。「天幕旅行大運動会」はスポーツに国家が関与する以前の、純粋な娯楽のままの姿で、まだ見ぬオリンピックを模したイベントだった。

味を占めた押川春浪は翌1909(明治42)年も運動会を企画する。『少年世界』誌と共催の「振武大競走」だ。靖国神社から王子の飛鳥山まで徒競走するというものだったが、治安維持のために麹町警察署によって中止させられてしまう。横田純彌・会津信吾・共著『怪男児押川春浪』(パンリサーチ インスティチュート1987年)によると、「労働運動の街頭行動を牽制するのが、当局の真の目的」とのことで、運動会の名目で自由民権運動の政治政党がデモ行動を行った「壮士運動会」の煽りを食ったらしい。

このようにオリンピック開催への最初の一歩は、メディアがしかけた運動会という形を取ったのだった。

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■檀原照和(だんばら・てるかず) ノンフィクション作家。法政大学法学部政治学科卒業。近現代の裏面史などを追う。著作として単著に『ヴードゥー大全』(夏目書房)、『消えた横浜娼婦たち』。共著に『太平洋戦争―封印された闇の史実』(ミリオン出版)

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