郡司 裕也選手(仙台育英-慶應義塾大)「好投手たちと共に登った『成長の階段』」【前編】

郡司 裕也選手(仙台育英-慶應義塾大)「好投手たちと共に登った『成長の階段』」【前編】

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  • 更新日:2017/01/12

千葉市リトルシニア、仙台育英高、そして慶應義塾大。これまで全てバッテリーを組んだエースがNPBに進んだという捕手がいる。郡司 裕也。2015年は侍ジャパンU-18代表としてWBSC U-18野球ワールドカップ準優勝に貢献すると、2016年も慶應義塾大で1年生にして正捕手の座を獲得。11月には侍ジャパン大学代表候補合宿にも招集された新進気鋭の女房役である。

では、なぜ郡司は好投手たちの女房役になり続けることができるのか?前編では、彼の捕手像を形作った仙台育英高3年夏までを振り返る。

憧れの「KEIO」、藤平 尚真との出会い、そして仙台育英へ

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郡司 裕也選手(慶應義塾大学)

紺に横文字の「KEIO」。郡司 裕也の野球人生は慶應義塾への憧れと共にある。その出会いは千葉県市原市立水の江小時代・ちはら台ファイターズでプレーしていた頃であった。7歳上の兄・拓也さんは慶應義塾(神奈川)高出身。2008年連続甲子園出場を果たした際にはベンチ入りこそ逃したが、慶應義塾大では準硬式野球部で活躍。また、高校同級の硬式野球部・山崎 錬(現・JX-ENEOS)とも親交があった兄。よって裕也も甲子園や神宮の杜で何度も「陸の王者慶應」のフレーズを耳に焼き付け、そして口ずさんだ。

そんな輝ける場所に到達するべく、郡司は研鑽を続ける。2009年にはプロ野球12球団ジュニアトーナメントにおいて千葉ロッテマリーンズジュニアに選ばれると、千葉県市原市ちはら台南中では千葉市リトルシニアでプレー。当時バッテリーを組んでいたのが1学年下の東北楽天ゴールデンイーグルス1位指名を受けた藤平 尚真(横浜<神奈川>3年)である。

「制球力が甘くガタッと崩れることもありましたけど、当時から凄いボールを投げる投手でした」
配球で藤平の持ち味を最大限引き出すリードに努めた郡司。その結果は3年春、第18回リトルシニア全国選抜野球大会で成就した。

野球で結果を残した後は勉学。郡司は慶應に合格するべく猛勉強に取り組む、が、二次試験で不合格。「いけると手ごたえはあったんですけどね」ショックは大きかった。ただ、そんな郡司の真摯な姿勢は、ある人の心を動かす。その人物とは……誰あろう当時の慶應義塾高監督・上田 誠氏。上田氏はネットワークを駆使し、郡司に合った強豪校をいくつか薦めてくれた。その1つが仙台育英(宮城)。かくして2013年春、郡司は宮城の地へと向かう。

練習に参加した郡司は、すぐに確信した。
仙台育英は自主性を尊重していて、練習の雰囲気もとても自由。慶應義塾と似ていたんです」
こうして郡司 裕也の「Enjoy BASEBALL」は東北で新たな局面を迎えることとなる。

佐藤 世那と共に自らを成長させる

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仙台育英時代の郡司 裕也選手

当時、仙台育英の3年生たちは福岡ソフトバンクホークスドラフト4巡目指名を受けることになる上林 誠知が中堅手、熊谷 敬宥(現・立教大3年)が遊撃手。後に第26回18U野球ワールドカップ日本代表にも選ばれた2人を中心に明治神宮大会優勝、センバツベスト8と快進撃を続けていた世代。
「本当にプレー1つ1つに華がありました。3年生たちのプレーを見て、ここでやっていけるのかなと思いました」と心を折られそうになりながらも、郡司は先輩たちについていく。

すると一歩ずつ成果も出始める。3年生が引退すると秋からはベンチ入り。2年夏の宮城大会では試合途中からマスクを被るようにもなった。しかし、チームは4回戦の東北学院戦でまさかの敗退。しかも、同級生・佐藤 世那(現:オリックス・バファローズ<関連記事>)が延長14回に決勝本塁打を浴びた際の捕手は郡司。先輩たちの涙を責任に変え、最上級生でのリベンジを誓う郡司たち。その反面、不安は尽きなかった。

前チームからのレギュラーは平沢 大河(現:千葉ロッテマリーンズ<関連記事>)のみ。佐藤もまだ不安定。「よく(佐々木 順一朗)監督からも『お前らはチームが1つにならないと勝てない』ということを言われて。チームはどこまで成長するのか、未知数のままのスタートでした」(郡司)。

ならば、実戦あるのみ。東北学院に敗れた7月15日以降、仙台育英はひたすら練習試合をこなす。その激しさは郡司いわく「5日連続でダブルヘッダーでやったこともありました。僕はずっとマスクをかぶっていて、本当にやばいと思いました」と苦笑いするほど。ただ、この荒療治は実戦経験の少なかった郡司にとってもチームにとっても成長の糧となった。

「あの練習試合の期間で、駆け引きや実戦感覚を掴むことができてとても大きかった」郡司と共に成長したのが佐藤 世那。特に彼の柱となるフォーク2種類はこの期間に養った。それは郡司の捕球技術を養う相乗効果にもつながる。

「普通はストレートのように見えて落ちていくのがフォーク。でも、(佐藤)世那の場合、チェンジアップのように見えてから、その落差が半端ない。本当に捕りづらいです。あと、あいつは勝手に僕のサインを無視して、球速が遅いフォークを要求したのに、球速が速いフォークを投げたり(笑)。おかげで当時はワンバウンドを止めるのは苦手だったんですけど、あれでだいぶ後ろにそらすことは少なくなりました」

自信満々で秋に臨んだ仙台育英。「監督さんは『お前に長打はいらない。たまった走者を掃除してくれればいいんだ』といってくれたし、僕の前には(平沢)大河がいましたので、結構気楽に打席に立つことができたことでタイムリーを多く打てた」と、郡司はリードに加え、打率.475、26打点と4番の重責を完遂し、結果は東北大会優勝に続き、2年ぶりの明治神宮大会優勝を達成した。

センバツの悔しさ、仲間の離脱をバネに

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郡司 裕也選手(慶應義塾大学)

2015年、1日1000本のティー打撃をノルマに「振る力」を身に付け、優勝候補にふさわしい長打力を身に付けて迎えたはずのセンバツ。しかしディフェンス面ではエース・佐藤 世那が肘を痛めたことで、郡司は「投球数を最小限に抑える配球」を迫られる。2回戦敦賀気比戦で1対2で敗れた仙台育英。郡司は今でも5回裏・林中 勇輝(当時2年)に2点適時打を打たれた配球を悔やんでいる。

「彼には2球フォークで追い込んで『早く終わらせよう』という思いでストレートを投げたんですけど、それを打たれてしまって。あの時は球数を少なく抑えることばかりで……。今だったらフォークを3球続けています。1球の重みを感じた試合でした」

センバツ後もチームの状態は上がらない。佐藤は春の東北大会盛岡大附(岩手)に打ち込まれ敗退。さらにこの試合では平沢 大河が死球を受けて右足小指を骨折。投打の主力が一気に抜ける大ピンチに陥った。

ただ、その頃になると仙台育英郡司 裕也には「真の強さ」が備わっていた。合言葉は「今まで2人にずっと頼っていたのだから、2人に頼らないチームで行こう」。夏の宮城大会では百目木 優貴(現:東北学院大1年)が力投。打順も全体が底上げし決勝戦では17安打13得点。そして佐藤はこの試合で復活の完封勝利。「結果的に、2人のけががチームに良い刺激を与えてくれて、逆にチームがまとまった」(郡司)ライオンたちの咆哮は、甲子園でも止まるところを知らず。郡司も攻守に美技を連発する。

最後の夏に出た「ベストプレー」

郡司がその中でも「ベストプレー」と振り返るのは2回戦滝川第二(兵庫)の1回裏。俊足の1番・根来 祥汰(現:三菱重工神戸・高砂)の二盗を阻止したシーンである。

試合前から「フォークで空振りをとって、ストライク送球で刺す」イメージを持ち、迎えた2番打者の初球。バスターエンドランに対しフォークで空振りを奪うと、郡司はストライクスロー。判定は「アウト」。「まさか刺すことができるとは」と当人は謙遜するが、予測・準備・実行の三要素が全てそろったこのビッグプレーは、仙台育英に大きな力を与えた。

結果、滝川第二を7対1で破った仙台育英は、3回戦花巻東(岩手)、準々決勝秋田商(秋田)と勝手知ったる東北勢を連覇し準決勝進出。チームの士気も上がる中、迎えたのは「WASEDA」のユニフォーム。そう、郡司にとっての「慶早戦」ともなる清宮 幸太郎(当時1年)擁する早稲田実業(西東京)である。

後編では夏の甲子園早稲田実業(西東京)戦のエピソードや、U-18ワールドカップでの経験。さらに慶應義塾大で広島東洋カープ1位指名を受けた加藤 拓也投手とバッテリーを組んだ経験などを語っていただきます!

(インタビュー/河嶋 宗一

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