エネルギー小国日本の選択(11) ── 災害とエネルギー、原子力トラブル

エネルギー小国日本の選択(11) ── 災害とエネルギー、原子力トラブル

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  • 更新日:2017/11/19

1990~2000年代は大きな自然災害に見舞われた時代でもあった。都市化が進み、電気やガスのインフラが整った阪神を襲った大震災は、エネルギーの重要性を再認識させた。新潟県中越沖地震では柏崎刈羽原発が自動停止した。東京電力の発電量が低下し、夏の需要期の供給が不安視された。

その原子力をめぐっては、高速増殖炉「もんじゅ」のトラブル続発と情報隠しや、JCOによる被ばく死傷事故なども起き、原子力への不信が広がった。

今回は地震などの災害とエネルギー産業への影響を中心に見ていきたい。

阪神大震災の発生と教訓

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最大震度7の阪神淡路大震災。関西電力では全社の契約の4分の1に当たる約260万軒が停電(写真:ロイター/アフロ)

1995年1月17日午前5時46分、最大震度7の阪神淡路大震災が発生した。高速道路の橋桁が倒れている様子がテレビや新聞で報じられ、地震の大きさを物語っていた。冬の早朝だったこともあり、被害は甚大だった。

エネルギーインフラも一時遮断された。関西電力では全社の契約の4分の1に当たる約260万軒が停電し、火力発電所は35基中12基が自動停止した。大阪ガスもガス漏洩の通報が急増し、神戸市東灘区、灘区、中央区の全域や芦屋市の一部など約86万戸のガス供給を二次災害防止のために順次止めた。

地震を受け、関電は副社長を本部長とする非常災害対策本部を設け、復旧作業に奔走した。被災した電線などを仮設で復旧させる「応急送電」により、停電は7日間で解消した。平時も24時間体制で電力設備の監視と制御をしているため、情報収集や修復工事の初動は迅速だった。また、家屋の被害が予想されるエリアでは安全上、送電を適宜保留するなどした。

大ガスも地震発生の6分後には本社の中央指令室に地震対策本部を設置し、ガス漏れなどへの対応に当たった。

復旧作業に際し、関電も大ガスも全国の同業他社に協力を呼び掛けた。関電には他の大手全9社から協力の申し出があり、うち北は東北電力、南は九州電力の7社が応援員を出したり、電線や作業車を届けたりした。ピーク時は5000人近い体制で作業に臨んだ。大ガスは、日本ガス協会を通じて全国のガス会社に応援を要請した。東京ガスや東邦ガスなどが応じ、被害状況の調査や復旧に当たった。復旧活動をした人員は最大で1万人に上った。

地中に埋まっているガス管は、漏洩などの異常を見つけるのが困難だった。一方、地上にある電柱、電線は復旧が比較的容易だった。ただ、電柱は倒壊の危険などから、震災後は電線地中化を推進する議論にも繋がっていった。

政府、通商産業省(今の経済産業省)としても、阪神大震災の教訓を踏まえ、東電や東ガスなど生活インフラ、ライフラインを担う事業者から、停電やガス供給停止などの情報をオンラインで受信できるようにするなど、情報網の整備を重ねていった。

柏崎刈羽原発を襲った地震

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中越沖地震での柏崎刈羽原発。3号機の変圧器で火災が発生した(提供:海上保安庁/ロイター/アフロ)

2000年代には2度の大地震が新潟県で発生した。2度目は2007年7月16日、東電柏崎刈羽原発の北方の沖合を震源とする最大震度6強の中越沖地震だ。夏の電力やガソリンの需要期に起き、供給不安が囁かれた。

経産省としては電気とガス、石油、LPガスの各事業者に復旧に全力を尽くすよう指示し、ガソリンスタンドの営業延長なども求めた。

阪神大震災の時と同様に各電力、各ガス会社が全国から応援に駆け付けた。最大時には電気は約2300人、ガスは約1600人が動員された。また、阪神・淡路大震災の教訓から、停電からの復旧時に各戸の安全確認を行い、漏電による火災発生を防げたという。阪神大震災後に、ガスの導管で柔軟性や腐食性に優れた地震に強いポリエチレン管の普及を進めたことにより、ガス漏洩の防止にも繋がった。

一方、柏崎刈羽原発は7基中、定期検査で止まっていた1、5、6号機を除く4基が地震で自動停止した。また、3号機の変圧器で火災が発生し、微量の放射性物質が海と空気中に放出された。放射性物質を含む冷却水が点検中の6号機から漏れるトラブルもあった。

事態に鑑み、調査チームを派遣した国際原子力機関(IAEA)も地震に関し、「プラントの設計基準地震動を上回っていた可能性があることを示しており、プラントの系統、構築物及び機器の挙動に相当程度の影響が及んだ可能性がある」(原子力安全・保安院=当時=仮訳)と指摘している。

専従の初期消火に当たる従業員が常駐せず、初動も遅れた。原発を持つ他電力も専従の要員がいなかったため、各社は全原発への化学消防車の配備や地元消防との連携強化などを行っていくと、同年7月に経産省へ報告した。東電は柏崎刈羽での事案を受け、福島第1、福島第2の両原発でも防火水槽を配備するなどの改善策を講じていった。

高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故

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ナトリウム漏れ事故を起こしたもんじゅ(写真:Fujifotos/アフロ)

地震の影響によらず、1990年代以降は国内の原子力施設のトラブルが目立った。

代表例として、混合酸化物(MOX)燃料を使い、消費量以上の燃料を生み出せる「夢の原子炉」とされた高速増殖炉のもんじゅ(福井県)がある。旧動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が手掛け、1985年に本体の工事が始まり、1991年から試運転が始まっていた。その後調整を繰り返し、1994年に臨界となり、1995年8月に発電を開始。しかしそのわずか3カ月余り後、ナトリウムが漏れ出す事故が発生、運転停止に追い込まれた。その際、一連のトラブルの映像を当初、一部しか見せないなど、施設側が隠蔽しようとしたと報道機関に激しく非難された。原子力事業に対する社会の不信が一気に高まった。

再起に向け、1998年に動燃は解体され、後継機関として核燃料サイクル開発機構ができた。その後、もんじゅの運営主体は2005年に発足した独立行政法人の日本原子力研究開発機構に移った。ナトリウム漏洩対策を経て、2010年5月には運転を再開した。当時、アジア太平洋経済協力会議(APEC)のエネルギー大臣会合が日本で開かれていたことから、各国の大臣を視察に招くなど、国際PRにも力を入れた。「夢の原子炉」が実現する期待が関係者の間で再び高まった。

しかしその直後の8月、またもトラブルに見舞われる。原子炉容器内に装置が落下し、運転休止に陥った。非常用発電機の故障も判明した。もんじゅは、文部科学省の所管に疑問符も付き、混迷の末に2016年12月、廃炉が決まった。

東海村JCO事故

この頃、他の原子力施設では痛ましい事故もあった。1つに、国内初の被ばくによる死亡者が出た東海村JCO事故がある。1999年9月、住友金属鉱山グループの核燃料加工を手掛けていたJCOの茨城県東海村の施設で、ウラン精製中に作業員が被ばくした。2人が死亡、1人が負傷、周辺住民を含む600人超が被ばくした。原因はずさんな製造工程にあったとされる。ウラン化合物を溶かす過程で、本来使うべき機械装置を使わず、ステンレス製のバケツを代用するなど、問題が多数発覚した。

JCOはウランの加工事業許可を取り消され、2003年にウラン再転換事業をやめた。JCOのホームページのトップ画面には現在、臨界事故を発生させたことへのお詫びと共に「安全確保を第一に『ウラン廃棄物の保管管理』と『施設の維持管理』を継続して行っております。今後は『不要な設備の撤去・整備』を順次進める」とのコメントが表示されている。

またこの事故をきっかけとして1999年12月、災害などによる放射能汚染の拡大を防ぐための原子力災害対策特別措置法が施行された。首相が原子力緊急事態宣言を出した場合に、自治体や原子力事業者を指揮できるよう、首相に全権を集中させることにした。

これらの事態を踏まえ、原子力エネルギーに反対する動きが各地で目立つようになった。ただ、政府と産業界を中心に原発を後押しする声も依然強かった。理由の1つに、日本国内での人口減少を背景とした企業の海外展開強化があった。原発は鉄道や省エネと並んで、日本が海外にPRできる一大商材とされていた。一方で中国など新興国の躍進と相まって石油などの資源価格は高騰し、原子力が石油に代わるエネルギー源として依然、有望視されていた。

次回は資源外交、エネルギーセキュリティーが声高に叫ばれていた、東日本大震災直前の時期を見ていきたい。日本は官民を挙げて産業をパッケージで売り込もうとしていた。

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