24歳の彼は、正社員になった翌月、寝ずに働いて過労事故死した

24歳の彼は、正社員になった翌月、寝ずに働いて過労事故死した

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2019/03/26
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自分こそ「過労死候補生」だった

過労死について、ほとんどの方は「私は健康だから大丈夫」「自分には関係ない」と思っていることでしょう。私も数年前まではそうでした。でも今思えば自分こそが、まさに「過労死候補生」だったのです――。

そう語るのは、朝日新聞社記者の牧内昇平さん。牧内さんは先日、長年の取材をふまえてまとめた『過労死―その仕事、命より大切ですか』を上梓した。そこの冒頭には、自分自身も過労死候補生だった、誰にでも過労死はありうるのだということが書かれている。

一体それはどういうことなのか。改めて牧内さんに自身のこと、そして自身を投影できる過労死の悲しい事例を語ってもらった。

「仕事を任されている」高揚感

私は2006年に新聞社に入社。福島県の支局を皮切りに、最初の5年間を地方記者として働き、その後、東京本社の経済部に配属されました。電機、ITなど民間企業の取材を9か月ほど経験した頃、財務省の記者クラブへ異動。最前線の記者として、早朝から深夜まであちこちを飛び回る生活を送っていました。

当時の私のタイムスケジュールは、次のようなものでした。まず朝は5時台に起き、出勤前の国会議員や官僚をつかまえる「朝まわり」という仕事をこなします。昼間は原稿書きなどをして、夜は同じように「夜まわり」を2~3軒。その後、同僚と打ち合わせをし、仕事から開放されるのは早くて夜の1時、遅い時は2時3時という状況でした。

睡眠時間は短い時で3時間ほど。たまにライバル紙にスクープを抜かれたりすると、上司から夜中の3時くらいに電話がかかってきて、うちはどんなふうに取材するか、指示を受けなくてはなりませんでした。そうなると、もう寝る時間はほとんどありません。

ハードな毎日でしたが、当時は若かったこともあり、こなせてしまえていました。むしろ、仕事を振ってもらえる喜び、重要な仕事を任されているという高揚感の方が大きかった。もちろん同期の中で認められたいという欲もありました。

東京本社に戻って来るタイミングで結婚もしていましたが、仕事が多忙だったために食事はずっと外食。妻とはろくに会話する時間もなく、せいぜい僕が帰宅して風呂に入っている時に、彼女が風呂場までやって来て話をするくらいでした。出張で海外に行ってしまうと、時差もあるため、さらにコミュニケーションを取るのが難しい状況になっていたように思います。

「働かされ方」への衝撃

最初に体調を崩したのは、私ではなく妻のほうでした。

2011年、我が家に待望の第一子が誕生しました。けれどパートナー不在で初めての育児と向き合うなか、妻が倒れてしまいます。おそらく彼女は妊娠中から孤独感を抱えていたのでしょうが、私が仕事、仕事で察してやれなかったんですね。ある時、彼女の方から「もう厳しいんだけど……」と言われて、初めて危機に気づくというありさまでした。

その後、私は財務省の担当から外れ、少し楽な部署に異動になりました。家族と一緒に過ごす時間は増えたものの、第一線から外れる不安で心の中はモヤモヤ。「記者としてこのままでいいのだろうか」と、自問自答する日々が続きました。

そんななか出会ったのが、過労死についての取材だったのです。

時期は2012年。2008年に起きたワタミの過労自死事件をきっかけに、20代の「過労自死」が問題になり始めていた頃です。私も若い人を中心に取材を進めていきました。そこで感じたのは、「彼らはこんな働き方をさせられているのか!」という驚きです。職場でのいじめが原因で19歳という若さで亡くなった人もいれば、極度の長時間労働の末、自ら命を絶った24歳の青年もいました。

少し前の自分とよく似ていた

ある時、私はあるご遺族から過労死問題について書かれたリーフレットを渡されました。そこに載っていたのが、お父さんを過労死で亡くした6歳の男の子・マーくんの『ぼくの夢』です。別の記事でもご紹介しましたが、改めてここに記します。

│ぼくの夢│

大きくなったら
ぼくは博士になりたい
そしてドラえもんに出てくるような
タイムマシーンをつくる

ぼくは
タイムマシーンにのって
お父さんの死んでしまう
まえの日に行く
そして
「仕事に行ったらあかん」て
いうんや

当時の私は、毎年100人以上の死者が「過労死」として労災認定されていることを知識として認識してはいましたが、それはあくまでも「他人ごと」。でもマーくんの詩を読んだ時に、初めて「自分が死んだら、生まれたばかりの息子は、妻はどうなるんだろう?」と思ったのです。

しかも、遺族の方に亡くなった方の生前の状況をうかがうと、「よく寝言で仕事の話をしていた」「休日、何もしないでいると、夜になって『本くらい読めばよかった』と後悔していた」など、出てくるエピソードが少し前の私ととてもよく似ているのです。それを機に私のなかで過労死は、「他人ごと」から「自分ごと」へと大きく変わっていきました。

徹夜で働いた後のバイク事故

なかには仕事で疲れきった体で車やバイクに乗り、事故を起こしてしまったケースもありました。「過労事故死」です。

東京都の会社員・渡辺航太さん(当時24歳)は、2014年4月、徹夜で働いた後にバイクを運転して電柱にぶつかり、亡くなっています。

航太さんは、デパートなどの商業施設の植物装飾を手掛ける「グリーンディスプレイ」という会社で、2013年10月からアルバイトとして働き始めました。事故が起きたのは、横浜市内にある草花の倉庫兼事務所と都内の自宅とを結ぶルート上です。

航太さんの初出勤の翌月のタイムカードを見ると、クリスマス前の繁忙期ということもあって時間外労働がかなり長く、午後10時までに終わった日は6日だけ。退勤時刻が午前3時を過ぎた日が8日もありました。休みは5日間のみ。なかには退勤時間と出勤時間の間隔が、わずか3時間という日もあります。

頑張れば正社員になれる!

なぜアルバイトなのに、航太さんはそれほどまでに過酷な夜勤に耐えていたのか。それは「ここで頑張れば正社員への道が開ける!」と思っていたからです。彼は親孝行したいという思いが強い人で、250万円を超える奨学金の返済もありました。だからこそ、冬場のきつい労働にも弱音を吐かずに頑張っていたのでしょう。正社員になれるのかなれないのか不安な日々のなか、精神的にもかなり疲弊していただろうと思います。

2014年3月、航太さんは無事、正社員として採用されました。しかしその翌月、事故で亡くなってしまいます。事故の前日、午前11時に出勤した彼は、翌朝9時前まで夜通し働いていました。そして職場を出た30分後に事故を起こしています。いくらか仮眠や休憩を挟んだとしても、過酷な勤務による疲れが事故の原因になったことは明らかです。

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Photo by iStock

航太さんの一周忌に、遺族はグリーンディスプレイに損害賠償を求める裁判を起こしました。提訴をその時期に合わせたのは、命の重みを問いかけていることを、裁判官や社会に訴えたかったからです。

グリーンディスプレイ側は「睡眠不足や過労による居眠り運転が事故の原因だったと断定することはできない」と予想通りの反論をしてきたものの、航太さんの熱心な仕事ぶりや篤実な人柄については高く評価していました。過労死をめぐる裁判では、しばしば会社側が亡くなった人をけなすことがあることを考えると、グリーンディスプレイの航太さん本人への誠実な姿勢は異例ともいえるものだったのです。

提訴から3年がたった2018年2月8日。会社との裁判は「和解」という形で終わる見通しが立っていました。裁判長は、航太さんの死を「過労による居眠り運転事故」だったと認め、会社にも事故を避けるための努力を怠ったことを指摘。遺族に対して、約7600万円の賠償責任があるとの判断を示しました。

最後に裁判長は、こう高らかに述べています。

「過労死のない社会は社会全体としての悲願である」。

和解内容は、遺族側の主張がほぼ100%認められた会心のものでした。傍聴席で裁判長の言葉をメモしながら、私は胸が熱くなったことを覚えています。

「やる気」に甘えきらない

過労死を社会問題として報じるメディアの側にも、犠牲者は出ています。2013年、NHKの記者・佐戸未和さんが、31歳という若さで世を去りました。大型選挙の取材班に加わり、参院選の投開票の3日後、うっ血性心不全で倒れたのです。

未和さんの両親は労災を申請。その翌年には労災が認められました。渋谷労働基準監督署の認定によると、死亡前の1か月間、休日はわずか2日だけ。午前0時過ぎまで働いた日が15日もありました。残業時間は159時間37分。その前の1か月は146時間57分でした。

未和さんは、過労死ライン(月80時間)の倍近い長時間残業を、少なくとも2ヵ月続けていたことになります。過労死であることは明らかでした。記者という仕事の性質上、実際の労働時間はもっと長かった可能性もあるでしょう。

会社には、社員を安全に働かせるという法律的な義務があります。未和さんの事例のように、本人のやる気を「悪用」することがあってはなりません。その人がどれくらい働いているのか、体調を崩していないか、上司がしっかりと目を光らせていなければならないのです。それは上司の役目であり、義務であるとも言えます。

命を失ってもいい仕事はひとつもない

頑張りたいという気持ちは素晴らしいことです。しかし、命を失ってもいい仕事というのはひとつもありません。私自身が「頑張りたい」「認められたい」という気持ちのみで突き進んでいたからこそ、「危なかった」と感じています。やる気のある社員は働きすぎの状態に陥る恐れがあることを前提として、会社側が細かく注意することが大切なのです。

今回挙げさせていただいた若者の過労死の事例は、長時間労働が原因のものでした。しかし、「過労死」の問題はそれだけではありません。次回は、「仕事をきっかけとして起こる死」についての他の例と、それを「しない・させない」ために、私が感じたことをお伝えしたいと思います。

構成/上田恵子

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誰からも頼られていて、最後に自死を選んだ子煩悩な40代の市役所職員、ビデオ店であまりの過酷な労働で働けなくなり、辞めた半年後にくも膜下出血で亡くなった27歳……11人の実例を丁寧に取材し、「どうすれば過労死のない社会にできるのか」も分析している。働く意味と生き方について深く考えさせられる一冊。

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